1988.国家の連続性
デレヴィーナ市での公開生放送前夜。
国営放送アナウンサーのジョールチは、ネモラリス共和国に対する制裁の不備について語った。
FMクレーヴェルのワゴン車には、ニュース原稿を執筆する彼の他、情報を取りまとめるパドールリクとクルィーロの父子、ソルニャーク隊長とラゾールニクが居る。DJレーフは、国営放送のイベントトラックで、放送機材の点検中だ。
今回、ネモラリス共和国に対する国連安保理の武器禁輸措置の決議と、経済大国二十カ国会議による経済制裁は、いずれも、同国の魔法生物兵器化禁止条約違反を根拠とする。
「一見、正当なように見えますが、この制裁の発動には幾つも問題があります」
クルィーロは、ジョールチの話が半分以上わからず、何が問題なのか見当もつかない。しばらく考えて、どうにか、マチャジーナ市商工会議所での会議の報告を思い出せた。
「非戦闘員を兵糧攻めにするのって条約で禁止されてるのに、国連とかがネモラリスにしてるとかですか?」
「はい。それも大きな問題のひとつですが、もっと根本的な問題があります」
アナウンサーのジョールチは、ニュース原稿を書く手を止めて、クルィーロたちに向き直った。
「文民を飢餓の状態に陥らせる広範な禁輸指定も問題ですが、制裁発動の過程にも大きな問題があるのです」
ジョールチが、眼鏡の奥から四人を見詰める。
キルクルス教徒のソルニャーク隊長が頷いた。
「ラクリマリス王国の発表が事実ならば、そもそも、魔哮砲を作り出したのは、ネモラリス共和国ではなく、七百年以上前のラキュス・ラクリマリス王国だから、魔法生物の製造責任がどこにあるか、不明確なのですね」
「そうです。旧王国政府が、雑妖を効率よく始末する為に清めの闇を開発しました。当時の魔法生物禁止条約を遵守した製法で、合法的なモノだったのです」
だが、幾つかの偶然が重なり、雑妖退治用に開発された魔法生物「清めの闇」には、兵器として転用可能な性質を有することが判明した。
旧ラキュス・ラクリマリス王国政府は、条約に従い、清めの闇の破壊を試みた。
しかし、清めの闇は、攻撃魔法の魔力を吸収して膨張。暴走して多数の死傷者を出した。
この為、破壊を断念し、厳重に封印を施した上で、ウーガリ山脈に「廃棄」したのだ。
その後、ラキュス・ラクリマリス王国は民主化し、ラキュス・ラクリマリス共和国となる。
更に半世紀の内乱を経て、現在のネモラリス共和国、ラクリマリス王国、アーテル共和国が分離・独立した。
陸の民のラクリマリス王家は神政復古して政権の座に返り咲いたが、湖の民のラキュス・ネーニア家は民主制を堅持し、下野したままだ。アーテル共和国に至っては、清めの闇……後に魔哮砲と呼ばれる魔法生物の製造に関与した者が居ない。
現在のネモラリス共和国と、清めの闇を開発した旧ラキュス・ラクリマリス王国の国家としての連続性を認めるのは、無理がある。
強引に認めてしまえば、ラクリマリス王国とアーテル共和国も、等しく「兵器利用可能な魔法生物の製造責任」を負うことになりかねない。
ネモラリス共和国の一部の政治家と軍は、密かに魔哮砲の封印を解いたが、既に稼働した魔法生物に後から機能を追加することは不可能だ。
僅かに残った文献を基に当該魔法生物の性質や能力を調査、確認し、実際に兵器利用が可能か研究したに過ぎない。廃棄処分されたモノを遺跡から発掘したが、魔法生物の新規製造は行わなかったのだ。
清めの闇を目的外使用し、魔哮砲として「兵器利用した行為」を罪に問うにしても、その手続きには瑕疵があると言わざるを得ない。
魔法生物兵器化禁止条約や魔法生物拡散防止条約などには、罰則規定がなく、当然、査察の手順や制裁の発動要件、実施内容についても定めがなかった。
だが、社会通念に照らせば、国連やその機関、あるいはその他の国際機関が査察を実施、物証を押えた上で事前通告し、魔哮砲の破壊または廃棄の猶予を与え、ネモラリス共和国単独での実行が困難な場合は、専門の機関が技術支援などを申し出るのが筋だ。
各段階では、当事国であるネモラリスを含め、複数の国と国連機関が対話や協議を重ねる。
いずれかの段階で、ネモラリス側の拒絶があったにしても、その都度、制裁実施の通告や、当事国との交渉や協議は必要だ。
実際には、ネモラリス共和国政府は、国連の依頼を受けた魔道士の国際互助組織「蒼い薔薇の森」の査察を受容れた。偽物の魔哮砲を見せて欺いたが、それはまた別の問題だ。
蒼い薔薇の森から派遣された魔法使いは、替え玉に気付かなかったらしく、本物の魔哮砲に関する物的証拠を得られずに査察を終えた。
その後、ラクエウス議員とアサコール党首が、動画で魔哮砲の正体を暴露した。だが、アミトスチグマ王国へ亡命したネモラリス共和国の国会議員の証言だけで、物証はない。
ラクリマリス王国軍の部隊が腥風樹の捜索中、ツマーンの森で魔法生物と遭遇。同王国政府は、それがどんな性質の存在か、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代の記録などを基に発表した。
その後、別固体だが同種の小型魔法生物を捕獲し、厳重に封印を施した上で湖西地方に廃棄した。
ラクリマリス王国政府の発表は、古い時代の記録に照らして、捕獲した小型魔法生物が「ネモラリス軍が魔哮砲と呼ぶモノの断片」であると断定し、それを廃棄した事実だけだ。
国連は、それが本当に「ネモラリス共和国が兵器利用する魔哮砲」と直接関係するか、ネモラリス側に確認しておらず、物的証拠も手にしなかった。
科学文明圏の国々は国連で強い発言力を有するが、ラクリマリス王国の発表が事実であるか、未確認だ。
国連の国際魔術機関と蒼い薔薇の森は、ラクリマリス軍が捕獲した小型魔法生物の封印と廃棄には立会したが、ネモラリス軍や魔哮砲との関係の調査は、実施しなかった。
完全に別件として扱ったのだ。
その後は、どこの報道機関も、ネモラリス共和国と魔哮砲に対する国連や国際社会の働き掛けについて、報道しなかった。
魔法生物の兵器化は、三界の魔物の再来を招きかねない。世界的に重大な関心事だ。
何らかの動きがあれば、報道されない筈はないが、何の情報もなく、唐突にネモラリス共和国に対する武器禁輸措置を決議し、経済制裁を発動した。
少なくとも、アミトスチグマ王国に駐在するイーニー大使は、スメールチ国連大使から、魔哮砲に関して国連やその他の機関から、会議や二度目の査察についての問合せや連絡を受けたと言う話は、聞かなかったらしい。
☆マチャジーナし商工会議所での会議の報告/非戦闘員を兵糧攻めにするのって条約で禁止……「1851.業界の連携を」と、同ページのあとがき参照
☆ラクリマリス王国の発表/清めの闇……「497.協力の呼掛け」「581.清めの闇の姿」参照
☆ラキュス・ラクリマリス王国は民主化……「326.生贄の慰霊祭」「370.時代の空気が」「858.正しい教えを」「1564.壊された平和」参照
☆ラクリマリス王家は神政復古して政権の座に返り咲いた……「1743.神政と民主制」参照
☆湖の民のラキュス・ネーニア家は民主制を堅持……「534.女神のご加護」「1650.民主制の堅持」「1746.制度の例外地」参照
☆ネモラリス共和国の一部の政治家と軍/兵器利用が可能か研究……「0241.未明の議場で」「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照
☆国際機関が査察を実施
査察に関するネモラリス国会の非公式会議……「0248.継続か廃止か」参照
査察結果……「0269.失われた拠点」参照
☆魔道士の国際互助組織「蒼い薔薇の森」……「0239.間接的な報道」参照
☆動画で魔哮砲の正体を暴露……「496.動画での告発」「497.協力の呼掛け」参照
☆ラクリマリス王国軍の部隊がツマーンの森で魔法生物と遭遇……「509.監視兵の報告」参照
☆旧ラキュス・ラクリマリス王国時代の記録などを基に発表……「580.王国側の報道」参照
☆小型魔法生物を捕獲……「726.増殖したモノ」「751.亡命した学者」参照
☆厳重に封印を施した上で湖西地方に廃棄/国際魔術機関と蒼い薔薇の森は(中略)小型魔法生物の封印と廃棄には立会……「759.外からの報道」参照
☆科学文明圏の国々は国連で強い発言力を有する……「0249.動かない国連」参照




