1986.体育館で放送
デレヴィーナ市での第一回公開生放送は、市の中心部にある総合体育館でする。
地元大企業の所有で、開戦間もない頃とクーデター直後は臨時の避難所だった。
仮設住宅の開設後、避難所は解消されたが、戦争などの影響でスポーツを楽しむ余裕はない。
消防署と地元ボランティアによる市民救命士養成講座や、高齢者の介護予防体操講座などは続いたが、今年度に入ってからは、予算の都合でそれもなくなった。
体育館を所有する企業は、系列の量販店で仮設住宅の入居者を十人ばかり雇う。失業者の数に対して、デレヴィーナ市内の求人は減る一方だ。
客の一部は、地元民を差し置いて雇われた余所者の力なき民を快く思わない。嫌がらせを受けて辞める者も出たが、本社の指示で、量販店では仮設住宅から雇い続けた。
体育館が使われなくても、維持費は掛かる。
ここも、放送場所に名乗りを上げた理由は、屋台に請求する敷地利用料だ。
移動放送局から徴収しないのは、情報料のつもりなのだろう。
トラックは体育館の裏口に横付けし、老漁師アビエースと葬儀屋アゴーニが、交替で運転席の屋根に上ってアンテナを支える。
七月半ばに入り、一気に日中の気温が上がった。力なき民のレノたちは、外を少し歩いただけでも汗だくで辛そうだ。
今回は、体育館内に聴衆を入れ、合唱などをする局員は、体育館内の舞台に上がる。アナウンサーのジョールチとDJレーフは、いつも通り荷台の係員室から放送する。
合図が見えないのは厳しいが、やるしかなかった。
火を扱う飲食店の屋台は、体育館併設のグラウンド、その他は体育館内の壁際に入った。
平日の午前中だが、聴衆が詰めかけ、体育館内は立錐の余地もない。緑髪の聴衆各個人の衣服と、体育館に施された【耐暑】の術がなければ、熱中症で死者が出ただろう。
次の放送は、日曜で屋外だ。薬師アウェッラーナと老漁師アビエースの空読みでは、少なくとも今日、明日は晴天だと言う。
……港の倉庫街は、近所に仮設住宅あるけど、力なき民の人たちは家で聞いてもらった方がいいかもな。
クルィーロは、後でジョールチたちに相談しようと、心に留めた。
デレヴィーナ市中心部の聴衆は、クルィーロが一段高い舞台から見渡した限り、緑髪ばかりだ。
舞台に近い前列は、開場のかなり前から待ち続けた会社員風の人々が、ラジカセを手元に置いて座る。業務命令で、地元報道機関が出さない、いや、出せない国際ニュースや経済制裁の詳細を記録しに来たのだ。
体育館近隣の事業所なら、社屋まで放送の電波が届く。やや離れた所から来たのだろう。
他は、未就学児を含む家族連れなどだ。この中にどれだけ、廃業した店の関係者が居るだろう。
平日の午前中に満員どころか、体育館の外まで人が集まる状況が悲しかった。
午前九時丁度。
ジョールチが舞台に姿を現すと、会場のざわめきがすっと引いた。
「皆様、おはようございます。移動放送局プラエテルミッサ、公開生放送の時間です。進行とニュースは私、アナウンサーのジョールチが務めます。午前九時からの三時間、音楽とニュース、地元デレヴィーナ市内のお得情報など、盛りだくさんの内容をお送りします。最後までごゆっくりお楽しみ下さい」
国営放送アナウンサーのジョールチが口上を述べて一礼すると、会場から大きな拍手が起こった。
「デレヴィーナの皆さん、おはようございます。移動放送局プラエテルミッサのDJレーフです。中央総合体育館の公開生放送に大勢の方が来て下さって嬉しいです。屋台とかも出てますんでね、お買い物やお食事を楽しみながら、三時間ゆっくり聴いて下さいね。今日、最初の曲は『すべて ひとしい ひとつの花』です。デレヴィーナ市中央区の中央総合体育館から、公開生放送で、伴奏はレコード、歌は合唱団の生歌でお届けします。それでは、まずは一曲目『すべて ひとしい ひとつの花』をお聴き下さい」
ジョールチが荷台の係員室へ戻る時間稼ぎを兼ねた案内が、体育館備え付けのスピーカーから流れた。
DJレーフを知るらしいデレヴィーナ市民の顔が明るくなる。
クルィーロたちは、DJレーフが語り終えてから、みっつ数えて歌い始めた。
「穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える……」
前奏のない曲で、歌い出しがズレないか、毎回ヒヤヒヤするが、今回は特に緊張した。だが、一人もズレずることなく、レコードの伴奏にぴったり揃い、クルィーロは内心、胸を撫で下ろした。
男女混合の斉唱が、体育館の高い天井に響く。
ここでも、軍歌以外の歌を久し振りに耳にするらしく、詰めかけた聴衆が、反響して降り注ぐ歌声に聴き入った。
「……憎悪と悲しみの鎖を断って
共に 咲かせよう ひとつのこの花を」
曲の余韻が消えた途端、盛大な拍手が起こった。
DJレーフは構わず、曲の解説を始める。
半世紀の内乱の勃発で未完になった。魔哮砲戦争の始まりから今日まで、ネモラリス人だけでなく、インターネットを介して世界各地の名も知らぬ人々までもが平和を願って歌詞の続きを考える。
未完の部分は残り僅かだ。
「デレヴィーナ市民の皆さんも是非、歌詞の続きを考えてみて下さい」
「続きまして、国際ニュースをお届けします」
ジョールチの声が聞こえると、舞台前に陣取った人々が一斉にラジカセの録音ボタンを押した。
☆薬師アウェッラーナと老漁師アビエースの空読み……「0002.老父を見舞う」「0126.動く無明の闇」参照
☆軍歌以外の歌を久し振り……ネモラリス島北部「1370.カフェの演奏」参照
☆半世紀の内乱の勃発で未完……「0220.追憶の琴の音」「0268.歌を探す鷦鷯」「0275.みつかった歌」「549.定まらない心」「900.謳えこの歌を」参照
☆世界各地の名も知らぬ人々までもが平和を願って歌詞の続きを考えた……「0305.慈善の演奏会」「348.詩の募集開始」「378.この歌を作る」「510.小学生の質問」「511.歌詞の続きを」「515.アイドルたち」「516.呼掛けの収録」「647.初めての本屋」「659.広場での昼食」「774.詩人が加わる」「1397.同じ朝の同志」「1399.決まらない詞」「1418.あの時の言葉」~「1421.ぶかぶかの服」参照
▼「すべて ひとしい ひとつの花」現在の歌詞▼




