1979.地虫で作る薬
「でもね、ひとつ、いいコトもあったんですよ」
菓子屋の妻が、手土産に持ってきた木の実の殻を剥き、クフシーンカに勧めて言う。
茶色い殻こそ硬いが、白い果肉は軟らかく、高齢の彼女でも噛み潰せる。たっぷりの果汁は甘い。三十年余りここで暮らしたにも拘わらず、この土地の素晴らしい産物を知らずに過ごしたのを勿体なく思った。
……もっと早くにクブルム街道を整備していればよかったわね。
「いいコトって何ですの?」
「地虫の件が、東教区から農家へ働きに行ってる人たちにも伝わったんです。農家の人たちは雇人に袋を渡して捕らせて、この地虫は根っこを齧る害虫だから、好きにしていいって、持って帰らせてるんですよ」
「あら、じゃあ、それが実質的な報酬に?」
「そうなんですのよ。元手がタダで、害虫が減って、食料を払うのは政府軍。セコいったらありゃしない。しかもあの人たち、ウチの土地から出たものと袋までくれてやったんだから、有難く思えみたいな態度なんですって」
菓子屋の妻が憤る。
「まぁ……でも、前よりマシになったのは確かですし、その辺は目を瞑るしかないでしょうね」
下手に意見しようものなら、へそを曲げ、地虫捕りを禁止するかもしれない。
東教区の雇人にとっては、農家の態度など今に始まったコトではなかった。それより、地虫が豊富な畑で捕獲の許可が降りたことの方が大きいだろう。
地虫を政府軍のリストヴァー自治区駐留部隊に渡せば、食料品と交換してもらえる。
何の薬になるか不明だが、トポリの陸軍病院で治療を受ける軍人や民間人が、一人でも多く助かれば、その人物に助けられる者も居るだろう。
もしかすると、グリャージ区に設けられた仮設病院で、自治区民の治療にも使われるかもしれない。
「それでね、地虫を兵隊さんに渡したら、食料をもらえるって話が広まって、仕事のない人たちが、クブルム街道やシーニー緑地で地虫捕りを始めたんですよ」
地虫は、街道から少し山へ入り、木の棒で腐葉土を少し穿ればすぐ出て来る。ビニール袋一杯になるまで捕獲し、その場を警備する魔装兵に渡そうとして、駐屯地へ行けと苦笑される者まで出る始末だと言う。
薪は当分、農地開墾で出る雑木の枝と柵にならない細い木で賄える。クブルム街道沿いの山中では、地虫捕りと薪拾いを並行する者も居る。
燃料不足で煮炊きできなくなる心配はないだろう。
少なくとも、緑地と街道へ行ける地域に住む者は、命を繋ぐ最低限の配給以外にも食事にありつける。
「でね、開墾してる人が、兵隊さんに何のお薬になるか聞いてみたんですって」
「何のお薬かしら?」
「魔法の解熱剤ですって。凄くよく効くらしいんだけど、私は飲みたくないわ」
菓子屋の妻が自分の両肩をさする。
「お薬の材料って知らない方がいいこともあるのね」
絹の材料が蛾の蛹だと知ったら、どんな顔をするのか。クフシーンカは苦笑するしかなかった。
菓子屋の妻が訪れた日の夜。緑髪の運び屋も来た。
いつも通り、寝室に通して話を聞く。
「みんなの食堂と他の慈善団体にもあたってみたけど、農具の提供はどこも難しいそうよ」
「どうしてですの?」
「先に難民キャンプに送ったからよ。家庭の物置に眠ってた要らない家庭菜園用の農具って、殆ど出尽くしたみたいね」
「プロの農家のお古は、譲っていただけないのかしら?」
クフシーンカが聞くと、緑髪の魔女は悲しげに首を振った。
「農業に関する【畑打つ雲雀】学派の術が得意な人は、農具なしでも作業できるし、プロ用の農具は、色々な術が付与してあるから高価だし、自治区の人が使うのは抵抗あるんじゃないの?」
「あぁ……」
クフシーンカは、半世紀の内乱前に都会で生まれ育ち、魔法使いの農作業を見たコトがなかった。
「野菜の種子は確保できたから、近々送ってくれるそうよ。食料品も、それまでに集まった分だけ一緒に。それと、空缶だったら集められるから、金属素材は必要ですかって」
「あれば助かるとは思いますが、空缶でしたら、救援物資の缶詰などからも出ますので……それより、金属を熔かす燃料の不足が深刻なんです」
「自治区は経済制裁の対象から外されてるのに? 何があったの?」
運び屋が首を傾げ、緑色の髪がさらりと肩から流れる。
「自治区内にある工場でも、本社がクレーヴェルなど外部にある企業は、制裁に引っ掛かるので売ってもらえません」
「それがあるんだったわね」
運び屋が苦い顔で頷く。
「自治区資本の工場は、資金繰りが厳しいんですの。外へ売る部品を作っていた所は、取引先が倒産して、特に」
「あぁ……」
「今は、自治区内で使える自転車の部品や、お鍋に転用する所もありますが、なかなか」
東教区の住民は資力に乏しく、作っても滅多に売れない。
西教区の富裕層も、外部の取引先の倒産による資金繰りの悪化、それにネミュス解放軍の侵攻で受けた損害の補填などが重く圧し掛かり、現在はどこの家庭も財布の紐が固かった。
裕福だった菓子屋の一家も、夫は一日中仮設工場で働き詰め、妻は料理教室と識字教室の講師に加え、あちこちで日雇いの仕事や、クブルム街道での採取に精を出す。
小学生の息子は、給食が一番豪華な食事だと言う。店舗の再建費用を少しでも稼ぐ為、学校が休みの日には、使い走りもする。
家族が一人も欠けず、住居が無事だった菓子屋でさえこの有様だ。
星の標ではなくとも、家屋や職場が流れ弾に被弾し、西教区でも死傷者が出た。一家の大黒柱を失った世帯の暮らしは更に厳しい。
それでも、貯蓄があるだけ、東教区より遙かにマシだ。自宅の中庭で家庭菜園でき、そこに居た地虫も食料品と交換できる。
「あなたが、みんなの食堂宛に書いたお礼状兼要望書、他の団体に見せてもよければ、農具と燃料の調達、何とかなるかもしれないけど、どう?」
「ほかの団体と言うのは、どちらへ?」
「星界の使者よ」
「えぇッ?」
みんなの食堂は宗教色のない慈善団体だが、星界の使者はキルクルス教系慈善団体だ。魔法文明圏に所在するみんなの食堂と、バルバツム連邦にある星界の使者に接点はないだろう。
「SNSで連絡取ってみたいって代表の人が言ってるの。リゴル社長なら、あなたの筆跡も知ってるし、自治区からの要請が本物だってわかるから大丈夫なんじゃないかしら?」
「よろしくお願いしますとお伝えいただけますか?」
「任せて」
緑髪の魔女は、いつも弩入り、魔法であっと言う間にどこかへ去った。
☆自治区は経済制裁の対象から外されてる……「1844.対象品の詳細」「1846.自治区も影響」「1882.送られた種子」参照
☆みんなの食堂宛に書いたお礼状兼要望書……「1882.送られた種子」参照
☆みんなの食堂は宗教色のない慈善団体……「1283.網から漏れる」「1441.家出少年の姿」参照
☆星界の使者はキルクルス教系慈善団体……「1321.前後での変化」「1322.若者への浸透」参照




