1977.既得権益の壁
小中学校の空き教室で、プランターと苗ポット作りが始まった。
プランターは建築端材の木工で、苗ポットは蔓草細工だ。どちらも、現在のリストヴァー自治区では入手が容易い。
東教区の農地開拓も本格的に始まったが、こちらはまだまだ時間が掛かる。
プランターなら、何種類かの野菜は七月半ばの今から種蒔きしても、秋の収穫に間に合う。
苗ポットは、畑が完成するまでの仮植えだ。
西教区の農家は、農業組合長を始めとして、東教区の農地開拓に難色を示す者が多い。クブルム街道復旧事業と比べると、協力を申し出る者が大幅に減った。農具や工具、木材を運搬する車両も全く足りない。
東教区の町工場が、アミトスチグマ王国の慈善団体から送られた金属素材を使って、鍬とシャベルを製造した。農具の一部はなんとかなりそうだ。
雑木の伐採は、木工場が「鋸を職人以外に触らせない」を条件に引受けた。建築分野を掌る星道の職人フェロスも、伐採に協力すると言う。
今日は、大工のフェロスが同じく星道の職人であるクフシーンカ宅を訪れ、打合せだ。クフシーンカは縫製を掌り、分野は異なるが、聖典の深い部分を知る者として心安く話せる。
「兵隊さんたちが、経済制裁や何かで輸入が停まって大変だって言ってますし、自治区民同士で既得権益がどうのっなんて言ってる場合じゃないんですけどね」
「私もそう思いましてね、区長さんに相談してみたのですけれど、農業組合長さんが聞く耳持たないそうなのですよ」
ネミュス解放軍の襲撃を受け、星の標は武装解除された上で組織を解体された。
異端の教えに基づく迫害は鳴りを潜めたが、同時に自警団の戦力が著しく低下。ネモラリス政府軍の駐留開始後、魔獣や野生動物の被害は発生しなくなったが、野菜泥棒は以前より増えた。
逆に、農場での働き手は、解放軍との戦闘や、その後の自治区民による報復、病気などで減少。農地や車輌、農機なども一部が戦闘に巻き込まれて破壊された。
農場主は労働力不足を東教区から補おうとするが、労働条件が悪く、一回目の給料を受取ってすぐ辞める者が後を絶たない。燃料不足で農機の稼働率を下げざるを得ないが、人手不足を解消できないでいた。
この上、東教区で本格的な農業が始まれば、ますます労働力が足りなくなる。
「条件をよくすればいいのに」
大工のフェロスが呆れる。
「それがなかなか、以前の感覚が抜けないみたいですし、素人に農業の専門知識と技術を教えてやってるんだから、研修費用を差し引いて何が悪いんだって言う人も居るそうなんですのよ」
「手作業で畑仕事するのは、想像しただけでもキツそうですけど、給料、そんな安いんですか?」
「このご時世ですから、おカネではなくて食べ物で払うのですけれど、共同仮設工場の半分くらいだそうなんですの」
「そりゃ酷い」
重労働に対して、支払われる食料が少なければ、身が持たない。
「お仕事は朝六時から夕方六時まで。今は暑いですから、お昼休みは十二時から三時までだそうですけれど、それでも、ねぇ」
通勤時間も入れると、拘束時間がかなり長くなる。
昼休みが長いとは言え、交通手段が徒歩や自転車では、自宅との往復だけで終わる農場が多い。だが、農場主の大部分は防犯を理由に雇人を家へ入れなかった。
東教区在住の農場労働者は、西教会、農業組合会館、リストヴァー大学の庭や学食など、一般開放された場所で休憩し、暑さをやり過ごすしかない。
「作業の合間に飲むお水と塩は、ちゃんと用意してあるそうなんですけれど」
「そんなの当り前じゃないですか。死にますよ。こんな暑いのに」
大工のフェロスが憤った。
まだ七月半ばだが、日中の最高気温が三十度を超える日もあり、屋外作業には熱中症の危険が付き纏う。
かつては、東教区在住者が西教区の農場を手伝うことは稀で、あっても農繁期に短時間だけだった。
以前より長期で、労働時間が長く、作業の種類、量ともに増えたが、一日分の日当は気持ち程度しか増やさない農家が多い。
それなりの報酬を出す農家は、昼休みに東教区の雇人を自宅へ招じ入れ、報酬とは別に昼食を出した。彼らの農場では雇人の定着率が高い。慣れた者が多い為、作業が手際よく進んで、結果的に安くついた。
「上手くいってるトコの真似すればいいのに」
「農業のノウハウを教えたら、東教区の農場が成功して、既得権益を脅かされると思う人が多いみたいなんですよ」
リストヴァー自治区の住民は、魔力の有無はさておき、全員キルクルス教徒だ。魔法で身を守れない為、ラキュス湖に出て漁をする発想がなく、食料生産は農業しかない。
西教区の農家は、自分たちこそが自治区民の命綱であると自負する。
食料生産の責任感が強く、技術が高く、農業に不利なこの土地で三十年余り、生産性向上に努めてきた。この為、他の層より政治的な発言力を求める者が多い。
リストヴァー自治区の区議は、過半数が農家で、残りは工場主などの資本家だ。人口が多い東教区在住者は、選挙の供託金を用意できず、そもそも出馬できない。
唯一の国会議員ラクエウスは、音楽家から政治家に転身した稀有な例だ。
自治区開設当初の第一期は、彼の音楽家としての人気と政治手腕が評価された当選だった。だが、二期目以降は、誰からともなく、農家と資本家の力関係を崩さないようにとの思惑が働き、一度も落選せず三十年経った。
今回、東教区の山裾に拓く農地は、山林と住宅地の緩衝地帯を兼ね、東西に細長い。面積は微々たるものだが、西教区の権力志向が強い層にとっては、目障りらしかった。
「店長さん、こっちはこっちでできることをしましょう。伐採した木の運搬はどうなりました?」
「ウェンツス司祭様が掛け合って下さって、町工場が幾つか、トラックを出してくれるそうです」
「木は校庭の隅っこに置かせてもらうんですか?」
「それも、工場が資材置場を提供してもいいそうですが、月々の利用料が欲しいと」
「まぁ、倉庫代もタダじゃありませんからね」
大工のフェロスは、ぬるくなった香草茶を啜った。
☆東教区の農地開拓/東教区の町工場が(中略)鍬とシャベルを製造/雑木の伐採に協力……「1926.ソルニャーク」参照
☆農業組合長を始めとして、東教区の農地開拓に難色を示す……「1882.送られた種子」「1883.担い手の育成」参照
☆クブルム街道復旧事業……「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」参照
☆アミトスチグマ王国の慈善団体から送られた金属素材……「1440.電脳世界の縁」→「1489.小麦を詰める」参照
☆ネミュス解放軍の襲撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照
☆星の標は武装解除された上で組織を解体……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」「0941.双方向の風を」~「0943.これから大変」参照
☆その後の自治区民による報復……「0991.古く新しい道」参照
☆共同仮設工場……「1453.仮設工場計画」「1454.職場環境整備」「1572.今は菓子の為」「1573.中級の技術者」参照
☆ラクエウスは、音楽家から政治家に転身……「0214.老いた姉と弟」参照




