0201.巻き添えの人
アミエーラは、戦争に巻き込まれたラクリマリス人の存在に驚いた。
よく考えれば、それもあり得ないことではない。
内戦が終わったのは、ほんの三十年前だ。
親戚や知り合いが、終戦合意で分かたれた国に居ても不思議はなかった。
国は分割されたが、ネモラリス共和国とラクリマリス王国は、友好関係にある。貿易も盛んで、信仰も同じフラクシヌス教だ。
ネモラリスは、国内のキルクルス教徒を自治区に集め、ラクリマリスはヴィエートフィ大橋を通して国外追放した。
ファーキルと名乗った少年は、身の上やネーニア島北部の様子を淡々と語る。
どこか他人事めいて聞こえるのは、悲しみが大き過ぎて受け容れられないせいかもしれない。
グロム市はラクリマリス領とは言え、同じネーニア島内だ。
少し遠いが、このザカート隧道から一番近い街まで行けば、後は普通に公共交通機関で帰れるだろう。
「俺は、直接見たワケじゃないんですけど……」
ファーキル少年は、無表情のまま話を続ける。
「弱ったお年寄りが殺されて、灰にされて、【魔力の水晶】を抜かれたり、孤児になった子……あの、俺よりずっと小さい子がどっか売り飛ばされたりとか、そう言う噂も色々聞いたんで……」
その言葉で、パン屋の青年と魔法使いの工員が顔を強張らせた。彼らの妹たちも不安な眼差しを兄に向ける。
アミエーラもモーフを見た。その件をどう思うのか、モーフの表情からはわからなかった。
「あの、その子たち、気を付けてあげて下さい」
ファーキルはそれだけ言って口を閉ざした。
パン屋と工員が、妹たちを抱き寄せる。
星の道義勇軍の隊長が、重苦しい沈黙を破って質問する。
「食料の配給があったそうだが、量と頻度はどうだった?」
「日によってマチマチでした。……一日一回、堅パンひとかけらの日もあれば、一日三回、缶詰と堅パンの日もあって」
ファーキルは宙を睨んで沈黙し、再び口を開いた。
「炊き出しのあったかいスープも何回かありました。……えーっと、全くなしの日は全部で……二、三日くらいだったかな? それでも、水はもらえたし……あ、そうだ」
急に話を止め、自分の鞄を探る。灰色のトレーナーと半袖の肌着を引っ張り出してファスナーを閉じた。
「服ももらいましたよ。あの……よかったら、どうぞ」
ファーキルが、モーフにトレーナーと肌着を差し出した。
ボロを纏ったモーフは驚いた目で少年と服を交互に見る。
何も言えない少年に代わって、隊長が聞いた。
「いいのか?」
「えぇ。俺は、これがあるんで……トレーナーは夜、寒かった時に上からちょっと着ましたけど、彼が気にならないなら、どうぞ」
「そうか。ありがとう。……モーフ、受け取れ」
隊長に命じられ、モーフはおずおず手を出した。ファーキルがその手にそっと服を置く。
「あ……えーっと、ありがとう」
何とか声を絞り出したモーフに運転手が笑って言った。
「坊主、女の子の見てる前で着替えンじゃねぇぞ。あっちでやれ」
モーフは素直に頷いて、運転席の後ろにある小部屋に入った。
「ガルデーニヤまで行っても、居場所なさそうだなぁ……もっと北か」
工員が妹の背中を撫でながら呟いた。
……食べ物は、湖の民の人が何とかしてくれるけど、燃料って足りるのかな?
アミエーラは荷台の中を見回した。
燃料タンクらしきものは幾つかあるが、それぞれの残量がどれだけで、どこまで走れるか、アミエーラにはわからなかった。
それにファーキルが耳にした噂が本当なら、このトラックも略奪に遭うかもしれない。
……でも……じゃあ、どこへ行けばいいの?
アミエーラたちキルクルス教徒が、ラクリマリス領へ行くのは危険な気がした。
そうかと言って、ネーニア島北部へ行って無事でいられる保証はない。
こちら側は、ゼルノー市よりもアーテルに近い。ラジオの報道が事実なら、空襲は何とか防げたらしいが、それもいつまで持つかわからなかった。
どちらに行っても、アミエーラたちにとって、危険なことに変わりはなかった。
「あの……それで、私……考えたんですけど……」
湖の民の薬師が、小さく手を挙げて恐る恐る言った。みんなの目が集まる。
モーフも着替えを終え、小部屋から顔を出した。
「あの……ラクリマリスで難民申請するのはどうかなって、思うんです」
座が静まり返る。
湖の民の薬師は、アミエーラたち自治区民を見回して静かに決意を口にした。
「私は、歩いてでも行きます。キルクルス教徒のみなさんとは、ここでお別れかもしれませんけど……」
モーフは小部屋の前に腰を降ろして、湖の民の薬師を見詰める。
アミエーラたちの信仰は、言わなければわからない。
湖の民は、ほぼ全員が魔法使いだ。緑髪の人物と行動を共にするキルクルス教徒が居るとは、夢にも思われないだろう。
自分の中で、信仰と折り合いを付けられさえすれば、難しくない選択だ。
……それに、私は魔女なんだし……魔法はひとつも使えないけど……
店長がくれた数々の魔法の品が、今もアミエーラを守ってくれる。
薬師は、陸の民の工員に目を向けて続けた。
「クルィーロさんたちのご家族は、クレーヴェルにいらっしゃるかもしれないんですよね? ラクリマリス領を通ってフナリス群島からネモラリス島に渡る方が、空襲がない分、安全だと思うんです」
青いツナギの工員と、彼の妹が小さく頷く。
アミエーラは思い切って言った。
「私は賛成です。キルクルス教徒だからって、幾らなんでも命までは取られないでしょうから」
何人かが頷いたが、隊長の表情は変わらなかった。
何となく、みんなの視線が運転手に集まる。
運転手は居心地悪そうにみんなを見回した。
「じゃあ聞くけどよ、いつ頭の上に爆弾が降ってくるか知ンねぇ北へ行くのと、少なくとも、爆弾にやられる心配だけはねぇ南へ行くのと、どっちがいいんだ?」
みんな口を開きかけて、何も言わない内に閉じてしまう。
二度と再会することはないだろうが、ここで二手に分かれた方がいいのか。
一か八か、全員で北か南へ行った方がいいのか。
少なくとも、湖の民の薬師は、自分一人で歩いてでも南へ行くと言う。
彼女が抜けてしまえば、この一行の生存率は一気に下がってしまう。
今度は、隊長に視線が集中した。
「北の様子は彼が教えてくれたが、南は情報がない。救援物資は【無尽袋】に詰めて魔法で運べば済む。なのに何故、この道だけ突貫で復旧させたと思う?」
予想外のことを問われ、みんな思い思いに考えた。
ラクリマリス王国は、魔法文明に重きを置いた両輪の国だ。
魔法の袋【無尽袋】なら、人の手で一度に大量の荷物を運べる。
ネモラリスに土地勘を持つ者が【跳躍】すれば、道の状態は関係ない。
ただ、【無尽袋】には、生き物を入れられなかった。
……多分、逃げて来た人を送り返すついでに救援物資を運ぶから……なんでしょうね。
アミエーラはそう結論した。
親戚や知人など、住まわせてくれる宛がある者ならともかく、全く無縁の難民が大挙して流入しては、ラクリマリス王国も破綻しかねない。
南の王国も、三十年前の内乱から復興途上にあるのだ。
……それでも、何にもなしで追い返したんじゃ、あちこちから批難されるから、服や食べ物をたっぷり持たせて、追い返すんでしょうね。
アミエーラは、モーフの服を見て思った。
灰色の無地で、左胸に小さなポケットがある。暖かい衣服のお陰か、痩せた少年は少し顔色がよくなった。
「……情報、ありますよ」
戦争に巻き込まれた王国民のファーキルが、緊張に震える声で言う。
みんなに注目されて小さくなりながら、ポケットから何かを引っ張り出した。




