0200.魔獣の支配域
ラクエウス議員は、航空カメラマンに電子記録式カメラを差し出された。背面の小さな画面に目が釘付けになる。
隊長の意見を聞こうと、隣をチラリと見た。彼もまた、驚愕と恐怖に脂汗を浮かべる。視線に気付き、口を開いた。
「……魔獣です」
春の穏やかな日射しとは言え、真昼の陽光の下で堂々と活動する。
街区ひとつ分を丸ごと埋める巨体が、赤黒くぬらぬらと陽光を反射した。鼻なのか触腕なのか、巨大なホースのような部位を揺らし、獲物を待つ。
「高度を上げろ。西へ……あれの攻撃圏外に離脱せよ」
隊長が動揺を押し殺した声でパイロットに命じた。どこまで逃げれば安全なのか見当もつかない。機体が高度を上げ、ヘリは急速に現場を離脱する。
……何人が、あの化け物の餌食になったのだ?
調査団長のラクエウス議員は、小刻みに震える拳を握って、隊長と顔を見合わせた。軍用とは言え、偵察ヘリの装備ごときでは、あの巨大な魔獣に到底、歯が立たない。
「この件も早急に報告し、駆除隊をマスリーナ市へ派遣せねばなりません」
隊長は、有無を言わさぬ口調でそれだけ言うと、窓の外に視線を転じた。
調査団長のラクエウス議員が頷いてみせる。隊長は視界の端で捕え、一瞬、驚きに目を見張ったが、すぐ眼下の状況に集中する。
ネモラリス軍の駆除隊は、主に魔装兵で構成される。
敬虔なキルクルス教徒であるラクエウス議員が、派遣要請を出さないと思ったのだろう。
測量会社のカメラマンは、既に動揺から立ち直り、撮影に戻った。
マスリーナ市の生存者は、居ないものとするしかない。
隊長は、後続の輸送トラックにマスリーナ市を大きく迂回するよう、無線で指示を出した。
港町の廃墟が遠ざかる。
ラクエウス議員の目にも、倒壊を免れたビルの残骸と、異形の魔獣がポツリと見えた。それもすぐ小さくなり、やがて見えなくなる。
……あれを科学の武力だけで屠るには、どれだけの弾薬が必要なのだ?
終戦から三十年を経た現在も、復興予算に圧迫される防衛予算を思い、ラクエウス議員はそっと息を洩らした。
兵士が自前の魔力で戦う分には、大した予算は掛からないと、増額の要望を一蹴するのが、予算委員会で交わされる毎年お決まりの遣り取りだ。
そしてまた、道半ばだった復興は、振出しに戻ってしまった。
……本当に、自治区の信徒を救う為に、ここまでする必要があったのか?
ネーニア島東岸部には、陸の民……それも、力なき民が多い。大部分がフラクシヌス教徒だが、彼らは魔法使いではない。
異教徒だからと言って、魔法使い諸共葬り去る非道なやり口に、ラクエウスは違和感を覚えた。
内陸部に進路を変えた調査ヘリが、隊長の命令で再び南下する。
調査団の最終目的は、ネモラリス領最南端のリストヴァー自治区の現況確認だ。
この分では、近隣のゼルノー市やクルブニーカ市も、どうなったことか予測がつかない。
クルブニーカ市は、製薬会社や医療機器メーカー、病院などが集積した医療産業都市だ。魔法使いの医療者も多い。周辺住民の負傷者などは、あそこに避難した可能性が高かった。
だが、帰路の燃料に懸念がある。
内陸寄りのクルブニーカ市には寄らず、ニェフリート河畔を飛び、ゼルノー市西部の状況を確認した。焦土の中にポツリポツリと、鉄筋コンクリートのビルが焼け残る。
調査ヘリは、セリェブロー区とゾーラタ区に跨る官庁街上空を過ぎ、農村部に入る。こちらは、空襲被害がなかった。ヘリがゆっくりと高度を下げる。
家屋と農地は無事だ。
天気はいいが、畑へ出て農作業に勤しむ人の姿はなかった。通りにも全く人の気配がない。
ここもいつ、空襲に遭うとも知れず、どこか北の方へ避難したのだろう。
それだけでなく、避難民が暴徒と化し、無事だった地域で略奪を働いたとの情報もあった。
ゾーラタ区を斜めに突っ切り、調査ヘリがミエーチ区に入る。
大部分が住宅街だったここは、更地に還るまで焼き尽くされた。空襲前のテロで、どの程度の損害を被ったのか、今となっては些末事に思える。
焦土を抜け、工業地帯のグリャージ区上空に差し掛かった。
沿岸部を埋め、半世紀の内戦後の復興を担った工場群が骸を晒す。
折れた煙突が、穏やかな春の日差しに暖められる。
人影のない廃墟群を抜け、調査ヘリはリストヴァー自治区に侵入した。




