1946.森林へ至る道
薬師アウェッラーナは、左手だけに着けた軍手をそっと撫でた。【不可視の盾】は、朝食後に掛けたが、展開の合言葉はまだだ。
迎えに来た林業組合のワゴン車の窓をデレヴィーナ市の街並が流れてゆく。木造民家が多いのは、林業が盛んな土地柄だからだろう。
アウェッラーナたちの乗ったワゴン車の前を工事業者のトラックとワゴン車が走る。北に広がる森の入口から、絶光蝶の養殖場までの道を補修するのだ。
先日、なんだかよくわからない流れに乗せられ、素材屋プートニクと一緒にデレヴィーナの森へ入って、彼らの護衛をする羽目になった。
ラゾールニクが勝手にアウェッラーナの学派が薬師の【思考する梟】だとバラしたせいで、救護担当として森へ同行させられるのだ。
アウェッラーナは、ヤーブラカ市での鱗蜘蛛退治の件を思い出し、身震いした。
あの時は、後方支援として、クルィーロが建てた【真水の壁】で囲まれた場所で待機だった。
ヤーブラカ市警の警官隊も【真水の壁】で鱗蜘蛛を囲んで戦ったが、あっさり破壊され、何人もの警察官が命を落とした。
今回、そんな守りはない。
戦う力を持つ同行者は、素材屋プートニクとデレヴィーナ市林業組合所属の狩人二人だけだ。
開戦後、魔獣駆除業者や警備員、狩人などが軍に徴用され、空襲被害が酷かった地域へ派遣された。
防壁と家屋を失った都市の住民はそれで助かり、トポリ市では空港の早期復旧にも繋がった。
立入禁止区域の指定はまだ解除されないが、ジョールチたちがレーチカ市で情報収集した限り、市街地に入り込んだ魔物や魔獣が駆除され、瓦礫の撤去や防壁などの復旧工事はかなり進んだらしい。
それでも指定を解除できないのは、それだけ、死者が多かった地域では、魔獣などが強化され、まだ完全に排除しきれないからだろう。
開戦から二年以上経つ。
駆除や狩猟の圧が減った地では、魔物や魔獣が増えた。
その皺寄せで、地場産業が大打撃を受け、その産業界隈の生活が破壊されたのでは、本末転倒だ。
税収は落ち込んだが、地元の役所までもがクリウペウス政権のやり口に反発し、住民の課税逃れを黙認する。
……この辺の地元民は湖の民ばかりだから、余計にそうなんでしょうけど。
税収が上がらなければ、仮設住宅の入居者に対する支援は細る一方だ。
ネミュス解放軍は、地元商店街を援助して仮設住民の生活扶助を依頼する。仮設を直接支援すれば、地元民との間に軋轢を生じるが、双方を立てて融和を図る上手いやり方だ。
薬師アウェッラーナは、デレヴィーナ市内の仮設住宅へは情報収集に行かなかったが、様子を見に行ったDJレーフの報告では、ここも、ホールマ市の支援体制とほぼ同じらしい。
他所事を考えてみたが、却って気持ちが掻き乱されただけだ。
アウェッラーナは、助手席のラゾールニクを睨んだが、真後ろからでは気付きようがない。
敢えて徽章を隠して行ったにも拘わらず、ラゾールニクはアウェッラーナの学派を勝手に林業組合の職員に明かしてしまった。
そのせいで、逆らえない流れに乗せられてしまったようなものだ。
しかも、力なき民のレノ店長まで連れ出すとは、一体どう言う了見なのか。
クルィーロも、魔法使いとは言え、戦う力などないに等しい。
非戦闘員の身に何かあったらどう償うつもりなのか。
ワゴン車は、薬師アウェッラーナの思いを他所にデレヴィーナ市内の道路を駆け抜け、防壁の門を潜って北に広がる狭い平野へ出た。
目と鼻の先で、デレヴィーナの森が昼なお暗い木立を連ね、その背後にはウーガリ山脈が聳える。
アスファルトの二車線道路は、森へ向かって真っすぐ伸びる。広い歩道は呪印を刻んだ石が敷かれ、【魔除け】の石碑が等間隔に並ぶ。
道の沿ってしばらく畑が続き、牧場に変わったかと思うと、資材置場で車列が止まった。
伐り出した木材の枝打ち作業場も兼ね、降りた途端、木の香りに包まれる。
切った枝が大きさ別に束ねられ、手際よくトラックに積み込まれる。葉は全て外され、フレコンバッグに詰めて、建物の向こうへ次々と運ばれた。
資材置場の一角にブルーシートで覆われた塊がある。
工事業者がトラックから降りると、林業組合のフォークリフトが来て、パレットごと【魔除け】など護りの呪印が刻まれた石材を降ろし始めた。
作業員たちは、ブルーシートの下から小型の荷車を引き出す。
木製だが、【頑強】と【軽量】の呪文と呪印が刻まれ、かなりの重量を運べる代物だ。一台は空で、もう一台には既に魔法の敷石が積んである。
「まず、古い敷石を回収して、整地し直してから、新しいのを敷きます」
「古いのって廃棄処分っスか?」
ラゾールニクが作業員に聞く。
「いえ、呪文や呪印の摩耗だけの物は、苔や地衣を取除いてから彫り直して、別の現場で使います。割れたりしたのは、術で粉砕して固め直して石材に加工するんで、基本、廃棄処分ってのはないですね」
「へぇー、【巣懸ける懸巣】学派の術ってそうなってるんスね」
ラゾールニクだけでなく、レノ店長とクルィーロも作業員の話に感心して頷く。
「私は【巣懸ける懸巣】学派で実際、工事もしますが、敷石を加工するのは【編む葦切】学派で、砕くのと石材への加工は【穿つ啄木鳥】学派ですよ」
「道に敷き直す作業は、俺たち【穿つ啄木鳥】もできますよ」
改めて見ると、四人来た作業員は、三人が土木分野の【穿つ啄木鳥】学派の徽章だった。




