1945.報道の中立性
イーニー大使は、ラクエウス議員の白い眉の下にある目を見て答えた。
「その記者個人は、一方の言い分にのみ情報が偏り、他方の言い分を全く伝えないのは、報道倫理に悖るので、ネモラリス共和国について、共通語でもっと情報を出したいのだそうです。しかし」
日之本帝国は、バルバツム連邦と軍事同盟を結び、政治・経済の面でも関係が緊密だ。
日之本帝国は国教を定めず、憲法に信教の自由を明記する。厳格な政教分離で、政治家が祈りの場へ足を運んだだけでバッシングが起きる。
キルクルス教徒は極少数で、大半が無神論か、独自の土着信仰をゆるやかに信心する。
宗教的な柵がない為、国際社会では独自の立ち位置にある国だ。
「本社の意向で、ネモラリス大使館や国連大使のアカウントが共通語圏でいきなり削除され、運営会社や現地政府に対する抗議も黙殺された件については、報道できないのだそうです」
「政治的な圧力があったのかね」
「恐らく」
日之本帝国側の忖度か、時流通信社の自主規制か、バルバツム連邦の外圧か。いずれにせよ、ネモラリス共和国側の言論が、インターネット上で封殺され、その事実すら報道されないことに変わりがなかった。
「各大使館のフォロワーは勿論、アカウントが突然削除された件に気付きましたが、特に問い合わせなどはないと申しましょうか、連絡手段がない状態です」
「何故だね? 電話は、まだ……今月いっぱいは使えるのだろう?」
「通話料が掛かりますからね。それに、わざわざ電話帳で調べる手間を掛けてまで知りたいかと言うと、現地人にとってはそんなコトはなく」
大使と老議員は、同時に肩を落とした。
平和な頃の風景や民族衣装の写真、郷土料理の作り方、年中行事の紹介など、他愛ない投稿に賛意を寄せ、業務連絡の拡散に協力した人々は、ゆるく細い縁でしかないのだ。
このままでは、ネモラリス共和国の実像が国際社会から失われ、アーテル共和国によるプロパガンダや偽ニュースで作り出された「悪しき業を用いて世界を破滅へ導く邪悪な魔法使いの国」とのイメージだけが定着してしまう。
「時流通信の記者は、湖南経済新聞とも連携して、私共、駐アミトスチグマ王国大使館のアカウントが削除される前に、これが何を伝えるものであるか報道し、記録に残すことで、報道の中立性を保ちたいのだそうです」
「迂遠ではあるが、それがギリギリなのだな」
「そのようで……あ!」
応接机の上で、イーニー大使のタブレット端末が震えた。
手に取った大使は、慣れた手つきで素早く画面をつつく。
ラクエウス議員は、すっかり冷めた香草茶を口に含んだ。潤いを得たことで、口の渇きを自覚した。
……少なくとも、SNS運営会社のアミトスチグマ支社は、今のところ、バルバツム本社の意向とは別に動いておるのだな。
イーニー大使の当たり障りないアカウントも、「真実を探す旅人」として、ネモラリス共和国や難民キャンプ、魔哮砲戦争などに関して際どい情報も発信し続けるファーキル少年のアカウントも、無事だ。
ユアキャストの動画も削除を免れてはいるが、どちらも、いつどうなるかわからない。
クラウドファンディングは、既にページを非表示にされた。
難民キャンプの生殺与奪の権をバルバツム連邦の民間企業に握られるなどとは、全く思いもよらなかった。
「時流通信の記者からでした。自社サイトに掲載し、通常通り、提携する各報道機関への配信もしたそうですが、媒体への掲載は各社の個別判断になるので、載らない可能性もあるそうです」
「少なくとも、時流通信の自社媒体には載ったのだな?」
「はい。URLを送ってくれました」
向けられた画面に時流通信社のサイトが表示される。
共通語で書かれた記事は、インタビュー動画の要旨だ。同じ記事が、日之本帝国語版ページにも翻訳されて掲載されたと言う。
記事下の関連記事リンクには、国連安全保障理事会によるネモラリス共和国に対する武器禁輸措置採決の詳報、武器禁輸措置対象品目の「通信」と「食料品」の個別にページ立てした項目、経済大国二十カ国会議による経済制裁の詳報、難民キャンプの苦境、アミトスチグマ王国による支援、国連の難民キャンプ撤退などの見出しが並ぶ。
「一般記事なので、サイトでの公開期間は一年で、新着記事が来ればすぐ流れるそうですが、まったく反論できないよりはマシです」
「削除の件について語ったのかね?」
「いえ、それは絶対言わないように釘を刺されました」
この記事が、どれだけ人目に触れるか。関連記事にまで目を通す者が、どれだけ居るか読めない。
それでも、察しのいい者なら、他の国々のネモラリス大使館のアカウントが一斉に消えた理由に気付くだろう。
だが、それが一切報道されないことや、その不自然さにまで意識を向けられる者が、一体どれだけ居るだろう。
「はっきり言えないのはもどかしいですが、まだアカウントがある内にせいぜい拡散してやりますよ」
イーニー大使は不敵な笑みを浮かべ、この記事へのリンクを貼ってSNSに投稿した。
〈イーニー大使が時流通信社のインタビューを受けました。
リンク先にはノーカット動画(約十五分間)もあります。〉
短いインタビューの中身は、ゆるい投稿の理由と、賛意や拡散、コメント、フォロワーに対する感謝だけだ。
その理由も、ネモラリス共和国の本国にはインターネットが未だに普及しておらず、半世紀の内乱からの復興も半ばで電話回線の復旧すらまだの地域があることがひとつ。そして、ネモラリス共和国の存在そのものと、どんな国であるかを知ってもらう為としか言わない。
いや、言えないのだ。
リンク先の記事を読むより先に拡散が進み、好意的なコメントが書き込まれる。
ラクエウス議員は、このゆるい繋がりが断ち切られぬよう、祈るしかなかった。
☆クラウドファンディングは、既にページを非表示にされた……「1933.資金調達遮断」参照
☆国連安全保障理事会によるネモラリス共和国に対する武器禁輸措置採決の詳報……「1842.武器禁輸措置」参照
☆国連の難民キャンプ撤退……「1400.攻撃対象選定」→「1606.避難地の現状」「1607.現実に触れる」「1851.業界の連携を」「1868.撤回への努力」参照




