1943.大使館の苦境
「そんなバカなコトが……!」
ラクエウス議員は驚きのあまり言葉が続かなかった。
いつも通り、ネモラリス共和国駐アミトスチグマ王国大使館の応接室で、老議員はイーニー大使と二人きりだ。
大使はタブレット端末を卓上に置き、老議員の方へ向けた。
「このSNSの本社がバルバツム連邦にあります」
イーニー大使が運営する駐アミトスチグマ王国大使館の公式アカウントだ。
個別メッセージではなく、公開の場でのやり取りらしいが、一方の当事者の発言は「削除されました」とだけ書かれた灰色の表示が続く。
大使は自分の発言部分に表示された相手方アカウントのリンクをつついた。
画面に「このアカウントは存在しません」との文言が、大きなフォントで表示されるだけで、何者のアカウントであったかさえわからない。
「バルバツム連邦に駐在するスメールチ国連大使のアカウントです」
「何? どう言うコトだね?」
スメールチ国連大使は、イーニー大使がネモラリス共和国を紹介する投稿の共通語訳と拡散を行い、政治的な発言などは慎重に避けてきた。
無論、利用規約で禁じられた暴言や差別発言、卑猥な発言やポルノ写真の投稿などもない。
「国連安保理の武器禁輸措置と経済大国二十カ国会議の経済制裁ですよ」
「それで何故、SNSのアカウントが消えてなくなるのだね?」
「SNSの運営会社からは連絡も発表もなく、突然、削除されたそうですが、おそらく武器禁輸措置の通信関連の項目絡みでしょう」
「あんな他愛ない投稿が?」
ラクエウス議員は、俄かには信じられなかった。
ネモラリス共和国の風景や民族衣装の写真、郷土料理の作り方の何がどう武器禁輸措置に抵触すると言うのか。
「電話会社とプロバイダからは、今月いっぱいで契約を解除する旨、連絡があったそうです」
「なんと……それでは、国連の業務にも支障が出るのではないかね?」
「勿論、我が国の国連事務局は各社に抗議しましたし、バルバツム連邦政府と国連本部にも、理不尽さを訴えましたが、どこにも取り合ってもらえなかったそうです」
電脳世界から、共通語で情報発信するネモラリス共和国の公的機関がひとつ消えれば、それだけ、アーテル共和国の一方的な言い分や偽ニュースが罷り通りやすくなる。
一方の言い分のみを鵜呑みにして他方を断罪するなどと、人としてあるまじき蛮行だ。だが、その「他方の声」が全くなければ、事の是非善悪や真偽の判断が困難になる。
国家間の訴訟では、管轄権の問題などがあり、一概に言えないが、個人や法人などが当事者となる民事訴訟の場合、応訴しなければ、手続き上、原告の訴えが全面的に認められる形で終わらざるを得ない。
一般に馴染みがあるのは、後者だ。
このままでは、アーテル共和国のプロパガンダに対抗できなくなってしまう。
「イーニー大使閣下や、他の大使館はどうだね?」
「今のところ、ここは大丈夫です。しかし、経済大国二十カ国とそれらの国々と関係が密な国にある大使館は、国連事務局と同じ憂き目に遭っております」
「いつの間にそんな酷いコトに……」
「経済制裁の発動後、特にインターネット関連はここ数日の動きです。しかも、それだけではありません」
イーニー大使は、大きく息を吐いて茶器を手に取った。香草茶の湯気を顔の高さに上げて言う。
「武器禁輸措置を理由に現地で食料品の販売を拒否されているそうです」
「そ、そんなことが許されるのか!」
ラクエウス議員は拳を握りしめた。
「勿論、抗議したそうですが、小売店に苦情を言っても仕方がありません。これも、現地政府や国連本部、経済大国二十各国会議の各国政府と事務局に対して、国際人道法の文民保護の規定に抵触する重大な人権侵害であると、厳重に抗議したそうです」
「向こうは……何と?」
老議員は結果を聞くのが恐ろしくなったが、先を促す言葉を絞り出した。
「魔法使いは、子供でも戦う力を持っているので文民には相当しないと解釈できると……食べ物くらい魔法で出せばいいと嘲弄された大使も居ります」
「そんな無茶な解釈を」
その理屈が通るならば、科学文明国圏で銃規制の緩い国は、文民が乳幼児など極少数に限られることになる。
例えば、バルバツム連邦では、保護者の監督下との条件付きではあるが、五歳から銃の携帯が許可される。
殺傷力を有する子供向けの可愛らしい意匠の小銃が、スーパーマーケットなどで当たり前に陳列され、安売りまでされるのだ。
子供による誤射で家族が殺傷される事故が毎年、一万件前後発生する。
彼の国では、五歳未満の乳幼児、精神疾患の患者、前科者以外は基本的に銃の携行を許される。
銃の扱いを知らないバルバツム人は殆ど居ない為、「バルバツム連邦人は女子供でも戦闘力がある」と看做せるだろう。
連邦銃協会は、銃の携帯は身を守る為に必要で、基本的人権のひとつであると豪語して憚らない。
対して、ネモラリス共和国に於いて銃の携帯が許可されるのは、職務遂行中の軍人と警察官、厳格な審査を経て特別許可を得た魔獣駆除業者と狩人だけだ。
彼らは業務に必要な場合を除き、銃の携行を認められない。また、民間業者が使う弾丸は、魔物や魔獣に対抗する呪印が刻まれ、非常に高価だ。
半世紀の内乱中、力なき民の間に銃と安価な通常弾が出回ったが、内乱終結後、ネモラリス政府とラクリマリス政府は、買取によって民間の銃を回収した。
約三十年経た現在でも、時折、田舎の物置などから古い銃が発見されるが、銃による事故や犯罪は、極めて少ない。
アーテル共和国では、魔獣に対する護身用として銃が広く普及するが、弾丸の大半は銀製で高価だ。
この三カ国では、バルバツム連邦のように一般人が学校やショッピングモールで自動小銃を乱射する事件が発生した例がなかった。
「現地では、ネモラリス共和国の外交官らの発言は黙殺され、この仕打ちは報道すらされないそうです」
「あちらの大使館の皆さんは、食事をどうしているのかね?」
「ウチを含む友好国の駐在大使館が調達し、先方さんが取りに来られます」
魔法の袋なら一度にたくさん運べるが、余計な手間と出費を強いられる。
外交官と老いた亡命議員は、同時に溜息を吐いた。
☆バルバツム連邦に駐在するスメールチ国連大使……「1196.大使らの働き」「1305.支援への礼状」「1323.小出しの情報」「1681.コメント確認」参照
☆ネモラリス共和国を紹介する投稿の共通語訳と拡散……「1229.名もなき肯定」参照
☆国連安保理の武器禁輸措置と経済大国二十カ国会議の経済制裁……「1842.武器禁輸措置」「1843.大統領の会談」「1844.対象品の詳細」「1851.業界の連携を」「1862.調理法と経済」「1868.撤回への努力」参照
☆武器禁輸措置の通信関連の項目……「1868.撤回への努力」参照
☆文民保護の規定に抵触する重大な人権侵害……「1851.業界の連携を」のあとがき【参考】参照




