1940.連邦との接点
翌日、六日目の夕食後。
シーテツは、ロークが泊まる部屋に来た。
見られて困る荷物は特にない。招じ入れ、書き物机の椅子に座らせて、ロークはベッドに腰掛けた。
「君か、運び屋さんのメールアドレスって教えてもらえないかな?」
「この端末、運び屋さんが、何かあった時の連絡用にって休暇中だけ貸してくれたものなんで、教えても仕方ないですし、他人の連絡先なんて勝手に教えられませんよ」
ロークはすらすら嘘をついて誤魔化した。運び屋フィアールカにもらったのは本当だが、使うのは今に限らない。
そもそも、ランテルナ島へ戻れば、湖底ケーブル破断の影響でインターネットが使えないのだ。
……何言ってんだ、この人。
ロークは幾つもの疑問が重なり、呆れた目で中年男性を見た。
シーテツは、晴れ晴れとした顔で笑う。
「君、やっぱり口が堅くてしっかりした子だな。今ので吹っ切れたよ」
「何がですか?」
「バルバツムに行くのは諦めて、この街も、見た感じ、俺にはまだ難しそうだから、ランテルナ島で頑張るよ」
「行き先は、それでいいんですね?」
ロークが念を押すと、シーテツはこくりと頷いた。
「あぁ。決めた。この手袋を買った日から、宿の人が水を操る術のコツとか教えてくれるようになったし、ネットで見た限り、バルバツムの魔法使い差別、かなり酷いみたいだから」
寂しげに言った顔から笑みが消える。
「渡航費とパスポート、どうする気だったんですか?」
「カネは、知合いが星界の使者に居るから、借金頼んで、パスポートは、ここに来るのに要らなかったから、何とかなると思ったんだけど」
「ホントは持ってないとダメですよ」
「えっ、じゃあ、俺たち密入国?」
「そんなようなものです。魔法文明圏では、【跳躍】や【飛翔】の術で移動できるから、出入国管理なんてできないんですよ。パスポートなしで渡航する人は、何かあっても、大使館に助けてもらうのが難しくなるから、自己責任なだけです」
ロークは、中年男性の見通しの甘さに頭が痛くなったが、忘れない内に情報収集する。
「シーテツさん、星界の使者に知合いが居るって、顔広いんですね」
「そんなコトない。元同僚が、バルバツムに移住して加入しただけだ」
「その人も、テキスタイルデザイナーなんですか?」
ロークは、元星の標から、慎重に情報を引き出す。
「いや、型紙製作者だ。バルバツムのファッション業界に憧れてた奴で、五年前に移住した。俺たちが居た会社を足場にしたんだろうな」
ロークには、服飾の専門用語も業界ルールもわからないが、シーテツは羨ましそうに語った。
「その人とはずっと連絡を取り合ってたんですか?」
「毎日ってワケじゃないが、まぁちょくちょくお互いの近況を知らせたりとかはしてたな」
「じゃあ、通信障害が起きてから、ずっと心配されてそうですね」
シーテツは淋しげに笑った。
「心配なら、もっと前からされてたんだ」
「えっ? いつ頃からですか?」
「戦争が始まってすぐだ。働き口は世話するから、早くバルバツムに移住した方がいいって言われたんだけどな。子供らの学校の件があるからって、断ったんだ」
シーテツは膝の上で拳を握って背を丸めた。
西神殿併設の巡礼者用宿泊施設は、簡素な寝台と書き物机があるだけで、殺風景だ。石造りの壁に宿の者が点してくれた【灯】が仄かな影を落とす。
アーテル共和国領に対するネモラリス軍の正式な攻撃は、何故か未だにないようだが、ネモラリス憂撃隊や個人で復讐するネモラリス人のテロ攻撃で、アーテル人も少なからず命を落とした。
軍の施設や警察署、教会などへの襲撃に巻き込まれ、一般人にも犠牲者が出た。
刑務所を襲い受刑者を解放して治安の悪化を招き、商店の倉庫を根こそぎにして物資不足や経済的に不安定な状況を作り出す。
ルフス神学校の礼拝堂を爆破し、多数の神学生を殺傷するなど、無差別爆撃に対する報復テロは、苛烈さを増す一方だ。
昨秋から続く魔獣の大量出現では、一部の召喚にも関与する。
土魚の大量出現で、通勤通学が困難になり、選挙の実施も危ぶまれた。
アーテル全土の学校で休校措置が取られ、通学不能に陥ったが、湖底ケーブル破断による通信途絶で、インターネットを介した授業はできない。また、教科書の電子化が進んだ地域では、教科書のクラウドにアクセスできず、自学自習すら不可能だ。
図書館や古書店は、学習関連の棚が軒並み空になった。
富裕層は、家庭教師の雇用や、学習塾への自動車送迎で対策するが、中流層や貧困層では、勉強できない者が続出。教会は古い紙の教科書を掻き集め、学習会を催すが、魔獣の出現状況によっては、それすら叶わない日もある。
キルクルス教は、学問を重視する。
シーテツの後悔は、ロークにも痛い程よくわかった。
「あいつの誘いに乗ってればとか、軍の特殊部隊に勧誘された時、転職してればとか、後悔しだしたらキリがない。俺に魔力があるってわかってから、家族がどうなったか気になるけど、俺が見に行ったりしたらもっと酷いコトになるに決まってる」
シーテツは、膝の上で握った拳を涙で濡らして捲し立てた。
……それって、俺にウンダ市まで様子見に行ってくれってコト?
アーテル本土東部のサリクス市には、同志アニモシタスが居る。だが、北西部のウンダ市には、ロークと接点を持つアーテル人は居なかった。
ひとしきり泣くと、シーテツは落ち着きを取り戻した。
「みっともないとこ見せてすまんな」
「いえ……大丈夫ですか?」
「あぁ。子供らももう中学生だ。妻も仕事を持ってる。俺を死んだ者として何とかやってくだろう」
右手の甲で涙を拭って上げた顔は、迷いが晴れたものだ。
……こんな時、フラクシヌス教の聖職者って、何て言って励ますんだろうな。
休暇の七日間は、シーテツの世話であっという間に終わった。
今日の日没前にはランテルナ島へ戻る。
ゆっくりするどころではなかったが、逆にローク一人で西神殿に泊まっても、七日間、途方に暮れるか、情報収集に明け暮れ、精神的に落ち着かなかっただろうとも思う。
ロークは、物珍し気に通りを眺めるシーテツを視界の端で捉え、ゆっくり歩く。
手芸店で、魔法の効果がない普通の布と糸、最低限の道具が小さくまとまった裁縫箱を買った。
「するコトないと、よくないコト考えたり、考えてもどうにもならん後悔ばっかりぐるぐる考えちまうからな」
「魔法の効果がない手芸品って、買取らないとこ多いし、買ってもらえても凄く安いですよ」
「いいんだ。手を動かしたいだけだから」
業務用の包装資材店でチャック付きのビニール袋を百枚買う。薬草採取用だが、これだけあれば、なくなる頃にはランテルナ島で同様の品が買えるだろう。
シーテツは、ロークの指示通り、薬草採取の注意点などを解説するサイトのスクリーンショットを撮ったと言う。
真っ当な生き方を取り戻す取っ掛かりを得た中年男性は、それをしっかり掴んでどん底から這い上がろうと懸命だ。
西神殿に戻ると、顔見知りの神官に呼び止められた。
「お元気になられたようで、よかったです」
「いえ、こちらこそ大変お世話になりまして有難うございました。何もお礼できなくてすみません」
シーテツが恐縮すると、緑髪の神官は微笑んだ。
「祭壇に魔力を捧げて下さったのでしょう? それだけで充分ですよ」
「大した力はないと思うんですが……」
神官が軽く息を吸い、湖南語でゆっくり唱える。
「湖上に雲立ち雨注ぎ、大地を潤す。
木々は緑に麦実り、地を巡る河は湖へと還る。
すべて ひとしい ひとつの水よ。
身の内に水抱く者みな、日の輪の下にすべて ひとしい 水の同胞。
水の命、水の加護、水が結ぶ全ての縁。
我らすべて ひとしい ひとつの水の子。
水の縁巡り、守り給え、幸い給え」
「湖の女神に捧げる祈りの詞です」
ロークが囁くと、シーテツは泣きそうな顔で頷いた。
神官が他の信者に呼ばれ、二人に会釈して離れる。
「バルバツムに渡った奴にメール送るよ」
「今からだと、返信を読めないかもしれませんよ」
「いいんだ。俺がどうなったか伝えたいだけだから」
荷物の整理も兼ね、昼食まで、宿でシーテツを一人にした。
☆星界の使者……「1321.前後での変化」「1322.若者への浸透」「1357.変化した団体」参照
☆軍の施設や警察署、教会などへの襲撃/刑務所を襲い受刑者を解放/商店の倉庫を根こそぎ……「0265.伝えない政策」参照
☆ルフス神学校の礼拝堂を爆破……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」「908.生存した級友」~「910.身を以て知る」参照
☆昨秋から続く魔獣の大量出現……「1218.通信網の破壊」「1219.白色の闇作戦」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」「1297.やさしい説明」「1442.大繁盛の理由」参照
☆一部の召喚にも関与……「1698.真夜中の混乱」~「1700.学校が終わる」 参照
☆アーテル全土の学校で休校措置……「1260.配布する真実」「1636.代理者の考察」参照
☆教科書の電子化が(中略)自学自習すら不可能……「1654.分かれた教育」参照
☆図書館や古書店は、学習関連の棚が軒並み空
図書館……「1652.空疎な図書館」参照
古書店……「1685.感知する才能」~「1687.連鎖する支援」参照
☆富裕層は、家庭教師の雇用や、学習塾への車での送迎で対策……「1701.薄暗い可能性」参照
☆教会は古い紙の教科書を掻き集め、学習会……「1653.教会の勉強会」~「1655.憎しみの連鎖」参照
☆ウンダ市……シーテツはウンダ市出身「1901.星の標の内情」参照
☆サリクス市には、同志アニモシタス……「1694.足りない業者」参照




