1938.付与術の仕組
このカフェは、商談などに使われるらしく、客は【編む葦切】学派の徽章を提げた職人と、会社員風の者たちの組合せが多い。
観光客らしき者も何組かいて、ロークと元星の標シーテツも、特にジロジロ見られることなく、二階の個室へ案内された。
一番安い香草茶をティーポットで注文し、二人で分ける。
「魔法の服に呪文や呪印を入れるのは、染めが一番安くて、織物は桁違いに高価です。刺繍は何をどう入れるかでピンキリですね」
「手間が掛かる物順で値が張るんだな」
シーテツがしみじみと、元テキスタイルデザイナーらしい感想を述べる。
「それもでしょうけど、一番の理由は、籠められる魔力量とかの違いですよ」
「えッ?」
ロークは、呪符屋の業務経験と、魔法のカワイイ物屋さんのクロエーニィエ店長から聞いた話を基に説明する。
「まず、素材によって保持できる魔力の量や、循環効率が異なります」
魔獣や異界の植物由来の素材は、魔力の保持力が高い。この世の動植物や鉱物由来の物との組合せによって、循環効率が変わる。
例えば、火の雄牛の角で染めた麻糸と、貝殻で染めた鱗蜘蛛の糸を縒り合わせて一本にした糸は、魔力保持力と循環効率が高い為、よく【鎧】などに使われる。だが、着用者にも強い魔力が求められ、誰でも扱えるわけではなかった。
染めも、混合する染料の組合せと生地の種類、呪印の配置などによって、魔力保持力を変えられる。魔力の弱い着用者向けに加減した品を作ることが多かった。
刺繍も同様だが、一般的に染めより強い品ができる。
「染めと刺繍は、力なき民が作業して、術の起動とかの仕上げだけ魔法使いにしてもらってもいいんですけど、織物に呪文や呪印を入れるのは、【編む葦切】学派の職人じゃないとムリで、その中でも織工は特に強い魔力が要るんで、学派内で別格扱いです」
「へぇー……聖典にあるのは、全部、刺繍だな」
「素材の指定がなくて、魔法の糸とか使ってませんし、殆ど効果はないと思いますよ」
「少しはあるのか?」
シーテツが意外そうにひょいと眉を上げて聞く。
「それなりの魔力がある人が着て、服にあるのと同じ呪文を唱えれば、単に呪文を唱えた時より、効果時間が長くなったり、威力が強くなったりするって聞きました。でも、魔法用の素材なら、魔力のある人が着るだけで常に発動しますからね」
「へぇー、便利なんだな」
シーテツが卓に身を乗り出す。
「疲れたりとかで魔力が足りなくなったら、いきなり失効するんで、危ないんですけどね」
「そ、そうか。便利なだけじゃないんだな」
「車とガソリンみたいな関係ですから、そこは自分で気を付けないと」
ロークが突き放すと、シーテツは捨てられた子犬のような目を寄越した。
構わず、服飾関係の付与魔術について簡単に説明し、初心者向けの解説サイトを教えてカフェを出る。
「今日は色々見学して、もう疲れたでしょう?」
「あ……あぁ」
「続きは明日にしましょう」
王都ラクリマリスの西神殿に戻るまで、二人は無言で歩いた。
ロークは道行く人々の姿をさりげなく観察する。
難民然としたネモラリス人は、すっかり見掛けなくなった。代わりに巡礼者や観光客の姿が増えた。
魔哮砲戦争の開戦前、客足がどうだったか、ロークは知らない。飲食店の混み具合から、平和な頃の七割か八割くらいだろうと見積もった。
湖上封鎖を敷くラクリマリス王国自身も、この状態が長引けば、厳しい経済苦境に追い込まれかねない。
……でも、ラクリマリス大使館って、クレーヴェルに置いたままなんだよな。
国際的に承認されたクリペウス政権のレーチカ臨時政府ではなく、ウヌク・エルハイア将軍率いるネミュス解放軍によるクーデター政権と共にアーテル共和国との和平協議を進めるつもりなのか。
クリペウス首相の秦皮の枝党は、支持母体がフラクシヌス教の主神派信者で、信仰の面ではラクリマリス王国に近い。
だが、ウヌク・エルハイア将軍ら、ラキュス・ネーニア家の長命人種には、かつての共同統治者が居る。
ラクリマリス王家と政府が、ふたつの陣営と、どの程度の連絡を取るか、ロークたちには情報がなかった。
大使館を首都クレーヴェルに残したのは、クーデターの監視が目的で、協力するワケではない可能性もある。
……移動放送局のみんなは今、西へ向かってるんだよな。
国営放送アナウンサーのジョールチは、首都入りする気らしいが、身の安全を確保できるアテでもあるのか。
わからないことが増えただけだ。
……どうやれば、終戦に持ち込めるんだろうな。
四日目。
朝食後、シーテツの希望で、服飾雑貨店へ足を運んだ。
術の効果を仕込んだ手袋のコーナーで、シーテツはタブレット端末片手に真剣な面持ちで品定めを始めた。
手袋本体の素材は、様々な種類の糸でできたレースや布地、毛糸、毛皮、皮革などだ。革は家畜や鹿などの野生動物の他、魔獣由来のものもあった。アーテル本土では、季節商品の毛糸や毛皮も、魔法文明圏では通年、取り扱いがある。
術と素材の組合せと、使用者の魔力や肌質、好み、懐具合などで決める。
シーテツは一時間余り悩んで、厚手の布手袋を選んだ。深い緑地に多刺蟹由来の白糸で【魔除け】の呪文と呪印が刺繍してある。
片方だけなら、価格的にも、運び屋フィアールカが追加でくれた生活費で余裕をもって買える品だ。
……魔法使いとして生きる腹を括れたんだな。
「仕事が決まったら必ず返すから、今は立替えてくれないか?」
「情報料として預かった物で買えるから、大丈夫ですよ」
「でも……」
「気になるなら、もっと色々教えて下さい」
ロークは元星の標シーテツの手から商品を取って、レジに向かった。
☆ラクリマリス大使館って、クレーヴェルに置いたまま……「693.各勢力の情報」「700.最終チェック」「774.詩人が加わる」「1742.継承権者たち」参照
☆共同統治
庶民の認識……「0019.壁越しの対話」「0059.仕立屋の店長」「0093.今日の行く先」「326.生贄の慰霊祭」「359.歴史の教科書」参照
共同統治の実態……「1510.社会の教科書」「1742.継承権者たち」「1743.神政と民主制」参照
☆国営放送アナウンサーのジョールチは、首都入りする気……「1544.固有の経済圏」「1630.首都での予定」「1740.当主不在の村」「1791.わからぬ未来」参照




