1937.徽章の重要性
ロークは休暇三日目、王都ラクリマリスの商店街へ足を運んだ。
特に欲しいものがあるワケではない。元星の標シーテツの社会見学だ。
アーテル共和国の本土にはない魔法の道具屋や、着用者の魔力に合わせて受注生産する仕立屋、様々な素材を販売する店が軒を連ねる一画をゆっくり歩く。
シーテツのタブレット端末は、まだインターネットに接続できた。
昨夜は遅くまで寝なかったらしく、朝食の席では眠そうだったが、商店街に入ってからは、瞳を輝かせてあちこち見て回る。
「ここ、鳥のペンダントが流行ってるんだな」
「は? ……あッ! ちょっとこっち来て下さい」
ロークはシーテツを人通りの少ない路地に引っ張り込んだ。
「言うの忘れてましたけど、あれ、身分証なんです」
「身分証? 鳥のペンダントが?」
ロークが小声で言うと、シーテツも声を潜めて聞き返した。
「魔術の系統は学派に分かれていて、特定の学派の術を一定以上修得した人は、その学派の徽章を身につける決まりがあるんです」
「徽章? あれ、ペンダントなのに?」
「大昔は襟にピンで留めてたそうですけど、今は首から提げる人が多いんです」
「あぁ、ピン危ないもんなぁ」
妙な方向で納得され、ロークは膝から力が抜けそうになったが、気を取り直して説明する。
「例えば、昨日、書庫で会ったクリューチ神官は【渡る白鳥】学派です」
「あぁ、そう言われてみれば、白鳥のペンダントだったな。何の魔法か想像つかないけど」
「契約とか約束事を強制的に守らせる術です。本に【禁帯出】の術を掛けたりとか色々」
「貸出禁止の本を持ち出したら、どうなるんだ?」
「呪いが発動します」
シーテツは顔を引き攣らせた。
「聖職者なのにおっかない魔法を使うんだなぁ」
「その学派以外の術も使えますけどね」
「呪いの専門家じゃないのか?」
「例えば、運び屋さんがあなたを洗ったのは、【霊性の鳩】学派の【操水】の術です。家事とかに使う術が中心なんで、魔法使いならみんな、常識として使えるから、【霊性の鳩】学派の徽章はつけないんです」
「ひとつの学派だけじゃないんだ?」
「色んな術を少しずつ使える人も、徽章を持ってませんね」
「そう言う勉強の仕方もあるんだなぁ」
シーテツは、店の隙間から通りを行き交う人の群を眺めた。
徽章を首から提げた専門家は少ない。場所が商店街なのもあるが、十人に一人居るか居ないかだ。
「それから、徽章の偽造や学派詐称は、死刑って国が多いです」
「えぇッ?」
「それだけ、魔法文明圏では重視されてるんですよ。科学文明圏だと、一般の詐欺と同じ扱いで、刑罰の軽いとこが多いみたいですけど」
「それで魔獣が増えてから、偽者の駆除屋がインチキな護符を売りつける詐欺が増えたのか」
シーテツが悔し気に顔を歪め、拳を握る。
ロークは、意識的にやや明るい声を出した。
「服とかに魔法の効果を付与する術の系統は、【編む葦切】学派って言います」
「ヨシキリ……?」
「聖典に載ってるのは、作る人と、魔力を籠めて術を起動する人が別でもいいものばかりですけどね」
ロークは、星道記の分野に対応する学派を指折り列挙した。
建築の【巣懸ける懸巣】学派、武器と防具の【飛翔する鷹】学派、道具や衣服の【編む葦切】学派、呪歌の【歌う鷦鷯】学派、舞踊の【踊る雀】学派などだ。
「この学派は、三界の魔物と戦っていた時代に発足した魔道士の国際機関“霊性の翼団”による分類で、徽章は、そこが知識や技術の試験をして交付します」
シーテツは、ロークの澱みない説明に呆然と頷いた。
……ちょっと一度にたくさん言い過ぎたかな?
「さっき言った【編む葦切】学派は、作るものによって専門が分かれます」
「同じ魔法なのに?」
「服を作るのと鍋とか作るの、全然別の技術ですよね?」
「あぁ、そう言うコトか」
「えぇ。組込む術は同じでも、加工する物が違えば、別の仕事みたいな」
「まぁ、そうだな」
「この商店街は、工房と小売を兼ねるお店が多いんです」
「わかった。業種に気を付けて見てみる」
二人は路地を出て、商店街の大通りに戻った。
呪符屋、仕立屋、金物屋、雑貨屋……同じ【編む葦切】学派でも、扱う品は様々で、店の種類は多様だ。
対応する素材屋も、総合的に扱うところもあれば、特定の業種向けの専門店、一種類の素材だけを専門に扱う店まで幅広い。
「魔法薬の素材屋さんとかは、薬師の【思考する梟】学派か、呪医の【飛翔する梟】学派の徽章がない人には、販売できない素材を扱うところもあります」
「へぇー……」
シーテツの目が、染料素材専門の看板を掲げる店に吸い寄せられた。
開け放たれた扉から店の奥まで、色とりどりの粉や液体の詰まった瓶が並ぶ棚が続く。反対側の棚には、未加工の根や木の実、貝殻、魔物や動物の角、何かの干物のようなものが見えた。
「そこも、【編む葦切】学派の徽章がないと、買えない素材がありますよ」
「一般人でも買えるのってないのか?」
「あります。専門家じゃないとダメなのは、毒性がある物や、魔獣由来の素材で防護設備がないと加工するのが危ない物とかです」
「成程。危険物取扱責任者みたいなもんか」
シーテツが納得して店の前を離れる。
染料屋、糸屋、生地屋、糸紡ぎ工房、染物工房、染織工房、機織工房……シーテツと一緒に職人が多い商店街を回ると、繊維や服飾関連の工房は、工程毎に細かく分業するらしいとわかった。
彼は元の職業がテキスタイルデザイナーだ。
金属加工工房を兼ねる金物屋や、呪符の工房兼店舗は素通りするが、仕立屋や服飾雑貨店、布製品も扱う雑貨屋では必ず足を止めた。
「値段の基準ってどうなってるんだ?」
「取引が物々交換だけの店は、値札には代表的な交換品をひとつかふたつだけ書いて、他の交換品は、レジで言えば一覧表を見せてくれますよ」
「いや、そうじゃなくて、高いとか安いとかの」
「店主の裁量ですけど、布製品だと、呪文や呪印を染めた物が一番安くて、二番目が刺繍、織り込んだ物が一番高価ですね」
「全部手作業だからか……機械化できないのか?」
「できるなら、祭衣裳とか、とっくの昔にそうなってる筈ですよね」
「あっ」
キルクルス教の司祭の衣や祭衣裳も、すべて手作業のままで、伝統的な手仕事を神学校や修道院で継承し続ける。
レフレクシオ司祭の話では、武器の光ノ剣は製法が絶えて久しく、バンクシア共和国やバルバツム連邦には錆びた遺物しか現存しないらしい。
「そこのお店でお茶しながら話しましょう」
ロークはシーテツを連れて、個室があるカフェに入った。
☆大昔は襟にピンで留めてた……「389.発信機を発見」「1560.複合的な視点」参照
☆伝統的な手仕事を神学校や修道院で継承……「744.露骨な階層化」参照
☆武器の光ノ剣は製法が絶えて久しく……「1853.装備品の不足」、レフレクシオ司祭の話「1905.王都の来訪者」参照




