1936.拓かれる視界
聖典は、古い共通語だが、シーテツは難なく題字を読んだ。
「ルフス神学校を目標に受験勉強してたんだ。星道の職人になりたくて」
「どの分野ですか?」
ロークは流れで聞いてみた。
「縫製分野だ。子供の頃に見た祭衣裳が凄くキレイで、いつか自分も作りたいって憧れてたんだけどね……落ちて」
「えーっと……それで、テキスタイルデザイナーに?」
「そんなようなもんだな。上司が星道の職人で、聖職者用の衣の制作は少しだけ手伝わせてもらえたんで、まぁ、よかったかなって」
元星の標シーテツは寂しげな微笑を浮かべ、写本の豪華な表紙に目を向けた。
「縫製分野なら、この本ですね」
クリューチ神官が、机に重ねた魔導書の中から先程とは別の一冊を出す。表紙の小鳥は同じだが、題字の力ある言葉はロークの知らない単語だ。
「衣への付与」
クリューチ神官が一文字ずつ指差して読み上げた。
ロークは聖職者用の聖典を開き、目次から聖職者の衣や祭衣裳の製法を記した項目を拾う。ページを捲ると魔導書と同じ小鳥の細密画が現れ、元星の標シーテツが息を呑んだ。
クリューチ神官も魔導書を捲り、衣服に施す【魔除け】の呪印を示した。
「聖職者の衣にあるこの装飾は、力ある言葉です」
ロークが言うと、シーテツは信じられないと言いたげな目を向けた。
クリューチ神官が、呪印の次の行に書かれた力ある言葉の呪文を指でなぞりながら読み上げ、湖南語に訳してみせる。
「日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。
日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
ロークも聖典の同じ呪文が書かれた箇所を指でなぞり、同様に読み上げた。元星の標シーテツが顔色を失う。
「祈りの詞と同じ……? そんなバカな」
「でも、実際そう書いてありますよ。ユアキャストとかに聖典を捲る動画を載せる人も結構居て」
「ユアキャスト?」
「政府の規制で、アーテル領内からは閲覧できませんけど、バルバツム連邦に運営企業の本社がある動画共有サイトです。色々な国の人が、星道の職人用の聖典を上げてますよ」
「じゃあ、それを見れば、わざわざ神学校に行かなくても祭衣裳を作れるのか」
「そうなりますね。でも、その動画を見て何かを作る人より、信仰の矛盾に気付く人の方が多いみたいですけど」
ロークが言うと、シーテツは石を呑んだような顔で聖典を見た。
「アーテル人でも、仕事や留学でバンクシア共和国とかバルバツム連邦とか、インターネット規制がほぼない国へ行ったことがある人は、信仰の矛盾に気付いて悩んでますよ」
シーテツは聖典から顔を上げて、ロークを見た。
「あの小説……冒険者カクタケアが流行ってるのも、その関係かなって思いますし、瞬く星っ娘の解散も、信仰の矛盾が原因です」
「えッ? あの一時期、毎日ニュースが出てたアイドルの引退騒動?」
シーテツが意表を突かれた顔で、ロークをまじまじと見る。
「アーテル領内でも使える動画共有サービスからはすぐに削除されましたけど、ユアキャストには引退動画、まだ残ってますよ」
「見たのか?」
「見ましたし、別ユニットとして活動を再開した動画も見ましたし、本人たちからも直接、話を聞きましたよ」
「君は……一体?」
シーテツに問われ、ロークは何と答えたものか迷った。
立場を簡単に表せる言葉がない。
現在のネモラリス憂撃隊が、名もなき復讐者の集まりだった頃、ロークもアクイロー基地襲撃作戦に参加。手榴弾で何人ものアーテル兵を殺傷した。
アーテル人から見れば、人殺しのテロリストだ。
そもそも、実家のディアファネス家が隠れ信徒で、キルクルス教の教えを受けて育てられた。
その人脈を利用して、ルフス神学校に潜り込み、多くの人を欺き裏切って、現在も諜報員めいた活動を続ける。
……俺に比べたら、この人の方がよっぽどまともな人間なんだよな。
ロークが口を開くより先に緑髪の神官が言った。
「フィアールカ神官の協力者です」
「あの運び屋さん、聖職者は辞めたとか言ってましたが?」
シーテツは意外と物覚えがいいらしい。
「その方が動きやすいから、本人がそう言っているだけですよ。あの人が聖職者でなくなっただなんて、信じている神官は居ませんよ」
クリューチ神官が薄く笑う。
「私たちも、ラキュス湖の周辺地域に平和を取り戻す為、国籍や人種、性別、信仰、政治的な信条、魔力の有無などの違いを超え、共に手を取り合って活動しているのですが、フィアールカ神官はその中心人物の一人です」
クリューチ神官は、返事に詰まったロークに代わって、当たり障りのない説明をしてくれた。ロークの活動をどこまで把握した上での発言かわからないが、ホッとして頷く。
「えっと、それで、俺も色んな人と会うから、アルキオーネさんたちとも会って話したことがあるんです」
「何の話をしたんだ?」
「バルバツム連邦でコンサートをした時、空き時間にインターネットで色々見て驚いたし、魔法使いの人も普通に働いててびっくりしたって言ってましたよ」
「えッ?」
シーテツが目を瞠り、ロークと緑髪のクリューチ神官を見る。
「私は行ったコトがないので、直接には知りませんが、バルバツム連邦に本社があるグローバル企業の多くは、自社サイトに魔法使いなどに対する差別をしない旨の宣言を載せて、両輪の国からも積極的に人材を採用する動きがありますよ」
「宿に戻ってから、サイトとか見てみましょう」
「あ、あぁ……この聖典、撮らせてもらってもいいですか?」
「どうぞ」
元星の標のシーテツは、上着のポケットからタブレット端末を出した。
ランテルナ島への追放後も契約が解除されず、口座の残高もあれば、アーテル政府の検閲が掛からないラクリマリス領からは、何でも閲覧できるだろう。
……死亡扱いで、何もかも解約されてたりしないよな?
ロークの心配を他所にシーテツは聖典の縫製指南のページを熱心に撮る。少なくとも写真なら、充電を切らさない限り、いつでもどこでも見られる。
ふとした疑問がロークの口からこぼれた。
「フラクシヌス教に乗り換えたんじゃないんですか?」
「まだ、そこまでの決心は……それに憧れは憧れだ」
シーテツは、子供時代の憧れに突き動かされ、夢破れても同じ服飾分野の仕事に就いた。
ロークは、そんな夢や憧れを抱いたことがなく、彼の気持ちは理解できなかったが、少年のように瞳を輝かせる中年男性を羨ましいと思った。
「でも、ここへ連れてきてもらえてよかった。政府の規制や色んなもので、闇に呑まれて塞がれた目に知の灯を点してもらえた。その一条の光が闇を拓いて、視界が広くなった気がするんだ」
元星の標シーテツは、キルクルス教の聖句を交えて感謝を述べた。
この日は、昼食の後も第二神殿の書庫に籠り、聖典と魔導書の共通点を確認して過ごした。
☆瞬く星っ娘の解散……「424.旧知との再会」「429.諜報員に託す」「430.大混乱の動画」参照
☆アイドルの引退騒動……「567.体操着の調達」「765.商いを調べる」参照
☆あの運び屋さん、聖職者は辞めたとか言ってました……「1905.王都の来訪者」参照
☆バルバツム連邦でコンサートをした時……「1018.星道記を歌う」「1237.聖歌アイドル」「1238.異なる価値観」参照
☆自社サイトに魔法使いなどに対する差別をしない旨の宣言を載せて、両輪の国からも積極的に人材を採用……「812.SNSの反響」参照




