1935.休暇が潰れる
ロークは、元星の標シーテツを連れて、西神殿から近い飲食店が軒を連ねる通りへ向かった。
アーテル共和国本土出身の中年男性は、素泊まりの宿から朝食を求めて歩く巡礼や、朝市を覗きに行く観光客で溢れる通りを物珍しげに見回す。
呪文や呪印入りの服装も、緑色の髪と瞳を持つ湖の民も、術で守られた街並も、何もかもが珍しく映るらしい。
……ランテルナ島も、似たようなモンだと思うけどなぁ。
シーテツは、土魚に包囲された民家から住民を救出する際、駆除の対価として警備員オリョールと思しき魔獣駆除業者に【魔力の水晶】を握らされた。
彼を含む数人が、無自覚な力ある民だと発覚。追放同然でランテルナ島へ渡る。
シーテツは地下街チェルノクニージニクに降りず、地上の街カルダフストヴォー市でバス停付近に留まり、日々を無為に過ごした。
パン屋が廃棄のフリで提供するパンの耳で飢えを凌ぎ、悪事には手を染めなかったが、魔法使いの暮らしに馴染もうともしなかった。
運び屋フィアールカに声を掛けられ、王都ラクリマリスに来てからは、魔法文明圏での生活知識を求め、乾いた砂に水が染み込むように吸収する。
今日で王都に来て七日目。ロークの休暇最終日だ。
初日にフィアールカがシーテツを拾い、王都の湾内に浮かぶ無人島に連れ出し、星の標の内情を聞き出した。
これまで得られなかった情報が手に入り、クラウドに入れられた名簿ファイルの裏が少し取れたのはよかったが、ロークとしては複雑だ。
その夜はレフレクシオ司祭とも会い、一緒に西神殿を参拝。元神官のフィアールカからフラクシヌス教の概要について教わった。
二日目の朝。
「否定されないって、いいですねぇ」
元星の標シーテツは一晩寝て起きると、フラクシヌス教がすっかり気に入ったらしい。
晴れ晴れとした笑顔を向けられ、ロークは困惑したが、適当に話を合わせて予定を告げた。
「朝ごはんの後、第二神殿の書庫へ行きます」
「第二神殿?」
「ここはフラクシヌス教の聖地ですから、神殿がたくさんあるんです」
今朝早く、運び屋フィアールカからメールが来た。
第二神殿のクリューチ神官に話を通したから、キルクルス教の聖典を閲覧させてもらうようにとの指示だ。
……ランテルナ島へ戻ってから、他の元星の標に広めさせようって魂胆なんだろうな。
「第二神殿の書庫には、寄付されたキルクルス教の聖典が保管してあるんです」
「フラクシヌス教の神殿に聖典を? 誰が何の為に?」
シーテツは案の定、目を剥いた。
「アーテル地方に初めてキルクルス教の教会が建立された時、そのルフス光跡教会が、相互理解の為に贈ったそうです」
「相互理解……でも、フラクシヌス教には聖典がないから」
「まぁそうなんですけど、当時は一般教養としてみんな知ってたでしょうから。俺も一回、見せてもらいましたけど、立派な写本でしたよ」
シーテツが更に目を丸くする。
「一般人にも見せてくれるのか?」
「閉架ですけど、当番の神官に言えば、出してもらえますよ。今朝、フィアールカさんが連絡してくれたんで、用意してくれてると思います」
「そ……そうか」
ロークは毎食、店を変えた。
客や店員の話をなるべく幅広く拾う為だが、シーテツは、魔法文明圏の暮らしを様々な角度から教える為と解釈したらしい。毎食後、過剰なまでに礼を言われた。
……おっさんの子守りして、情報収集して、書庫で勉強会。休暇ってこんなのでよかったんだっけ?
些か理不尽さを覚えたが、まずは王都第二神殿に参拝する。
早朝の光の下で見る神殿は荘厳で、ロークは無意識に背筋が伸びた。平日で、この時間帯はまだ参拝客が少ない。二人は壁に施された神話の浮彫をゆっくり眺めながら通路を歩いた。
意識して見比べると、同じ聖地内でも、西神殿とは細部が異なる。
ルフス神学校聖職者クラスで受けた美術の時間、キルクルス教の教会美術は、決して変更を加えてはならないと教わった。教会美術とは、聖典の記述を無筆の人々にもわかりやすく伝えるもので、解釈違いを防ぐ為、変えられないのだと言う。
細部の模様は、呪文と呪印だからだろう。
他は、小物類にもそれぞれ意味を持たせ、聖職者が聖典の一節を読み上げながら示して解説したらしい。
ロークは、文字の読み書きを教えて、信徒一人一人に自分で聖典を読ませた方が早いと思った。
装飾の小物に固有の象徴的な意味を与え、それを教え込む方が作業が複雑で、解釈違いを生じやすい。
昔のキルクルス教聖職者は、厳格に教えを守るつもりで、空回りしてしまったように思えた。
フラクシヌス教では、大筋さえ合っていれば、細部の違いにはこだわらない。
どうせ伝言ゲームで、一言一句違えず伝えることなど不可能だと割り切った感があった。
それより、もっと大切なことに力を入れる。
……それが、これだ。
ロークは、神殿への道々シーテツに魔力を籠めさせた【水晶】を祭壇に捧げた。シーテツも、昨夜教わった通り、水の祭壇に【魔力の水晶】を奉納する。
「じゃ、書庫へ行きましょう」
ロークが促すと、シーテツは重荷を降ろしたような足取りで従った。
王都第二神殿の書庫は、去年と変わらず木立の中でどっしり構える。蝉時雨の小道を過ぎ、様々な術で守られた石造りの建物に入ると、すっと汗が引いた。
強力な【耐暑】の術は、蔵書を守る為だろう。
開架の間を抜け、奥の閉架カウンターに連れて行く。
緑髪のクリューチ神官は、ロークと目が合うと、にっこり微笑んだ。
「おはようございます」
「おはようございます。フィアールカ神官からお伺いしています」
閉架受付内の机から、不用意に持とうものなら腰を傷めそうな写本を取り、カウンターに置く。
「ついでにこれもどうぞ」
隣に何冊も分厚い本を重ねた。
革表紙には、小鳥の細密画と呪印。題字は力ある言葉だが、ロークにも辛うじて読めた。
「葦切の書……魔導書ですか?」
「そうです。参照しながら読むとわかりやすいですよ」
ロークは頭を掻いた。
「俺、呪符作りの手伝いって、丸写しするだけで、意味はあんまりわからないんです」
「そうですか。それでは、一緒に見てゆきましょう」
湖の民の聖職者は、カウンターから出て、本を閲覧用の机に運ぶのを手伝ってくれた。
「これ、聖職者用の全部載ってる聖典です」
「えッ?」
「歴史的にも貴重な本なんで、汚さないように気を付けて下さいね」
ロークは、シーテツに薄手の布手袋を渡した。
☆元星の標シーテツ……「1900.情報と引換え」~「1904.自警団長の剣」参照
☆クラウドに入れられた名簿ファイル……「1885.提供者は不明」~「1887.ふたつの部門」参照
☆アーテル地方に初めてキルクルス教の教会が建立された時……「1036.楽譜を預ける」参照
☆俺も一回、見せてもらいました……「1166.聖典を調べる」~「1169.調べ物の分担」参照




