1934.首都圏の情報
ラクエウス議員は、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルから届く日誌めいた定期連絡に目を通した。
クラウドにデータを入れるのは、運び屋フィアールカだが、彼女は旧知の神官から封筒を受取る。その封筒は、レーチカ市の神殿ボランティアや、魚屋、近郊の漁師など複数の手を介し、このメモを発信する人物が何者か、誰も知らなかった。
クーデター発生の少し後から現在まで、一週間か十日に一度、首都近郊の漁村に繋留された漁船に小さな封筒が置かれるのだ。
誰一人として封筒を置く人物を目撃した者はおらず、筆跡にも心当たりがない。封筒も中のメモ用紙も無地で、ありふれた事務用品だ。
強力な魔法の道具【明かし水鏡】か【鵠しき燭台】があれば、特定可能だが、生憎、武力に依らず平和を目指す活動に参加する者たちは、高価で稀少な魔法の道具の持ち合わせがなかった。
定期連絡のメモには、クーデター勃発後の政府軍とネミュス解放軍との戦闘の様子や、星の標による爆弾テロの被害詳細、都内の生活情報などが、それなりの軍事知識を持ち合わせる者の視点で認められる。
戦闘が落ち着くにつれて情報が減り、ネミュス解放軍が首都を完全に掌握してからは「戦闘なし、特記事項なし」の記載が続く。
違うのはメモの日付だけだ。
メモを書いた人物の生存確認と言う意味では、これもまた、情報としての価値がある。
報告者が何者で、どこにいるかさえ不明だが、連絡に使用する経路も無事だ。少なくとも、首都クレーヴェル近郊の漁村には足を運べるらしい。
魔法使いなら、どこに居ようと【跳躍】の術を使えば一瞬で移動できる。その付近に土地勘があるらしいことまではわかっても、居所の特定は不可能だ。
また、漁船にメモ入りの封筒を置く人物と、メモを書いた人物が同じとも限らない。
定期連絡は、メモと封筒の写真と、内容をパソコンで書き写したものを保存、共有する。
共有範囲は、メモを受取る運び屋フィアールカが決め、極めて限定的だ。
ネミュス解放軍による首都掌握後、少し経ってからは、復旧工事の記録が寄越された。
場所や対象だけでなく、工事車両や重機、作業員のヘルメットなどに書かれた社名、現場に積まれた資材の種類やその商品名、メーカー名なども書いてある。
アサコール党首が率いる両輪の軸党は、岩山の神スツラーシの信仰繋がりで、安全を重視する業種に支持者が多い。所属議員たちは、建設、土木、運輸などの組合や学会、官公庁の担当部署、監督官庁などにも顔が広かった。
アサコール党首らは、定期連絡の情報から、復旧工事発注の流れ、受注業者と資機材調達の動きなどを推測。クーデター後も首都クレーヴェルに留まった企業と、外部から取引を続ける企業を一覧表にまとめ、関係図も書き起こした。
どうやら、この方面の企業は八割方、首都に留まったらしい。
そこには、リストヴァー自治区に工場を設置する建築資材製造業者の社名も連なる。
自治区の工場が稼働したとしても、完成品を首都へ運ぶのは容易ではない。自治区に隣接するゼルノー市のグリャージ港は、政府軍が仮復旧させて掌握し、外国からの救援物資と首都圏以外の地域からの貨物しか通さないのだ。
荷主や宛先を誤魔化す方法はあるだろうが、余計な手間と時間、費用が掛かる。
本社を移転した企業の多くも、支社や支店、営業所などを置いて首都との繋がりを維持する。
クーデターの混乱によって、印暦二一九一年九月からの半年余りで十数万人が首都クレーヴェルを脱出した。
開戦前の首都圏人口は百万余り。一割以上が避難したが、八割以上は留まった。逃げられなかった者だけでなく、ネミュス解放軍の主張に賛同し、敢えて残った者も相当数、居るだろう。
好むと好まざるとに拘らず、そこに留まる以上、暮らしを立てる仕事が必要だ。
麻疹ワクチンの件では、製薬会社も首都に残ったのがわかった。
アミトスチグマ王国の総合商社パルンビナ株式会社は、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルの企業と取引を継続する傍ら、レーチカ臨時政府とも取引する。
役員のマリャーナは、取引情報の一部をラクエウス議員らに開示するが、流石に首都内部の政治的な動きまでは把握できないようだ。
彼女も、情報が手に入り難くなった地域に関して、物価や需要、行政の動き、国内避難民の状況などを移動放送局プラエテルミッサに頼る他ない。
お互い、情報を融通し合い、パルンビナ側は利益を出しつつ人道支援を続け、移動放送局側も、自身の身を守りつつ、各地で情報支援を続けた。
クーデターによる両軍の衝突や、混乱に乗じた星の標による爆弾テロの被害からの復旧工事が落ち着くと、定期連絡は再び「戦闘なし、特記事項なし」に戻った。
メモを寄越すのが、どんな立場の人物かは未だに不明だ。
今年の六月に入ってからは、ラジオニュースの要点を箇条書きにして、「戦闘なし」で終わる形に変わった。ニュースの要約は、新聞の見出しのように短い。
情報源の放送局はいつも、ネミュス解放軍が掌握したAMカッカブ・ビルだ。
超党派による委員会、新憲法の草案提出
ラキュス・ネーニア家による神政復古
湖の民、陸の民、キルクルス教徒も、すべてひとしく扱われる
ラクエウス議員は、俄には信じ難く、ファーキル少年が表示してくれたパソコンの画面を何度も見直した。
何度見ても、変わらない。
最近やっと使えるようになったマウスを操作し、たどたどしい手つきで画面を動かして最新の連絡に目を通す。
新憲法、八月一日に発布予定
同日、ウヌク・エルハイア将軍即位
ラクエウス議員は目を疑った。
「ファーキル君……これは、もう……見たかね?」
声の震えを抑えられない。
隣の席で、別の情報を処理するファーキルが、打鍵の手を止めずにこちらの画面を覗いた。文字を打ち込む手が止まり、パソコン部屋が急に静かになる。
白い部屋にパソコンのファンが回る音がやけに大きく響いた。
「えッ……これ……最新?」
ファーキル少年が老議員の手からマウスを取り、画面を個別のファイルから、それが収容されたフォルダに切替える。
「あ、今、クラウドに上がったとこですね」
ファイルの最終更新時間は今日、ほんの五分程前だ。
最新の報告は、「ネーニア王国の独立宣言。戦闘なし」で締め括ってあった。
☆日誌めいた定期連絡
存在……「1444.餌を撒く息子」「1445.合同開催計画」参照
中身……「1446.旧街道で待つ」「1447.日誌から読む」「1448.その後の情報」参照
☆両輪の軸党は(中略)安全を重視する業種に支持者が多い……「0272.宿舎での活動」参照
☆麻疹ワクチンの件では、製薬会社も首都に残った……「1090.行くなの理由」参照
☆AMカッカブ・ビル……「599.政権奪取勃発」参照




