0198.親切な人たち
ファーキルは、旨そうな匂いで顔を上げた。
坂の途中に人が居る。避難民の一家だろうか。十人程度の集団には、子供も混じる。タブレット端末のレンズを目いっぱいズームして、写真を撮った。
北ザカート市の街を振り返り、画像を確認する。
遠い画像を拡大して、まずは人数を数えた。写ったのは十一人。もしかすると、トラックの中にも居るかもしれない。
性別や年齢はバラバラで、湖の民も一人居る。この魔女のお陰で生き延びられたのかもしれない。
ファーキルは電源を落としてコートのポケットに仕舞った。
……子供も居るし、野盗とかじゃないよな。
いい方に考えて足を進める。
「おーい!」
声を掛けられ、思わず足が止まった。
自分とそう変わらない少年だ。
坂の上に目を凝らすと、服がボロボロなのがわかった。空襲に遭って瓦礫の下から救助され、着の身着のままで避難生活を送るのだろうか。
「おーい、大丈夫かーッ!」
もう一度、同じ人物に声を掛けられた。どの途、トンネルに入れなければ魔物の餌食だ。
彼らが何者であろうと、他に道はない。
ファーキルは少し歩調を上げ、彼らに近付いた。
歩きながら、自分のことをどう説明したものか、考える。
アーテル人だと分かれば、最悪、殺されるかもしれない。
……俺は……ラクリマリス人だけど、家族の中で一人だけ力なき民ってことにしよう。
それなら、所持品の魔法の手袋や呪文のメモ帳、【魔力の水晶】を怪しまれないだろう。
先月、親と一緒にネモラリスの知人宅に行った。
空襲で一人だけ生き残り、親切な人のお陰でここまで来られた。
別れ際、湖の民の女性が【水晶】に魔力を入れてくれた。
……よし、この設定で行こう。
念の為、少し距離を置いて立ち止まる。
「あ、あの、こんにちは……」
怪しい者ではないとのアピールで、こちらから挨拶した。
情けない程、声が震えてしまい、自覚以上の緊張を思い知らされる。
青いツナギを着た工員らしき男性が、白い調理服の男性に目配せした。
調理服の男性が挨拶を返す。
「こんにちは。君、一人? 俺たちは、東岸のゼルノー市から避難して来たんだけど……」
「えッ……?」
必死に記憶を手繰り、ネットで見たネーニア島の被害地図を思い出す。
ゼルノー市を含むネモラリス領南部一帯は、政府に放棄された土地だ。
空襲被害があまりにも酷過ぎ、生存の見込みが少ない。死体を喰らった魔物が受肉して魔獣と化した。アーテル・ラニスタ連合軍の化学兵器で土地が汚染され、立ち入れない……など、掲示板では様々な憶測が流れる。
その生き証人が、ここにいる。
ファーキルは、命からがら死地から逃れた人々を改めて見回した。
最初に声を掛けたボロボロの少年、調理服の青年、青いツナギの工員、小学生の女の子二人、女子中学生一人、男子高校生一人、湖の民の女の子一人、陸の民の女性一人、ボロボロの恰好をした職業不詳の男性二人。
男性は全員、無精髭が伸び放題。女性は化粧っ気がない。この一カ月の大変な暮しが覗えた。
「お前、なんでこんなとこ居るんだ?」
さっきの少年にキツい口調で聞かれた。
確かに、今の自分は不審な存在だ。
「あ、あのっ、あの……トンネルの中が安全なんで……その……」
しどろもどろな上、声が震えて上手く喋れない。だが、今の言葉は嘘ではなかった。日没までに北の街へ行くには時間がない。この付近で最も安全なのは、術で守られたザカート隧道の中なのだ。
「……そうだな、安全な場所に移動してから話そうか」
ファーキルに厳しい視線を向けたボロボロの男性が、くるりと背を向けた。
彼が食事の後片付けを始めると、ファーキルを睨む少年も駆け寄って手伝う。もう一人のボロい男性も彼らに加わった。
調理服の青年と、湖の民の女性に誘われ、魚をご馳走になることになった。
ファーキルと同い年くらいの女の子が、荷台からアルミホイルの包みを持ってきて、青いツナギを着た金髪の青年に手渡す。
ツナギの青年が、包みをステンレスのバットに置いて小声で何か言う。不意に小さな炎の群が円を描き、ホイル包みを取り囲んだ。
ファーキルは声もなく、初めて目の当たりにした炎の魔法に見入る。ツナギの青年が軽いノリで声を掛けた。
「魚が焼けるまで、自己紹介しとこうか。俺はクルィーロ。修行サボってたから【霊性の鳩】を少ししか使えないんだ」
「あ、あの、俺、ファーキルって言います。家族の中で一人だけ魔力がなくって【魔力の水晶】とかがないと何もできません」
「今、【水晶】ありますか?」
湖の民の女の子が進み出た。
外見はファーキルと同じくらいだが、魔法使いなら長命人種の可能性がある。この少女とクルィーロは、運び屋の女性のように高齢かもしれないのだ。
「私は【思考する梟】の薬師アウェッラーナです。よかったら魔力を補充しますよ」
……魔力が空になったら、持ってないのと同じだよな。
ファーキルは取り上げられても構わないと思い、【魔力の水晶】を湖の民の薬師に渡した。
アウェッラーナと名乗った湖の民の少女が、目を丸くして驚く。
「あら、これ、まだ結構、残ってるんですね」
ファーキルは、さっき考えた説明を素早く練り直して口に出した。
「今朝、そこまで【跳躍】で送ってくれた人が、ついでだからって、魔力を足してくれたんです」
……南ザカート市の廃墟だけど、完全に嘘ではないよな。
「親切な人に助けてもらえてよかったなぁ。あ、俺、レノ。魔法は無理」
調理服の青年が軽い調子で言った。
小学生の女の子がその背に隠れて窺う。髪の色がレノと同じ大地の色で、顔立ちもよく似る。兄妹だろう。
「俺は運転手のメドヴェージ。兄ちゃん、どこまで避難するんだ?」
ボロを纏った厳つい男性が、髭の下で笑って荷台を軽く叩いた。
ファーキルは、それにも澱みなく答えてみせる。
「グロム市に帰りたいなって……あの、空襲の少し前から、家族とガルデーニヤ市の知り合いのとこに来てたんですけど……まぁ、あれで……」
グロム市は、ネーニア島の南東部、ラクリマリス王国領の都市だ。フナリス群島の対岸で、巡礼ついでの観光客が多く訪れるグロム港を擁する。
ガルデーニヤ市は、ネーニア島の北西部、北ザカート市のずっと北にあった。
「……そうか。それは災難だったな」
もう一人の年配の男性が作業の手を止め、気の毒そうに言った。
……この人たち、ホントにいい人なんだ。
ファーキルは、彼らが野盗化した避難民ではないと確信した。同時に申し訳なくなる。
「みなさん、これからどちらへ?」
気持ちを誤魔化す為に質問した。




