1923.調査隊の目的
ネモラリス政府軍の軍服を纏う駐在武官が動揺し、敬礼した手を下ろす。
「で、では、あなた様のお住まいは、現在どちらに?」
「知ってどうするのです? 誰に頼まれても、私は軍に戻りませんよ」
「お言葉ですが、この国難の最中に」
「戦禍を逃れ、異国の地で苦しむ人たちを見殺しにせよと言うのですか? それに何ですか、その口のきき方は」
駐在武官が跪いた。騎士の頃の癖が未だに抜けないらしい。
「た、大変なご無礼を……! 平にご容赦賜りますよう」
「逆です」
「逆……とは?」
黒髪に白い物が混じる駐在武官が、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で聞き返す。
「一体いつまで、二百年近くも前に終わった上下関係を引き摺っているのです」
「えッ……い、いえ、し、しかし……その」
「今の私は、ゼルノー市立中央市民病院の職員で一介の地方公務員、その病院も空襲で焼失しました。単なる無職のおっさんです! 私にそんな態度を取るのであれば、難民キャンプにお住まいのみなさんにも同じ態度で接して下さい」
「御意」
即答され、呪医セプテントリオーは青褪めた。
怒りに任せ、思わず言葉に魔力を乗せてしまった。こちらも一日中治療に明け暮れて疲れた身だが、あちらも一日中【鎧】を纏って魔獣を倒し、広範囲に【結界】を張ったせいで顔色が悪い。
元の魔力が桁違いな上、駐在武官にはセプテントリオーに逆らう気がない。
名も呼ばぬ湖南語の命令でも、易々と魔力による支配を受諾してしまった。
……まぁ……害は……なかろう。
ついでにもうひとつ命令する。
「私が過去に何者であったか、いかなる手段を以ても、何人にも伝えてはなりません」
「御意」
駐在武官が恭しく一礼し、第三十五区画診療所に困惑が満ちる。
呪医セプテントリオーは半笑いで一同を見回した。
「そんな大した話じゃありませんよ」
「じゃあ、どうしてです?」
患者の一人がみんなの疑問を代弁した。
「旧王国時代、私は軍医でした。当時の軍医、特に湖の民は、パニセア・ユニ・フローラ様の信仰と結び付けて、必要以上に有難がられると申しましょうか、えぇまぁ、そんなアレで、元騎士の中には、未だに彼のような態度の人が少なからず居りまして」
「あぁ……」
常勤の医療者たちと入院患者たちが、何やらわかった顔で元騎士の駐在武官を見る。駐在武官は不満顔だが、反論しなかった。
科学の眼科医が、老眼鏡を掛け直して話を変える。
「調査隊のみなさんは、どちらにお泊りですか? それとも【跳躍】で通勤なさるんですか?」
「第三十四区画に停めた車両で寝起きして、来月末まで、大森林の植生調査を実施する予定です」
環境省の役人レーシィが答え、若者が思い出したように名乗る。
「僕は冬の都大学薬学部の研究員リグニートと申します。治療のお手伝いは、できれば今日だけにして、薬になる植物や茸を探したいです」
患者たちが露骨にがっかりする。
「大学からは、薬用植物などを発見した時、標本と魔法薬を作って、ひとつずつ研究所に送って、残りの薬や素材は、ここと第三十四区画の診療所に半分ずつ寄付するように言われて来ました」
「たくさんみつかるといいですね」
「退院したら、前に薬草みつけたとこ、案内しますよ」
「有難うございます。でも、無理しないで下さいね」
病床から幾つも声が飛び、若手研究員リグニートは笑顔で応じた。
「私はガルチーツァ製薬株式会社の薬師ラザヴィーカです。植物や茸の他、鉱物や魔獣由来の素材も調査対象です」
「製薬会社も、素材の余りを下さるんですか?」
赤毛の薬師が名乗ると、看護師が期待に満ちた声で確認する。
「私たちが採取した素材は、全て会社に送らなければならないのですが、代わりに弊社の製品を寄付させていただきますので、ご了承下さい」
薬師ラザヴィーカは首を横に振り、作業服のポケットから【無尽袋】をふたつ出した。
「目録もこの中に入れてしまったのですが、どこか広い場所がありましたら」
「明日、モルコーヴ議員が来られる予定ですので、一緒に確認させていただいてよろしいでしょうか」
「医薬品の数量も記録しておりまして、ここが増えた分、いつもの配給を減らして他へ回したりですとか」
科学の眼科医と内科医が言うと、赤毛の薬師ラザヴィーカは怪訝な顔をした。
「目録のデータは先日、ネモラリス大使館へお送りしましたが」
「こちらには何の連絡もありません」
「お薬はいつもアサコール議員たちが、アミトスチグマ王国医師会などにお願いして、お送りいただいております」
「資金は、慈善コンサートなどで集めた寄付で賄っています」
呪医セプテントリオーが、科学の常勤医たちの説明に付け足すと、一同の目が駐在武官に集まった。
「本日、その件をお知らせに参じましたのが、私、駐在武官セルジャントです」
セルジャント駐在武官は、軍服のポケットから折り畳んだ紙を取り出した。診療所の事務机で広げ、二枚並べて置く。
「はい。これです。大使館にお送りした目録です」
赤毛の薬師ラザヴィーカが声を弾ませた。
一枚は、処方箋なしで購入できる科学の一般医薬品。もう一枚は、魔法薬と栄養補助食品の一覧表だ。
「寄付のお薬は、我が国では一般に馴染みのある物ばかりですので、救急箱にお入れしました」
「置き薬なんですね」
科学の内科医が確認すると、製薬会社の薬師ラザヴィーカは頷いた。
「はい。第三十五区画は、住居が二百三棟だとお伺いしましたので、診療所用と合計二百十箱にしております」
科学の一般医薬品があれば、医学の素人でも、ちょっとした体調不良に対応できるようになるだろう。
だが、薬の飲み合わせや、個人の体質の差による副反応の出方の違い、重大な副反応が出た際の救命、重病の症状を置き薬で誤魔化して、耐えられない程度まで悪化してから診療所へ担ぎ込まれるなどの不安は残る。
それでも、区画内で診療所から遠く離れた小屋に住む者にとっては朗報だ。
魔法薬は、素人でも扱える傷薬と軽症向けの熱冷まし、咳止め、虫刺され用の解毒薬だ。これも、もうひとつの救急箱へ科学の消毒薬と一緒に収納した。
栄養補助食品は、各種ビタミンと鉄分、カルシウムを一粒に詰めたサプリメントだ。栄養剤などより含有量は遙かに少ないが、一気に半分以上食べるなどの無茶をしない限り、過剰摂取の害は出ない。
一瓶百錠入りで、一人一瓶と診療所用の予備を併せ、八千本持参したと言う。
最後に役人のレーシィが言う。
「環境省は、植生全般と、食用可能な植物や茸の調査です。標本と生体、種子を持って帰って研究します」
「それでしたら、第十五区画のサフロールさんが詳しいですね」
呪医セプテントリオーは、薬草園の管理者について簡単に説明して、今日のところは夏の都へ引き揚げた。
☆誰に頼まれても、私は軍に戻りません
シェラタン当主……「685.分家の端くれ」参照
ウヌク・エルハイア将軍……「917.教会を守る術」参照
アル・ジャディ将軍……「1488.水呼びの呪歌」参照
☆二百年近くも前に終わった上下関係……「903.戦闘員を説得」参照
☆一日中【鎧】を纏って……「368.装備の仕分け」参照
着用中はずっと魔力を消耗し続け、不足すると【鎧】の防禦魔法が失効する。
☆魔力による支配
一般……「0015.形勢逆転の時」参照
【強制】の術……「1100.議員への質問」参照
☆私が過去に何者であった……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」「902.捨てた家名で」「916.解放軍の将軍」「1486.ラクテア神殿」「1487.島守と押問答」参照
☆第十五区画のサフロールさん/薬草園の管理者……「805.巡回する薬師」「0986.失業した難民」参照




