1921.産官学調査隊
六月最終週の午前十時過ぎ、アミトスチグマ王国の産官学合同調査隊が難民キャンプ第三十五区画を訪れた。
難民キャンプ最南端で、最後に開拓された区画だ。
周辺部の区画はいずれも大森林と接するが、とりわけ、第三十三、三十四、三十五区画は、東へ続く更なる深みへの前線基地として都合のいい位置にあった。
第三十四区画には、車両が通行可能な道路が平野部から開通し、資材の運搬なども容易だ。
調査隊はまず、第三十四区画に食料品の差し入れを置き、第三十五区画の診療所を訪れた。
「大変お忙しいところ恐れ入ります。環境省から参りました。大森林調査研究班のレーシィと申します」
緑髪の中年男性が、診療所の入口から申し訳なさそうに声を掛けた。上は呪文や呪印が刺繍された作業服、下は背広のズボンで、首から【畑打つ雲雀】学派の徽章を提げる。
呪医セプテントリオーは先週、アミトスチグマ王国のジュバーメン議員から、調査隊派遣の件を知らされた。だが、日々の治療に忙殺され、いつ、どの区画に来ると言う重要な情報がすっぽり抜け落ちてしまった。
第三十五区画診療所に顔を出した調査隊を見て、やっと思い出す始末だ。
アミトスチグマ王国環境省の役人、冬の都大学薬学部に所属する薬草学の若手研究者、製薬会社所属の薬師がそれぞれ一人、民間の警備員三人、それにネモラリス共和国駐アミトスチグマ王国大使館の駐在武官が一人随行する。
「あ、はい、どうも」
診療所の看護師がおざなりに会釈したが、今はそれどころではない。
つい先程、区画と森林の境界にある畑に魔獣が侵入した。
自警団が出動してどうにか追い払えたが、畑仕事中に襲われた者三名、自警団の負傷者五名。内六名が重傷で、骨折や深い咬傷を負う。
看護師たちが【操水】で傷を洗い、呪医セプテントリオーがひとまず【止血】を掛けたばかりで、個別の治療はこれからだ。
「治療、お手伝いします!」
呪文と呪印が入った作業服上下に身を包んだ青年と中年女性が入って来た。二人とも徽章は【思考する梟】学派だ。
リュックサックを下ろし、手近の負傷者に【見診】を掛ける。
「えっと……アミトスチグマの役所が応援を寄越してくれたんですか?」
「産官学合同調査なんです」
「何の調査なんです?」
「この近くの植生調査で、あの人たちは植物に詳しいお役人と、冬の都大学の薬草の研究者さんと、製薬会社の薬師さん」
「俺たち三人は、製薬会社に雇われた警備員です」
順番待ちの患者から質問が出ると、若者三人の声が丁寧に応じた。
「この咬み傷、何に襲われたかわかりますか?」
警備員たちより一段低い声が、質問しながら診療所へ入って来た。聞き覚えのある声だが、呪医セプテントリオーは今はそれどころではなく、思い出せない。
自警団員が頭を振る。
「初めて見るヤツだったんで」
「倒せましたか?」
「どうにか追っ払っただけで、また、いつ来るか」
「どの辺に出ました?」
見慣れた【鎧】の軍服を纏った男性が、胸ポケットから紙片を出して広げる。
「青き風 片翼に起き 舞い上がれ
生の疾風が骨繕う糸紡ぎ 無限の針に水脈の糸 通し繕え
毀つ骨の節は節 支えは支え 腱は腱 全き骨 ここに癒ゆ」
呪医セプテントリオーは訪問者に構わず【骨繕う糸】を唱え、まずは折れた肋骨を復元した。【癒しの水】で魔力を帯びた水を肺へ流し込み、臓器の傷を塞ぐ。
「星々巡り時刻む天 時流る空
音なく翔ける智の翼 羽ばたきに立つ風受けて 時早め
薬の力 身の内巡り 疾く顕れん」
調査隊の薬師二人は、自分の荷物から濃縮傷薬を出すと、患部にたっぷり塗り込んで【薬即】を唱え、咬み傷を塞ぎに掛かった。
常勤する科学の内科医と眼科医が、不安がる患者たちを宥めながら、それぞれの治療や診察にあたる。
自警団員は、血に染まった右腕を大儀そうに持ち上げ、航空写真の一角を指差した。二の腕まである革手袋の血は、負傷者を運んだ際に付着したものだ。彼自身は打撲と左腕のヒビだけで済んだ。
「どんな姿でした?」
「やっつけてくれるんですか?」
「発見できれば……手負いにしましたか?」
自警団員が、軍服姿の中年男性を上目遣いに見る。
「いえ、鱗が硬くてボウガンの矢がみんな弾かれたんで、【退魔】と【魔除け】と【操水】でどうにか追っ払っただけで、このザマで」
「どのくらいの大きさでしたか?」
「頭から尻尾の先までが俺と同じくらいで、蜥蜴っぽい形で鱗がゴツくて、尻尾に棘が生えてて、やたらすばしっこかったです」
「どんな色でしたか?」
「地味な緑色でした」
「成程。恐らく、樹棘蜥蜴でしょう。毒はありませんが、口は雑菌だらけですから、化膿止めの魔法薬や科学の抗生物質を早めに使った方がいいですよ」
「大丈夫です!」
「持ってきました!」
若手研究者と製薬会社の薬師が揃って請け負う。
二人は手際よく、濃縮傷薬を塗った傷を包帯で保護した。
赤毛の薬師が言う。
「夕方には傷が塞がります。でも、出血量が多いので、できれば診療所に泊めてもらって、安静にして下さい」
研究員が、パテンス神殿信徒会のボランティアから紙コップを受取り、リュックから出したプラスチック瓶から化膿止めの魔法薬を注ぐ。ボランティアたちは、魔獣に襲われた八人にすっかり慣れた手つきで飲ませて回った。
そうこうする間にも、熱中症の患者が担ぎ込まれ、眼科医らが通常診療を中断して魔法薬を飲ませに掛かる。
「セプテントリオー様! こんな所にいらしたのですか!」
「今はそれどころではないので」
呪医セプテントリオーは声の主が何者か思い出し、応答に棘が生えるのを抑えられなかった。ネモラリス政府軍の軍服を纏う黒髪の男が、診療所の惨状を見回して一歩退がる。
「では、これ以上の犠牲者を出さぬよう、逃げた魔獣を倒して参ります」
旧ラキュス・ラクリマリス王国軍の騎士だった男は、恭しく一礼すると、軽快な足取りで診療所を出て行った。




