1920.山積みの懸念
「ベルト作りに携わった方々の工賃をもう少し引き上げたいところですが」
モルコーヴ議員は、総合商社役員のマリャーナを見た。
「サイト運営者、発送作業担当者、作業場所の家賃、梱包資材代、光熱費と通信費も上乗せするとなると、かなり高価になりますね」
パソコンは、マリャーナ宅のノートパソコンの予備を使わせてくれる。写真撮影も、難民キャンプに寄付されたタブレット端末で何とかなる。
「毎日売れなくても、家賃とかは掛かるんですよね」
シレンティウム記者が溜め息を漏らす。
……通販サイトを作る係は、タダで勉強させてもらえる分、まだマシなんでしょうけど。
「問合せ対応とか、どうするんですか?」
ファーキルから質問が出て、大人たちが固まった。
アミエーラは通信販売を使ったことがなく、仕組みを聞いてもピンとこなかったが、言われてみれば、確かにそうだ。
勤め先の仕立屋では、直接の来店か電話で度々問合せがあった。
仕立屋は採寸やお直しがあるから、来店の割合が高かったが、通信販売ではベルトのサイズをどう確認するのだろう。
ベルトの通信販売も、電話番の係と電話機、それに月々の電話代が必要だと気付き、アミエーラはげんなりした。
……利益を出すどころか、大赤字よね。
フリジオ株式会社の対応には、不可解な点もあったが、あんなに安い手数料で何もかも引受けてくれたのは、親切だったと言える。
「そう言われてみれば、サイズが合わなくて返品とかもありますね」
「あっ……」
アミエーラが呟くと、みんなの顔色が更に悪くなった。
「えっと、問合せはメールのみで、サイト管理の担当者にしてもらうのが妥当でしょうね」
「難民キャンプからアンテナ車が引き揚げなければ、平野に近い区画の方々にお願いできたのですが」
ジュバーメン議員が言うと、アサコール党首は肩を落とした。
マリャーナが困った顔で亡命議員たちを見る。
「そうなりますと、問合せ対応の待機時間も賃金が発生しますね」
「そもそも、誰が雇用するのかね? 発送作業中、怪我をした時の労災の扱いも不明確なのだが」
ラクエウス議員が、白い眉の下で目をしょぼつかせる。
今の状況では、どこにも雇ってもらえない可能性が高い。
ネモラリス人が、アミトスチグマ王国で起業できるのか。法的には可能でも、設立資金の壁にぶち当たる。
「怪我は、即死じゃなければ、セプテントリオー呪医に何とかしてもらえると思いますけど」
ファーキルが大人たちを見回す。アミエーラも気が付いて付け加えた。
「それを言い出すと、作る時の怪我もってなりますけど」
「そうですわね。これまでも、バザーで売る木の実や香草茶を採りに行って魔獣などに襲われた人が何人も居りますし」
モルコーヴ議員が苦い顔で頷いた。
「その辺りにつきましては、一度持ち帰って上や担当部署と相談させて下さい」
「何とかなる可能性があるのですか?」
アサコール党首が目を大きく見開いて、シレンティウム記者に聞く。湖南経済新聞社の国際部記者は、何とも言い難い顔で応じた。
「現在、我が国の産業省が、長引く戦争の影響で苦しむ貧困層向けに緊急雇用創出事業の計画を打ち出しました」
「来月頭から事業者を募集して、その審査は七月下旬から。求人の開始は早くても八月半ば頃からで、実際の採用は順調に行っても九月初旬頃……しかも、アミトスチグマ人の貧困層を対象とする政策ですから」
ジュバーメン議員は続きを言い澱んだ。
……ネモラリス人がその枠に割り込んだら、怨まれそうよね。
「アミトスチグマに帰化した人たちは、まだ経済的な基盤が安定しておりませんが、難民ではなくなった為、様々な支援の対象から外れました」
アサコール党首が言い、モルコーヴ議員とラクエウス議員が硬い表情で顎を引いた。
「イーニー大使によると、臨時政府は、大使館が独自に支援を行う場合、帰国の意志を持つ者を優先せよと釘を刺したそうです」
「まぁ、それは、本国も予算不足ですから、他国に身を委ねると決めた人まで保護できないと言うのは、ある意味、仕方のないことです」
アサコール党首が眉を下げた。
ネモラリス共和国とラクリマリス王国は、国籍の基準が血統主義だ。
両親のいずれかがその国の国籍を有する者なら、どこで生まれ育ち、どこに居住しても、その血を引く子はネモラリス共和国かラクリマリス王国の国籍を自動的に取得する。
出生地主義の国で産まれた場合、成人していずれかの国籍を選択するまで二重国籍の状態に置かれる。
ラクリマリス王国の帰化基準は、魔力を有することだ。力なき民の場合、三親等内の親族にラクリマリス国籍の者が居る者に限られる。
レーチカ臨時政府がどんな思いで、ネモラリスの血を引く者を切り捨てる決断をしたか不明だ。
「アミトスチグマに帰化した人は、元難民で、血筋がネモラリス人である為、貧困層の中でも特に弱い立場に追いやられています」
「職業訓練校の受講要件は、失業保険の給付対象者であることなのですが、ネモラリス出身者がどのくらい居りますことやら」
アサコール党首が溜め息混じりにこぼし、ジュバーメン議員が額の汗をハンカチで拭った。
以前、ネモラリス大使館がアンケートを行った。
アミトスチグマ王国の都市部へ逃れたネモラリス難民の内、力なき民の主な就業先は、飲食店の給仕や洗い場、倉庫や工場での軽作業だ。
低賃金の単純労働ばかりだが、身分証を持ち出せなかった為、就労ビザが下りても元の職業に近い業種には就職し難かった。
呼掛けに応じて大使館へ足を運び、身分証を再発行できた者は、多少マシになった可能性があるが、充分な追跡調査ができず、現在の就労実態は不明だ。
ネモラリス人にとって、インターネットはほんの数年前まで全く馴染みのない存在だった。
キーボード入力も、事務員の一部がタイプライターで身につけるだけで、一般に浸透しておらず、ネモラリス共和国では特殊技能だ。
雇用保険の要件を満たす者の内、サイト管理者の適性を持つ者が一体、何人居るだろう。
「仮に弊社が緊急雇用創出事業の補助金を獲得できたとしても、ネモラリス出身の方々を必ず採用できるとは限りませんので、その辺りはお含みおき下さい」
「えぇ……」
「それはもう……」
「採用枠が全部アミトスチグマ人で埋まった時は、サイトの構築と運営、それから発送作業や問合せ対応とかも、湖南経済で引受けてもらえませんか?」
「えッ?」
アミエーラは、ファーキルの質問に耳を疑った。
「自力で通販サイトを運営するのはコストが高くつくみたいなんで、それなら、販売は湖南経済にお願いして、働く人と経費は補助金の事業で賄ってもらって、難民の人たちは、ベルトとか商品を作るのに専念してもらった方がいいんじゃないかなって気がしてきました」
「成程……それも一理あるが」
ラクエウス議員が頷いて、シレンティウム記者を見る。
「研修はどうされます?」
「厚かましいお願いで恐れ入りますが、それはそれで実施していただけますと、大変助かります」
アサコール党首が言うと、記者は頷いた。
「そうですね。その件も含めて再度、関係部署と相談させて下さい」
まだ、湖南経済新聞社が補助金を得られると決まったワケではない。
今日の会議では、山積みの懸念を確認し、言語化しただけで終わった。
☆フリジオ株式会社の対応……「1865.波及する影響」参照
☆難民キャンプからアンテナ車が引き揚げ……「1871.効力なき権力」参照
☆ラクリマリス王国の帰化基準……力ある民の帰化基準に関する第一報「0229.待つ身の辛さ」、力なき民の帰化基準「753.生贄か英雄か」参照
☆ネモラリス大使館がアンケート/大使館に足を運び、身分証を再発行……「1378.成すべきこと」→「1424.歌ってみた者」「1595.流出した人材」参照
☆キーボード入力も、事務員の一部がタイプライターで身につけるだけ……「730.手伝いの手配」→「812.SNSの反響」参照




