1916.誰も損しない
「デレヴィーナはどんな様子だ? 絶光蝶の飼育場は無事か?」
「警備員さんや駆除屋さんが政府軍に取られて、森へ行き難くなったそうで、薬の素材屋さんがみんな閉まってます」
薬師アウェッラーナが困り果てた顔で、デレヴィーナ市の状況を説明した。
「成程な。今年に入ってから、客が何人も絶光蝶の鱗粉が値上がりしたってボヤいてたから、気になってよ」
「呪符屋のゲンティウス店長は、特に何も言ってないみたいですけどね」
「儲かってんなら、ちょっとやそっとの値上げじゃ堪えんだろ」
素材屋プートニクは苦笑したが、すぐ真顔に戻って言う。
「そんな状況なら、魔獣が増えてそうだな……何が居るか聞いたか?」
「いえ……狩人さんは普通に鹿を狩ってたそうですけど」
「お前さんたち、森へ入ったのか?」
レノが言うと、プートニクは意外そうに聞いた。
緑髪の薬師が慌てて首を横に振る。
「いえ、革素材屋さんと話しているところへ鹿皮を売りに来たんです」
「何だ。森へ薬草でも採りに行ったのかと思った……行かねぇのか?」
プートニクはカウンターに両手をついて、薬師アウェッラーナに顔を近付けた。
「いえいえ、無理ですよ、無理!」
「ははは。じゃあ、俺が行って魔獣狩りしたら、絶光蝶の鱗粉も手に入りやすくなるんだな」
「えっ? またお店閉めて行くんですか?」
素材屋プートニクは昨秋以降、アーテル地方にも度々狩りに行くようになった。
「俺が狩れば、デレヴィーナの連中が助かる。で、絶光蝶の世話ができるようになる。鱗粉の出荷が再開されれば、呪符屋の親父も喜ぶ。俺も素材が手に入って儲かる。誰も損しねぇだろ?」
「まぁ、そうですけど」
レノはプートニクの営業方針が心配になった。
……閉めてる間の損失を回収できる自信があるから、急に休めるんだろうけど。
客との信頼関係が謎だ。
「買物終わったら、すぐデレヴィーナに戻るのか?」
「え……えっと、もう一人の連れと合流して、今日中に戻りますよ」
レノが答えると、プートニクは嬉しそうに頷いてクルィーロに言った。
「俺も連れて跳んでくんねぇか? 勿論、【跳躍】代は出す」
「うーん……あっちの人にちゃんと話をしてからの方がいいんじゃないかなって思うんですけど」
クルィーロが渋い顔をする。
……魔獣でも、黙って獲ったら密猟だよな?
レノは口に出さなかったが、プートニクは目顔で疑問を向けた。
「狩人さんとか居ますし、狩猟の縄張りか何かありそうなんで」
「そんなの気にしてる場合じゃなさそうだがな……まぁ、街のお偉いさんに話通すのは別にイヤじゃないぞ」
レノはホッとしてアウェッラーナを見た。緑髪の薬師は微妙な顔だ。
「移動の報酬は、日持ちする野菜でいいか?」
「え? え、えぇ、戻るついでなんでそれで」
クルィーロが曖昧な顔で頷き、話がまとまった。
落ち合う場所と時間を決めて、三人は運河へ向かう。
お茶の時間に近く、流石に野菜を行商する舟は一艘も見当たらない。
陸地の市場へ移動し、端末で地図を確認して八百屋と乾物屋を巡る。
プートニクの言う通り、個人経営の八百屋には何も言われなかったが、スーパーマーケットは入口に身分証云々の貼紙があった。
「レジでいきなり言われるよりマシだけど」
「門前払いですよね」
クルィーロが端末で撮って暗い顔になり、薬師アウェッラーナが溜め息混じりに言う。
「外国と取引がありそうなとこは、なるべく避けた方がいいのかな」
レノは小声で言って市場の通りを見渡した。
夕飯の準備に先立って、買物に繰り出した主婦や使用人で混雑し始めた。
この市場には生鮮食品や日用雑貨など、地元民向けの店が大半で、巡礼者や観光客らしき者の姿はない。それでも、一部の店は扉の脇や外に出した看板などに身分証の提示を求める貼紙を掲示する。
国王の方針と、民間同士の取引は別なのだと思い知らされた。
言い知れぬ疎外感と惨めさを押し殺し、貼紙がある店を避けて買物を続ける。
豆専門の乾物屋で一キロずつ全種類買って、クルィーロがラゾールニクにメールを送った。
〈プートニクさんも来るって?〉
〈父さんから革素材屋さんに頼んでもらって、狩人さんとかに話を通してもらおうと思っています〉
〈それがいいな〉
ラゾールニクは、プートニクがデレヴィーナ市へ行く件には反対しなかった。
待合わせ場所の西神殿前へ行くと、ロークとラゾールニク、素材屋プートニク、それに知らない男性も居た。
プートニクは、複雑な呪印や呪文が刺繍されたマントを羽織って、肩に大剣を担ぐ。都市部で武装しても誰も何も言わないのは、魔獣駆除業者が多い土地柄だからだろう。
「俺たちがカフェから戻ったら、先に来てたんだ」
ラゾールニクが肩を竦める。
「店番の坊主も来てるって教えてくれりゃ、茶の一杯も奢ったのに」
「色々と込み入った話がありまして……」
プートニクは水臭いなぁと無邪気に笑ったが、ロークは言葉を濁した。
知らない男性はロークの背後に立ち、伝統的な武装を整えた大柄な魔法戦士を怯えた目で見上げる。
……あれが元星の標?
レノはなるべく視界に入れないよう、風采の上がらない中年男性から視線を逸らした。
「それで、ちょっと話したんだけど、俺も駆除を手伝おうかなって思うんだ」
「えっ? ラゾールニクさんって戦えるんですか?」
レノは思わず聞いた。
情報ゲリラの青年が苦笑する。
「身ひとつで戦うのは無理だよ。呪符とか使って手伝うくらい」
「日が暮れる前に話を付けたい……呪符屋の親父によろしく!」
プートニクに急かされ、ロークと短く別れの言葉を交わした。
☆デレヴィーナ市の状況……「1908.素材屋の休業」~「1911.森林活用の難」参照
☆素材屋プートニクは昨秋以降、アーテル地方にも度々狩りに行く……前回「1819.偶然の出会い」~「1824.欠けたピース」参照
☆プートニクの営業方針……「1304.もらえるもの」参照
☆豆専門の乾物屋……「1895.制裁への反発」「1896.虚実織り交ぜ」参照




