1910.抵抗する商人
老店主の眉間の縦皺が深くなる。
「挙句の果てにゃ、税の物納を売物でやれときたもんだ」
「えぇ……?」
「ウチは皮革関係の素材屋で、靴や手袋、鞄の職人さんへ卸してたんだがね」
老店主がお茶を啜って言った。
ネモラリス政府軍は開戦直後から、魔獣由来の素材を買い集め始めた。
クーデター前までは遅くとも翌月には支払われたが、首都クレーヴェルがネミュス解放軍に制圧されてからは、不定期になった。
長引く戦争の影響で税収が落ち込み、支払が滞るのは理解できるが、素材屋たちにも生活がある。
それでも、国防の為と、薬素材の店も、革素材の店も歯を食いしばり、政府軍の調達要請に辛うじて応じてきた。
だが、やはり、滞納期間が長引くにつれ、どうしても、支払の早い方へ物が流れ始める。
臨時政府は今年の一月、税法などを改正して戦時徴用規則を設けた。滞納者の資産差押を強化し、また、売惜しみには罰金を課すようになった。
「えっ? 他の街ではそんな話、全然……」
パドールリクが愕然と呟く。
「あんたら、あちこち回ってるっつったが、今年の始め、どの辺に居た?」
「ネモラリス島の東部です」
「そっちら辺はまだ、湖東地方と取引があったし、解放軍の勢いが強いから、臨時政府も四の五の言えなかったんだろう」
……ジョールチさんたちは、ちょくちょくレーチカの官庁街へ公示を見に行ってたけど。
掲示板の面積には限りがある。
掲出の時期によっては、ジョールチたちが確認する前に入替ったかもしれない。
「新聞や役所の掲示板には載っておりませんでしたが」
「新聞は、紙もインクも高くなったからな。国営放送で言ったんだよ。ラジオ」
「えぇッ? そんな大事な話、聞きそびれたらオワリなのに?」
少年兵モーフが口を尖らせる。
老店主が笑い、危うくお茶をこぼしそうになった。老婦人に肘で小突かれて茶器を置くと、目許を手で拭って言う。
「そいつを放送局の坊やが言うのかい」
「私たちは、放送内容を事前に詳しくお知らせするので、聞きそびれた人にも、誰かがメモや録音したもので伝わると思います」
薬師アウェッラーナが言うと、老店主は口許に残った笑いを引っ込めた。
「もしかすると、本当にここより東へは伝わってないのかもしれんな」
「でも、ここの方がクレーヴェルに近いですし、臨時政府の手って、もう届かないんじゃありませんか?」
「ここは国営放送の支局や全国紙の支局があって、マチャジーナより臨時政府からの情報が多いんだよ」
老店主がお茶を啜り、老婦人が代わって話す。
「市役所には、解放軍側へついた人が多いんですけどね。国の機関はそうもゆきませんから」
「あっ……」
「まぁ、お役人も辞めたら収入がなくなるし、好き好んで臨時政府の言いなりになる人が、どれだけ居ますやら」
老婦人は溜め息混じりに言い、五人の茶器に【操水】で香草茶を追加した。
ラジオは自分で選局し、新聞も目を通さなければ、情報を得られない。
連立与党のクリペウス政権と、その体制を維持するレーチカ臨時政府は、報道規制を敷き、軍を動かしてまで不都合な情報を隠蔽する。ネミュス解放軍とラクリマリス政府に暴露されても、国民に対してシラを切り続けるのだ。
ネミュス解放軍に心が傾いた国民が、戦時特別態勢で情報統制を強めた報道に耳を貸さなくなっても、不思議はなかった。
……臨時政府が出さない……隠してる情報を放送してるって言ったから、信用してくれたのね。
「商売したら、税を物納せにゃならん。臨時政府にそっぽを向いたデレヴィーナ市の地方税もあるからな」
「市民税だけ納付すれば、国税局が黙っていないでしょうね」
パドールリクがメモを取る手を止め、営業を続ける老店主を案じる。
「皮は鞣すのに何カ月も掛かるし、家畜の皮が来るのがわかってるから、店を閉めらんないんだよ」
「それにもう、軍隊が欲しがる物は売り切れて、入荷もありませんし」
老婦人が店の方にチラリと目を向けたが、台所からは見えなかった。
少年兵モーフが興味深々で聞く。
「軍隊が欲しがるモンって?」
「靴やら手袋やら、魔装兵の防具になる魔獣の革やそれ用の染料、【無尽袋】にも使える染料だ」
「一部の染料は魔法薬の材料にもなるけど、それも売切れて入荷もないし、もう怖いものなしよ」
老婦人がモーフににっこり笑ってみせる。
薬師アウェッラーナは卓上で拳を握った。
「ここに来るまでに道々見た薬の素材屋さんは、みんな閉まってました。みなさん、お薬はどうなさってるんですか?」
「あぁ、旅暮らしだと、魔法薬がないの心配だろうね。呪医と薬師も戦争始まってすぐの頃、半分くらい政府軍に連れてかれて、残ってるのはヨボヨボのベテランとペーペーの新人ばっかりで」
「お爺さん、薬の素材屋さんの話ですよ」
「今、言おうとしてたんだ。順番ってもんがあるだろ」
「あー、ハイハイ」
話の腰を折られた老店主は、お茶を一口飲んで仕切り直した。
「素材屋連中、臨時政府には税の物納でも渡したくないって店を閉めたけど、街のモンが家へ行ったら売ってくれるんだ」
「えぇッ?」
「国税局の奴らも、営業実態がなきゃ徴収できん。まぁ、店の裏で売ってんのわかってて、臨時政府には戦争のせいで店が潰れたって報告してるんだけどな」
皮革素材屋の老店主がニヤリと笑う。
「輸入も滞ってますから、本当に廃業して転職した人も居ますけど」
「駆除屋を軍隊に取られたせいで、ちょっと薬草園へ行くのも命懸けだ。魔獣に襲われて何人も廃業しちまったしなぁ」
老夫婦が揃って目を伏せ、香草茶の湯気が倒れた。
「畑に魔獣が出たって?」
少年兵モーフが拳を固める。
「銃がありゃ、俺がぶっ飛ばしてやんのに」
「あらあら、頼もしいコト」
「あっ! 本気にしてねぇな? 俺、魔獣と戦ったコトあるんだ。銀の弾丸がありゃ、ちっせえのくらい何とかしてやんよ」
「薬草園は森の中だから、危ないわよ」
老婦人はムキになるモーフを窘めてくれた。
☆臨時政府は今年の一月、税法などを改正……「1847.税の強制徴収」参照




