1909.悪循環と商売
パドールリクがみつけた営業中の店舗は、魔法薬の素材ではなく、皮革素材の専門店だった。店内には、様々な種類の鞣し皮と、呪文や呪印を染めつける染料素材の瓶、革を縫い合わせるたくさんの糸が整然と並ぶ。
鞣し皮の独特の匂いに満ちた店内は、他に客が居なかった。
棚には何カ所も空っぽの段があり、入荷待ちの札がポツンと乗る。牛革、豚革、羊皮は充分あるが、鹿革は現品限り、魔獣の革は全種類入荷待ちだ。
染料の瓶も、ベニバナやクチナシなど、畑で栽培できるものや、絶光蝶の鱗粉や水知樹の樹液のように異界の生物由来でも、こちらの世界で養殖や栽培が可能なものは、在庫がある。
入荷待ちなのは、栽培できないものや、魔獣由来のものばかりだ。
……じゃあ、閉まってるとこって、みんな魔獣由来か天然モノの専門店なのね。
「いらっしゃい。お客さんたち、ここらじゃ見ない顔だね」
店の奥から、店主らしき老人が出て来た。総白髪で、陸の民か湖の民か判然としない。
「初めまして。私たちは移動放送局プラエテルミッサの者です」
「何だい、そりゃ?」
パドールリクが名乗ると、老人は年季の入った前掛けで手を拭きながら、三人を順繰りに見た。
「クレーヴェルでクーデターが発生した際、国営放送本局とFMクレーヴェルの有志が起ち上げた移動放送局です。開戦後、既存の報道機関が取り上げなくなった地域情報や、国際ニュース、軍歌以外の音楽などを放送して、ネモラリス島内各地を回っております」
「その子たちも?」
「あ、私は長命人種です」
「おっと、こりゃ失礼」
薬師アウェッラーナが言うと、老店主は広い額を掌でペチリと打った。
「本職の放送局員は二人だけですが、私たち素人も、縁あって取材や歌などで協力しています」
「へぇー……ここで放送すんのかい? 周波数は?」
パドールリクがFMクレーヴェルのイベント放送用周波数を諳んじると、老人は手帳に書き留めて頷いた。
「この街に到着したばかりで、まだ公開生放送をする場所は未定ですが、可能なら、デレヴィーナ市内の三カ所程度で実施しようと思っております」
「三回もすんのかい?」
「移動放送局は、電波伝搬範囲が狭いので」
「あぁ、それで場所を変えて? タダで放送すんのかい? ガソリン代やら電気代やら、近頃は高くついて堪らんだろうに」
「放送の中でお店の広告を読み上げて、その広告収入と生放送中、会場での物販で何とか回しています」
パドールリクの説明で、老店主は唸った。
「ウチは宣伝できる程の売り物がないんだけど、あんたら、何を売るんだい?」
「焼き菓子や蔓草細工などですが、このお店の売り物がこんなに少ないのは、一体どうなさいました?」
「国営放送の人って、その人はまだ、臨時政府と繋がってんのかい?」
質問で返されたが、パドールリクは全く動じる様子もなく、誠実に答える。
「いえ、独自取材で、臨時政府が出さない情報を中心にお届けしております」
「例えば?」
店主はカウンターに身を預け、再び手帳を開いた。
少年兵モーフの顔が、どんどん険しくなってゆく。
アウェッラーナは気が気でなかったが、今はこの街の情報を知る為に我慢が必要だ。
「例えば、先日はマチャジーナ市で、ネモラリス共和国に対する武器禁輸措置の詳報を放送しました」
「国連がやったアレか」
「そうです」
老店主は商品棚に目を走らせ、ひとつ溜め息を吐くと、パドールリクに視線を定めて手帳を閉じた。
「わかった。話そう……婆さん! お茶五人分出してくれ!」
店主はカウンター端の板戸を上げ、他所者三人を招じ入れた。
まだ緑髪が残る老婦人が、慣れた手つきで食卓に茶器を並べる。香草茶の爽やかな香りが広がり、モーフの眉間から皺が消えた。
「マチャジーナ市内では、業務用素材を扱う専門店も大半が営業しておりましたが、このデレヴィーナ市では何故、こんなにも休業が多いのでしょう?」
老婦人が座るのを待って、パドールリクが老店主に聞いた。
「ネーニア島のクルブニーカ市が、空襲で酷いコトになったの、知ってるか?」
「はい。私たち、ゼルノー市出身で、避難する途中に見ました。薬草園も爆弾を落とされて」
アウェッラーナは、医療産業都市クルブニーカの惨状を思い出し、声が震えた。
「そうなんだよ。それでまず、レサルーブの森からの仕入れが途絶えたんだ。業者さんが無事でも、立入制限やらなんやらでアレでな」
同時に、ネーニア島中部の沼沢地で採れる素材も、供給がなくなった。
ネミュス解放軍のクーデターと魔哮砲の正体を暴露した放送、その後のラクリマリス王国政府の発表などで、レーチカ臨時政府と政府軍こそが戦争の原因を作ったのだと、見限る者が増えた。
「えー、そんなワケで、解放軍につく奴が増えたんだ」
「お爺さん、戦争の原因云々より、支払の件で揉めて解放軍についた人の方が多いじゃありませんか」
「今、言おうとしてたとこだ」
「あー、ハイハイ」
老婦人は肩を竦めてお茶を啜った。
「臨時政府は、魔法薬や武器、防具やなんかの材料やら完成品を買上げてたんだが、支払が滞りがちでな。催促しても、今は戦争中だから挙国一致して国防を成さねばならんの一点張りで、てんで埒があかんのだ」
「踏み倒されたのですか?」
パドールリクが呆れた顔で聞き、少年兵モーフが目を剥いた。
「解放軍も色々買うけど、そっちは毎月きっちり払ってくれるもんだから、臨時政府には、前回の支払が終わるまで次は出せんって、突っぱねる者が出始めてな」
「えっ? それ、大丈夫なんですか?」
薬師アウェッラーナはギョッとして聞いた。
「そしたらよ、何回催促しても支払いがなくなったんだよ」
「支払を滞納されて、断ったら音沙汰なくなるって、悪循環だったのよ。こっちだって生活があるのに」
老婦人が空になった茶器を置いてぼやいた。
☆移動放送局は、電波伝搬範囲が狭い……「781.電波伝搬範囲」参照
☆マチャジーナ市で、ネモラリス共和国に対する武器禁輸措置の詳報を放送……「1867.国際情勢の報」「1868.撤回への努力」参照
☆マチャジーナ市内では、業務用素材を扱う専門店も大半が営業……「1834.北側の商店街」「1835.回らない情報」参照
☆ネミュス解放軍のクーデターと魔哮砲の正体を暴露した放送……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」参照
☆その後のラクリマリス王国政府の発表……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照




