1905.王都の来訪者
無人島の対岸、王都ラクリマリスはすっかり寝静まり、残った灯火は極僅かだ。
ロークとクラウストラが、魔法のテントを片付け終える頃、小型の漁船が姿を見せた。
「フィアールカ神官、こんばんは」
「今はもう神官じゃないって言ってるでしょ」
年配の男性に応えた声がくすぐったそうな笑いを含む。
「神官?」
元星の標シーテツが、小声で繰り返したが、誰も説明しない。
漁船が岸からやや離れた所で停まる。
「甲板に【跳躍】するから、手を繋いで」
運び屋はロークとシーテツ、クラウストラがレフレクシオ司祭と手を繋ぐ。詠唱が終わった瞬間、足下の感触が、やわらかな砂地から木の甲板に変わった。
風が出て、やや波はあるが、小型の魔道機船は全く揺れない。
船長が呪文を唱えると、船はくるりと向きを変え、音もなくラキュス湖の面を滑りだした。
頬に触れる風が強くなる。
揺れがなく、対岸の灯火が大きくなってゆかなければ、船の動きに気付かなかっただろう。
三分と経たず、西神殿前の桟橋に降り立った。
「有難う。夜遅くにごめんなさいね」
「いえいえ、こちらこそ、久し振りにフィアールカ神官の元気な顔が見られてよかったです」
「おやすみなさい」
運び屋フィアールカは苦笑を浮かべて手を振る。四人も漁師に礼を言い、船が見えなくなるまで手を振った。
「西神殿の巡礼者用宿泊施設を取ったの。一週間、無料で泊まれるわ」
元神官の運び屋が、歩きながら説明する。
「私は、今夜中に帰らなければならないのですが」
「はーい、お送りしまーす」
クラウストラが、寝巻姿の司祭に共通語で元気よく応えた。
フィアールカが案内したのは、幾つも戸が並んだ質素な建物だ。
「今夜は他に居ないから、声を潜めなくても大丈夫よ」
並んだ二部屋を開け、壁の燭台にそれぞれ【灯】を掛ける。
「こっちはローク君。そっちがシーテツさん。机に乗ってるのは食べ物と交換する為の品よ」
「食べ物と交換?」
「明日の朝、俺が説明します」
困惑するアーテル人にロークが請合い、五人はシーテツの部屋に入った。
簡素な寝台が一台と書き物机、椅子は一脚だ。
ロークは隣の部屋から椅子を運び、運び屋フィアールカに勧めた。女性二人が椅子、シーテツは寝台に腰掛け、ロークとレフレクシオ司祭は立って壁にもたれる。
「あ、忘れるとこだった。これ、データ入れといたから」
運び屋が、ロークにいつものタブレット端末を寄越す。
ロークは、預かった楽譜をレフレクシオ司祭に手渡す。
「これ、【降魔の楯】です」
「有難うございます。大切に使います」
寝巻姿の若い司祭が、古い紙片を押し戴く。共通語で礼を言い、慎重な手つきで開いた。
「これが、この聖歌本来の歌詞なのですね」
「謳ってみましょうか?」
「お願いします」
レフレクシオ司祭は、クラウストラの申し出を喜んで受けた。湖南語の聞き取りがかなり上達したらしい。
元星の標は、先程から無言で寝巻姿で来た青年を見詰める。
クラウストラは椅子から立ち、背筋を伸ばして呪歌【降魔の楯】を力ある言葉で謳った。澄んだ歌声が魔力を帯び、聞く者の身に薄い衣を纏わせる。
呪歌の詠唱を終えると、クラウストラはすとんと座った。
シーテツは拍手したが、誰も手を叩かず、気マズそうに見回してやめた。
「歌、上手いんだな」
「歌って言うか、呪歌よ」
「じゅか?」
「この呪歌【降魔の楯】は、声と魔力が届く範囲に居るこの世の生き物に【魔除け】と【耐衝撃】の術を薄く掛けるの。何もないよりマシ程度だけど、一度に大勢掛けられるのが便利ね」
「そして、キルクルス教の戦勝を祈る聖歌でもあります」
レフレクシオ司祭は、共通語で言って壁から身を離した。姿勢を正すと、同じ旋律を古い共通語で朗々と歌う。
「先具 鉄楯 隠し持て 歌の楯並め 魔を防ぐ
立掛かる 魔の手 魔の牙 阻む楯 歌の楯並め 人護る
逆捩の一矢鋭鋒 守らう組練 歌の楯並め 魔を防ぐ
戦人 守り返せよ 霊ぶ歌 歌の楯並め 人護れ」
元自警団長シーテツの顔から血の気が引いてゆく。
力強い男声だが、その歌には何の効果もなかった。
歌い終えるのを待って、元神官のフィアールカが言う。
「同じ旋律でも、魔力を乗せずに共通語で歌ったら、単なる歌よ」
「あ、あの、もしかして、し……司祭様?」
「では、あなたはアーテル人なのですか?」
片言の共通語にキレイな発音の共通語で問い返す。
元星の標シーテツが勢いよく寝台から立ち、中途半端に共通語を混ぜた湖南語で司祭に座るよう勧める。司祭が遠慮すること数回、最終的にロークも入れて三人で寝台に座って落ち着いた。
司祭が共通語で名乗る。
「改めまして、私は大聖堂から参りましたレフレクシオと申します」
「しっ、司祭様、私の名前は……えー……シーテツです」
元星の標は、たどたどしい共通語で、先程決めたばかりの呼称を名乗った。
クラウストラがレフレクシオ司祭の前に立ち、端末を向ける。
「これ、見たコトあります?」
「はい。光ノ剣ですね。大聖堂に居た頃は、錆びて朽ちかけた非常に古い物しか見たことがなかったのですが、アーテル共和国では、日々新しい物が鍛造され、実用に供されているのを目の当たりにして、感動しました」
若い司祭は瞳を輝かせ、共通語で答えた。
「現在も、星道記が実践されていることは非常に喜ばしいですし、ルフス光跡教会で執り行われた光ノ剣授与式に立会えたことは、身に余る光栄でした」
「これね、力ある民が握ったら、魔力が充填されて切れ味が上がって【光の矢】と【魔除け】の効果が発動する魔法の剣なんですよ」
クラウストラが共通語と湖南語で説明をすると、シーテツが再び顔色を失った。
☆【降魔の楯】/キルクルス教の戦勝を祈る聖歌……「1860.金糸雀の呪歌」参照
☆ルフス光跡教会で執り行われた光ノ剣授与式に立会えた……「1899.突然の七連休」参照




