1902.無人島で待つ
「成程ね。【魔力の水晶】よ。力ある民が握ると、魔力が充填されて光るの」
「あの業者にもそう言われた」
元星の標は俯いたまま、震える声を絞り出した。
「ありがと。よくわかったわ」
運び屋フィアールカは岩から腰を上げ、汀に立った。
無人島の岸を洗う波が、対岸の王都ラクリマリスに点る灯にきらめく。
ラキュス湖の水が湖の民の力ある言葉に応え、扉一枚分くらいの塊を成して、水面から三十センチ程の高さに浮かぶ。
「じゃ、晩ごはん持って来るから、そこで待ってて」
運び屋フィアールカは水の板に乗り、あっという間に無人島の岸を離れた。
対岸に目を向ければ明るいが、この島には光源がない。【簡易結界】の外では無数の雑妖が蠢く。ロークは、空襲初日の夜を思い出して身震いした。
念の為に【魔除け】などの呪符も持参したが、ヴィユノークの護符に入れた【水晶】の魔力がある内は、節約したい。
「もう一人の……薬草くれた奴は、連れて来なかったんだな」
「彼は明日も仕事がありますから」
「そうか」
会話がふっつり途切れ、風に打ち寄せられる漣と、木の葉の微かな囁きだけが耳に入る。
「知り合いも、キルクルス教徒なんですけど、戦争始まってすぐくらいに魔力があるってわかったんですよ」
「そいつ、どうなったんだ?」
「その人の雇い主は、半世紀の内乱前から生きてるお年寄りで、知り合いの親戚と友達なんだそうです。もしかしたら、まだ魔法使いの親戚が生きてるかもしれないから、クレーヴェルを訪ねなさいって、古い手紙と写真を持たせて送り出してくれたそうです」
「ネモラリスに渡ったのか」
元星の標が驚いた声を寄越す。
「色々あったみたいで、その人と親戚、ラクリマリスで会えたそうですよ」
「何であんたに伝わったんだ?」
男の声は、半信半疑だ。
「その頃はまだ、ネットが使えましたから」
「あぁ……えっ? ラクリマリスもネット使えンのか?」
「巡礼者用に整備が進んでるそうですよ」
「そうか……そうだよな」
今時、インターネットを整備しないネモラリス共和国のような国の方が、かなり珍しい存在なのだ。
それどころか、電話回線すら普及が進まず、半世紀の内乱からの復旧工事がやっと終わったところにアーテル・ラニスタ連合軍の爆撃を受け、再び寸断された。
業者も空襲被害に遭い、復旧が遅々として進まない。クーデター後に断線した箇所は言わずもがなだ。
魔法でも、ある程度代用できるが、力なき民にとって極めて不便な状態が続く。経済的な復興の足を引っ張る原因のひとつだが、戦争と経済制裁でそれどころではなくなった。
「ラクリマリス王国は、基本的に力なき民の帰化や移住を認めないんですけど、力ある民なら、一定の条件を満たせば帰化できますよ」
「星の標だった奴でもか?」
「さぁ? そこまでは知りません。運び屋さんが連れ出すのは、魔力がわかって星の標の迫害から逃げた人ばかりですから」
「そうだな」
砂地に忽然と人影が現れ、男が息を呑む。
「ゴメンねー。ちょっと遅くなっちゃったー……誰?」
大荷物を抱えたクラウストラが、見知らぬ男に気付いて身構える。ロークはクラウストラに駆け寄った。
「運び屋さんが連れて来たんです。魔力があるってわかったアーテル人」
「なぁんだ。……で、運び屋さんは?」
「晩ごはんを受取りに行きました」
「ふーん。じゃあ、その辺の岩、除けるからこれ持ってて」
大きな袋は、折り畳み式のテントだ。
クラウストラは、【重力遮断】の呪文を何度も唱え、大きな岩を次々と内陸側へ転がした。
ロークが空いた砂地にテントを広げる。
「これ、杭打つタイプじゃないから、人が入ってないと飛んでっちゃうの」
「じゃあ、中で待ちましょう」
ロークは元星の標を促した。
クラウストラがテントの入口を内陸側に向け、小石に【灯】を掛けて放り込む。月光のようにやわらかな光でも、闇に慣れた目には眩しかった。
「この人、宿の手配は済んでるの?」
「え? さぁ?」
夕飯を調達するついでに手配したかもしれないが、フィアールカは本人に意思を確認しなかった。確証は持てない。
カルダフストヴォー市へ戻り、門番に頼んで入れてもらうか、このテントに泊まる可能性もある。
「この刺繍、呪文なの」
クラウストラが、テントの刺繍をひとつずつ指差して、術の名称と効果を説明する。男は遮らずに耳を傾けた。
「この刺繍……見たコトある」
「えっ? どこで?」
クラウストラが驚いてみせる。
元星の標は【魔除け】の呪文を指でなぞり、自信なさそうに言った。
「教会の聖者様の像だ。衣の模様がこんなだった」
「よく覚えてるのね」
本当に驚いた声を浴び、男は照れ臭そうに笑った。
「テキスタイルデザインの仕事してたから、服の模様はつい、じっくり見てしまうんだ」
「へぇー……私のこの服も、同じの入ってるよ」
「あっ」
クラウストラが上着の袖を示すと、男は固まった。
「魔法の系統には色々あってね。こうやって、刺繍とかで服や物に魔法の力を付与するのは【編む葦切】学派って言うの。元の仕事に近い系統だったら、覚えやすいかもね」
「うん、まぁ、その……今は……何かを決められる気分じゃないんだ」
男は申し訳なさそうに言って、テントの刺繍を撫でた。
魔法使いとして生きる決心がついたところで、情報が足りなければ、その後の身の振り方までは決められない。
アミエーラは、本人が針子で、元の雇い主も縫製分野を掌る星道の職人だったから、【編む葦切】学派を学ぶと決められた。
また、大伯母カリンドゥラが【歌う鷦鷯】学派の歌手で、本人も歌が嫌いではないから、そちらも勉強中だ。
どちらを専攻するか、まだ決まらないようだが、どちらも本人に素養があり、学べる環境がある学派だった。
……住むとこと仕事が決まれば、犯罪に走る可能性は減るんだろうけど。
水は低きに流れ、人は易きに流れる。
同じ身の上の元星の標に唆されれば、どうなるかわからなかった。
☆空襲初日の夜……「0068.即席魔法使い」~「0071.夜に属すモノ」参照
☆ヴィユノークの護符……「0131.知らぬも同然」参照
☆電話回線すら普及が進まず……「410.ネットの普及」参照
☆クーデター後に断線した箇所……「883.機材の取扱い」参照




