1895.制裁への反発
魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、休む間もなく王都ラクリマリスに跳んだ。
道具屋でも身分証の提示を求められたが、確認は形式的で、偽造だと見破られずに済んだ。
「面倒臭くてすみませんねぇ」
「いえいえ、いちいち大変ですね」
少尉は【真水の壁】の呪符五枚、【光の槍】の呪符一枚を【無尽袋】三枚と交換した。
「よし、次は魔法薬の素材屋だ」
「了解」
少尉がタブレット端末で検索し、何軒か候補を絞り込む。
品揃え豊富な店はやや高く、安い店はほんの数種類しか扱わない。一長一短だ。
「では、ここだ」
ラズートチク少尉は、トウモロコシの髭を扱う安い素材屋を地図に登録した。
「在庫までわかるんですね」
「店が登録すればな。それも、到着前に完売する可能性もある」
「あッ……!」
二人は歩調を上げ、陸上にある市場の人波を泳いだ。
トポリ基地の医官たちは毎日、市内の公立病院へ応援に出る。
ルベルたちが運んだ僅かな野菜で、何人の患者が命を繋げられると言うのか。全部スープにすれば、一人一口くらいは行き渡るだろうか。
自力で食べられる患者には、物足りないだろう。
自力で食べられない患者は、スープや流動食を【操水】で流し込むしかない。
消毒薬や栄養剤をはじめとする基本的な医薬品の不足が、平和な頃なら助けられた筈の命を奪ってゆく。アーテル軍の空襲が止んでも、ネモラリス人の命が失われることに変わりはななかった。
安い素材屋では、身分証の提示を求められなかった。
ルベルは、店主が失念したなら、余計なコトは言わない方がいいと思い、麻袋に詰めたトウモロコシの髭を無言で【無尽袋】に入れる。
「さっき、別の店では身分証の提示を求められたのですが」
「ん? トウモロコシの髭は、プロの薬師じゃなくても大丈夫ですよ。他所のお店は、何か他の物と勘違いしたんじゃありませんか?」
ルベルは少尉の質問に肝を冷やしたが、店主は明らかにとぼけた。
ラズートチク少尉はそれ以上追求せず、礼を言って素材屋を出た。
次に入った品揃えが豊富な素材屋でも、身分証の提示を云々されず、普通に販売される。
魔獣駆除業者に扮した少尉は、頼まれ物を【無尽袋】に詰め、先程の店より突っ込んだ質問をした。
「道具屋では、身分証の提示を求められたのですが」
「身分証? 【思考する梟】か【飛翔する梟】でないと売れない素材は、店頭に出してませんから大丈夫ですよ」
「いえ、宿屋でも、経済制裁云々で」
店主はカウンターに両手をついて、身を乗り出した。
「ウチの王様は、理不尽な制裁に反対だって新聞に書いてありましたよ」
この素材屋も先程の店も、身分証を云々する貼紙がない。
「外国と取引があるとこだって、そっち方面の柵で形だけです。ネモラリス人だってわかっても、見なかったコトにする店、いっぱいありますよ」
「えッ? そうなんですか?」
ルベルは驚いた。
「そりゃそうですよ。特に私ら薬の素材屋や、薬局なんかが販売を断ったら、最悪、人死がでますからね」
ラズートチク少尉が更に聞く。
「新聞では、製薬会社がワクチンなどの販売を拒否しているとかなんとか」
「科学の薬作ってるとこは、特許持ってる会社が、バルバツム連邦やらバンクシア共和国に多いからですよ」
「ネモラリスとの取引がバレたら、特許の使用許可を取消されるんですか?」
店主は、少尉の確認に苦々しい顔で頷いた。
「そうやって、経営の屋台骨傾けてやるって脅されて、仕方なくやってるだけですよ」
「成程。では、魔法薬専門のところは」
「キルクルス教圏の国とは取引がないからね。知ったこっちゃない」
店主が一笑に付す。
「でも、魔法の道具屋さんも、関係なさそうなのに身分証見せて欲しいって言われましたよ?」
ルベルが思い切って聞くと、素材屋の店主は笑みを引っ込めた。
「そりゃアレですよ。貿易商社が【無尽袋】を使うから。『あっちの国に取引を切られると困るから、形だけでもやってくれ』って泣きついたんですよ」
「色々あるんですねぇ」
ラズートチク少尉は、溜め息混じりに感心してみせた。
魔装兵ルベルは、次の店へ向かう道々、陸地の市場を行く人々を見回した。
「ラクリマリス人って、意外とネモラリス人に好意的なんですね」
「元はひとつの国で、身内や友人なども居るだろうからな」
少尉は何でもないことのように言うが、ルベルが産まれる前、五十年間に亘って内戦が続き、国が今の形に三分割されたのだ。
……それに、その理屈だと、身内とかが居ない人は、バルバツム連邦とかの制裁に乗っかってネモラリス人叩きするよな。
ルベルは、ウーガリ山中のアサエート村から殆ど出たことがなかった。
軍に就職するまで、麓のリャビーナ市以外に知り合いは居なかった。それも、分校に来る先生や、巡回診療の医療者など仕事関係の人ばかりだ。
自身に照らして考えると、「ネモラリス領に知り合いが一人も居ないラクリマリス人」も、それなりに居るだろう。
今のところ、ラクリマリス人がよく使うSNSや、ポータルサイトのニュース記事下にあるコメント欄などには、まだそんな書込みが少ない。
どちらかと言えば、バルバツム連邦など、キルクルス教圏の国々による「ネモラリス人に対する非人道的な扱い」を批難する声が大きかった。
……元々ひとつの国。
魔哮砲は、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代に作られた魔法生物だ。
当時は雑妖駆除用で、「清めの闇」と呼ばれた。
事故で封印されて七百年余り、兵器化云々どころか話題にも上らず、国民の大半に忘れ去られた存在だ。
……魔哮砲、どうしてるかな?
「エポプス! 迷子になるなよ!」
離れた所から、ヴォルク先輩ことラズートチク少尉の叱責の声が飛び、ルベルは慌てて歩調を上げた。
三番目の目的地は乾物屋だ。
豆を専門的に扱う店で、緑豆、大豆、雛豆、レンズ豆の粉末二キロ入りを一袋ずつ買った。情報収集を兼ねる為、一店舗で買占めず常識的な量に留め、今日中に回れるだけ回る。
ルベルたちの前で会計する客が笑う。
「いゃあ、ボロい商売だよ。こっちじゃこんな安いのに」
先客は、炒り豆を買い占めたらしい。
店主は愛想笑いしただけで、何も言わなかった。




