1894.水上の行商人
まだ朝靄が立ち込める頃、魔装兵ルベルとラズートチク少尉は、王都ラクリマリスの安宿を出た。
運河へ出ると、荷を満載した舟が東西から次々と渡って来る。
「朝市の舟はな、卸売市場を通さず、農家が直売に来るのだ」
「王都の中に畑があるんですか?」
ルベルは見回したが、朝靄のせいで視程が狭く、すぐ傍の建物しか見えない。
「西門と東門の近くに貸舟屋がある。農家の人たちは車で売り物を持って来て積み替え、あぁやって売って回るのだ」
「へぇー。農家って舟も動かせるんですね」
山育ちのルベルが感心すると、少尉は苦笑した。
「大半の農家が、貸舟屋で船頭を雇う」
「そ……そうですか」
運河沿いにしばらく歩くと、朝靄が晴れてきた。
太い運河の畔では、買物籠を提げた住民らが、目当ての舟を呼び止めて野菜を買ってゆく。ルベルと少尉も、岸へ寄った舟を覗いた。
何種類もの野菜を積んだ舟もあれば、一種類を大量に運ぶ舟もある。
「呪符で南瓜、売ってもらえますか?」
「はいよー。【光の矢】か。害獣退治にいいね。一枚で五個だ」
「有難うございます」
南瓜だけを売る農家が【操水】で五個岸へ上げ、ラズートチク少尉が広げた【軽量の袋】に入れた。少尉はその水に呪符を一枚置く。
「まいどありー」
八枚持参した【軽量の袋】の一枚が、南瓜五個でいっぱいになった。
少尉は南瓜の袋をルベルに渡し、数種類の豆を籠に入れた舟を呼び止めた。【光の矢】の呪符二枚で、豆を四種類ビニール袋に入れて渡してもらう。豆の袋四つを南瓜の隙間に捻じ込んで、芋を売る舟を呼ぶ。拳大の芋は、呪符一枚で袋いっぱいに買えた。
ルベルは袋の口を括って肩に掛け、少尉についてゆく。
ネモラリス共和国の食料事情を思い、気持ちが沈んだ。
……タンパク質は魚で何とかなるから、まだマシなんだよな。
空は曇りだが、王都ラクリマリスで朝市に繰り出した人々の顔は、売り手も買い手も明るい。野菜を積んだ舟は、後から後からやって来る。
細長い舟の舳先に立つのが船頭で、艫に座るのが農家だ。【畑打つ雲雀】学派の徽章を提げた者たちが、岸辺を行く人々に売物の種類を告げる。野菜の名があちこちから挙がって重なった。
玉葱とズッキーニで、三袋目と四袋目もいっぱいになる。
少尉は茄子で五袋目を満たし、六袋目は半分だけトマトを買い、葉物野菜を乗せた。七袋目にはトウモロコシを詰め込み、最後の一枚は三種類の葉物野菜を押し込んだ。
呪符はまだあるが、嵩が変わらない【軽量の袋】では、これ以上持てない。
後ろ髪引かれる思いで渡し舟に乗り、王都の門を出た。
トポリ基地の陸軍病院へ【跳躍】する。
結界のせいで、やや離れた地点に出るしかないのがもどかしい。
「あっちだ」
ラズートチク少尉に顎で示された方を見ると、ジープが停車中だ。病院職員が運転席で敬礼し、エンジンを掛ける。
トポリ基地の門を潜ると、前庭に簡易テントが設営してあった。
会議用の長机を囲み、呪医と看護師が待ち構える。
「おはようございます。なるべく栄養が偏らないよう、種類を多くしました」
ラズートチク少尉が言いながら袋の中身を机に並べ、ルベルも倣った。看護師たちも、残りの六袋を出す。
薬師が声を弾ませた。
「トウモロコシ、有難うございます。髭が魔法薬の素材なんです」
「それでは、二便目はトウモロコシを二袋分、買いましょうか?」
少尉が聞くと、呪医が首を横に振った。
「可食部が少ないですからね」
「芯は北の農家に渡して、家畜の飼料ですし」
看護師が同調し、薬師が渋々頷く。
「じゃあ、一袋で。これから暑くなりますし、力なき民向けの皮膚病治療薬が、たくさん要るんですけどね」
ルベルは空になった【軽量の袋】を回収して少尉に聞いた。
「では、それは素材屋さんにあれば、別途、買い足しますか?」
「そうだな……今日中には無理かもしれませんが、なるべく早くお持ちします」
「有難うございます。お願いします」
五人の医療者たちが、手際良く野菜を分ける。
会議机の上で五等分された野菜は、一塊が四人家族一世帯分くらいにしかならなかった。
「トウモロコシはここに残して、他はトポリ市内へ」
「それがいいですね」
「他にも、もっとこれが欲しいなど、ありますか?」
「まぁ、何もかも足りないんですけどね」
看護師たちが苦笑する。
「薬の素材は、無資格でも買える物しか調達できませんけどね」
「日持ちするお野菜が」
「葉物野菜は、乾物を【無尽袋】で運んだ方がいいかもしれません」
「豆も、粉末なら一緒に入れられますよ」
「成程」
少尉が質問し、ルベルがタブレット端末でメモを取る。
追加購入を確認し、医療者五人はトポリ市内へ、ルベルたちは王都ラクリマリスに跳んだ。
……もっと、人手と【軽量の袋】があればなぁ。
出せるものなら、とっくに出しただろう。
野菜の購入費用すらなく、ルベルたちがアーテル領で魔獣を駆除して稼がなければならないのだ。
アーテル本土の資産がランテルナ島、ラクリマリス王国、ネモラリス共和国へ流出するが、国家予算に対して微々たるものだ。
魔獣駆除による恩恵の方が遙かに大きい。
渡し舟を使って急いで戻ったが、行商の舟は先程の半分も居なかった。完売したか、河岸を変えたらしい。
「やぁ、また会ったね。ネモラリスの身内に頼まれたのかい?」
「えぇ。そうなんですよ」
少尉が話を合わせると、農家のおかみさんは、玉葱一袋にブロッコリーを一塊おまけしてくれた。
「経済制裁なんて、何の力もない庶民を苦しめるだけなのにねぇ」
二人は何度も礼を言い、ネーニア島のトポリ基地へ戻った。
……世界中から批難されて、よってたかって殺す勢いで経済制裁されても、味方でいてくれる人が居るなんてな。
人情が身に沁みる。
魔装兵ルベルは、こぼれそうな涙を堪え、陸軍病院の職員に荷物を渡した。
☆よってたかって殺す勢いで経済制裁……「1851.業界の連携を」、後書きの【参考】も参照




