1891.木工場を見学
プレハブの薄い壁一枚隔てただけの木工場から、木材を加工する小気味良い音が絶え間なく届く。少年兵モーフが、クッキーが残る大皿から目を上げて、事務室兼応接室の扉を見た。
「社長さん、王都へ巡礼に行ったコトってあります?」
金髪のラゾールニクが聞くと、緑髪の社長は目を伏せた。
「今は住宅再建用の注文が多くて、巡礼どころじゃないけどね。戦争前は毎年、社員旅行でみんなを連れて行ってましたよ」
「神殿でも、情報もらえますよ」
「えッ?」
緑色の瞳が、露草色の瞳を見る。
「ラクリマリス王国は、十年くらい前から、外国人の巡礼者向けにインターネット回線とかの整備を進めて、端末屋さんとかも増えてたんだけど、気付きませんでした?」
「お参りして、そこら回るだけで、あんまり気にして見てなかったからなぁ」
社長が悔しげに扉脇の色褪せた地図を見る。
「そうなんだ? まぁいいや。で、神官たちも、連絡とかに使うようになったから、懇意にしてる神官が居るんなら、見せてって頼んでみるのもアリかもよ」
社長が難しい顔で黙る。
クルィーロは、懸念の見当をつけて言った。
「アミトスチグマでは、買物にいちいち身分証が要るようになりましたけど、飲食店では、まだ何も言われませんよ」
「有難う。組合で聞いてみるよ。もうやってるとこがあるかもしれんからね」
「そうですね。街全体……いえ、近隣都市や、他地域の取引先などとも情報を交換、共有できれば、経済制裁に対抗できる活路や、終戦への道筋が見えてくるかもしれません」
クルィーロたちの父パドールリクが言うと、木工場の社長は苦笑した。
「商売の活路はともかく、終戦云々は国同士のハナシだからね」
「庶民だから関係ないって? この国は今、民主主義ッスよ?」
ラゾールニクがいつになく真剣な目で言うと、社長は面食らって反駁した。
「民主主義ったって、連立与党の連中は、長いコト国民を騙して魔哮砲なんて代物を作って戦争を招いたのにね、今更、我々庶民の一人や二人がどうこう言ったって、どうにもならんでしょ」
「ふーん……だから、ネミュス解放軍に連立与党の議員をみんな、始末してもらいたいって?」
ラゾールニクが底意地の悪い笑みに唇を歪める。
「いや、流石に命まではアレだけどよ。もう一回、国を建て直してシャンとさせないと、アーテルに侵略されるかもしれんのだし」
「アーテルが侵略? こんな魔獣がワンサカ居る島を?」
それまで黙って耳を傾けたメドヴェージが、声を裏返らせた。
社長が意外そうに陸の民の中年男性を見る。
「だってアレだぞ? 俺ら力なき民だからよ。街の外、トラック転がすのもビクビクもんで、実際、森ン中の道走ってる時に魔獣と鉢合わせして、死ぬかと思ったかンな」
「半世紀の内乱の和平協定では、領土分割に関して揉めなかったそうですし、ラクリマリス王国領を挟んで、今更欲しがりますかね?」
父も首を捻る。
魔獣との遭遇は、力ある民のクルィーロでも怖い。
アマナが兄の袖を引いた。
「アーテル領にも魔獣とか居るんでしょ? あっちの人たちってどうやって生活してるの?」
「え? わかんないけど、こないだアミトスチグマで見せてもらったニュースには、魔獣がいっぱい出たから、バルバツム軍に駆除を手伝ってもらってるとか書いてあったぞ」
「え? バルバツムもキルクルス教の国で、魔法使い居ないよね?」
「さぁ? 知らないけど」
社長が話しを戻し、ラゾールニクを見る。
「土地が欲しいんじゃなきゃ、何で魔哮砲を口実に戦争吹っ掛けたか、わからんのだがね」
「戦争の理由や目的が分かれば、和平の道筋も見えてくるかもね」
「……有難う。できそうなコトを色々試してみるよ」
社長がソファから立ち、応接室の扉を開けた。作業場の音が一気に大きくなる。
「折角だし、見学してくといい」
六人は口々に礼を言い、社長い続いて建屋内の隅に建てられたプレハブ小屋を出る。木の香が鼻をくすぐった。
「スッゲぇ!」
柵の向こうの大きな機械が、皮を剥いた丸太を縦に裁断する。少年兵モーフは、瞳を輝かせて機械の動きを見詰めた。
帯状の電動鋸が往復する度に大鋸屑が積もる。傍らに控えた湖の民が、いっぱいになった受け皿から【操水】で回収し、麻袋に詰める。
「あの粉、どうすんだ?」
「農家に売るんだよ」
社長が穏やかな笑顔でモーフに答えた。
「はははっ、何に使うんだって顔だな? 肥料にしたり、キノコを育てる培地にするんだよ」
「野菜みてぇに? 森で採って来ンじゃなくて?」
「レノは森で採って来たけど、店で売ってるのは大体、人が育てたキノコだよ」
クルィーロが言うと、社長が頷いた。
「人の手で育てられるキノコは、種類が限られてるけど、どれも美味しい食用や薬になるものだよ」
「へぇー。じゃあ、この板は? 家にすんの?」
「床や内壁を作る工場にも卸すけど、ウチでは扉と柱を作ってるよ」
社長が、緑色のマットを敷いた安全通路を通り、扉を作る工程へ案内する。
道々、乾燥工程の説明をした。木の種類や厚みなどによって、半年から三年程度掛かると言う。
「魔法で乾かさねぇの?」
「急に水分を抜いたら、板が割れたり反ったりして、使い物にならなくなるからね。自然に任せて、人が手を加えるのは、少しにした方が上手くゆくんだよ」
「ふーん……魔法でもムリなコトってあンだな」
「そりゃそうだ。魔法も科学も、万能じゃない」
社長は、力なき民の少年に当然の顔で言った。
作業用の足場が、扉型に加工された板の上に渡してある。作業着姿の湖の民が、背を丸めて足場から身を乗り出し、小さな刃物で呪文を刻んでゆく。
この扉は、彫刻がまだ三分の一くらいで、残りは板チョコのような形のままだ。
白髪混じりの工員は、徽章を作業着の胸ポケットに入れ、銀の鎖しか見えない。多分、社長と同じ【編む葦切】学派だろう。
職人は小さく会釈すると、すぐ作業を再開した。
ランテルナ島の別荘同様、植物の彫刻に呪文と呪印を紛れ込ませた見事な細工だ。
「これも魔法?」
「呪符は、呪符用のペンでしますけど?」
モーフに続いて、アマナも聞いた。
「ん? 彫るのは普通の刃物で、普通の手作業だよ。呪文を間違えないように気を付ければ、坊やたちにもできる」
「蔓草細工はできるけど、木ぃ削ったコトねぇし、わかんねぇよ」
モーフが顔の前で両手を振ると、社長の目の色が変わった。




