1880.暑さ対策会議
科学の耳鼻科医と看護師たちが、次々と運び込まれる熱中症患者に魔法薬を飲ませる。
意識のない患者には、力ある民の看護師と、パテンス神殿信徒会のボランティアが、【操水】で薬を胃に流し込んだ。
息のある熱中症患者は、魔法使いのボランティアらが、どうにか治療の順番が来るまで持たせようと、【操水】で冷却し続ける。
だが、診療所は、各区画に一カ所ずつしかない。
また、力なき民が患者を抱えて徒歩で搬送する場合が圧倒的に多い。【跳躍】による瞬時の移動や【操水】の担架による冷却がない為、到着時点で救命不能な症例が日を追う毎に増えてきた。
呪医セプテントリオーも、負傷者の治療が一段落した時には、冷却や投薬を手伝うが、熱中症患者は切れ目なく来る。
ネモラリス共和国は島国だ。
人家があるのは、ネーニア島、ネモラリス島ともに湖岸の平野部のみ。夏季も、ラキュス湖から風が吹き渡り、力なき陸の民でも比較的過ごしやすい。
呪医セプテントリオーは、ゼルノー市立中央市民病院の勤務だったが、平和な頃は、一日でこんなにも多くの熱中症患者が搬送されることなどなかった。
ネモラリス難民は、アミトスチグマ王国領の内陸部に位置する難民キャンプの厳しい気候にも苦しめられるのだ。
急を要する患者が次々と運び込まれ、急がない内科系患者がどんどん後回しにされる。
「冬は凍えて死ぬ人なんてなかったのにねぇ」
「そりゃ、寒いのは、重ね着すりゃ何とかなるし」
「古着の寄付がいっぱいもらえて、有難いこった」
患者のお喋りが、呪文を唱える声を縫って呪医の耳に届いた。
「逆に暑いのはさ、全裸以上に脱げねぇじゃん」
「肌に日が当たると直接加熱されるから、服で影を作った方がマシらしいぞ」
「えぇッ? マジか? 直火焼き?」
死亡が確認される度にふっつり黙るが、遠く離れた湖の女神に祈りを捧げると、ひそひそ再開する。
「古着で帽子とか作った方がよさそうね」
「パーカーのフードで首筋を影にするのもいいらしい」
「パーカー? 今着ンの暑くねぇ?」
「帽子だって、頭蒸れてハゲそうだぞ?」
「何か、通気性のいい生地で」
「帽子屋さんって、仕立屋さんとは別だし、作るの難しそうよね」
「寄付の中に帽子の型紙ってあったっけ?」
「モルコーヴ議員に例の何とかネットで取寄せてもらおう」
世間話のようでいて、これ以上犠牲者を出さぬ為、難民キャンプ内で自分たちにも可能なことを考え、状況を改善する対策会議だ。
……帽子の作り方、か。
呪医セプテントリオーは、ソルニャーク隊長ら、星の道義勇軍の三人を思い出した。リストヴァー自治区では、帽子なしでは過ごせないらしく、少年兵モーフも、蔓草で巧みに帽子を拵えた。
難民キャンプを訪れる支援者は、大半が湖の民か力ある陸の民だ。魔法使いたちは常日頃、無意識に様々な術で守られる為、力なき民の不便や、特有の危険になかなか意識が向き難い。
呪医セプテントリオーも、針子のサロートカに指摘されるまで、凍死の可能性に気付かなかった。
ファーキルや歌姫アルキオーネらも訪れるが、それぞれの役目を果たすのに忙しく、他まで注意を向ける余裕はないらしい。
呪医セプテントリオーも、簡単なメモを取る暇すらなく、負傷者の治療と熱中症患者の応急処置や治療に忙殺される。
熱中症患者の搬送が減ってきたと気付いたのは、夕方五時を回ってからだ。
「熱中症のお薬、今日の分はどうにか足りそうですね」
「明日の分、朝イチに届けばいいんですけど」
看護師たちが、疲れ切った顔でひそひそ話す。
熱中症を治療する魔法薬は、意識を失う重症度でも、後遺症なく回復できるが、日持ちしない為、通常は患者が来る度に院内調合する。
難民キャンプは薬師だけでなく、医療者全般が人手不足だ。薬師が居る区画でも通常診療に追われ、魔法薬を調合する時間も魔力も体力もなかった。
「ボランティアのみなさんが、協力企業に連絡してくれますし、明日もきっと何とかなりますよ」
科学の耳鼻科医が、無理に明るい声を出す。
パテンス神殿信徒会の連絡役が、毎日、午後三時頃に来て、熱中症治療薬の在庫を確認。全区画のデータをパテンス市内のボランティアセンターで集約し、製薬会社に連絡する。
製薬会社は、完成品の熱中症治療薬を一回分ずつ、調味料用プラスチック瓶に詰め、段ボール一箱に五百本ずつ梱包する。
翌日、時間は未定だが、各区画へ配送される。
配送は、信徒会が製薬工場まで取りに行き、難民キャンプ手前のボランティアセンターまではトラック、各区画へは【跳躍】で運ぶ。
製薬会社側の経済的負担を減らすことで、一本でも多く薬を届けるのだ。
「経済制裁のせいで、マチャジーナ市からは、もう材料を仕入れられないんですよね」
「今ある分がなくなったら、もう終わりだなんて」
「できればもっと、熱中症を防ぎたいんですけどねぇ」
「近くの木陰は要の木が居て危ないですし」
「ホントは、日中に農作業しないのが一番ですけど」
「朝の暗い内は、夜に涌いた雑妖が居ますし」
「夕方は、これから出て来るから少ししかできないし」
看護師たちのボヤキに入院患者の夕飯を運んできた者たちも加わった。
「命繕う狭間の糸よ
魔力を針に この身繕い 流れる血潮 現世に留め
黄泉路の扉 固く閉じ 明日に繋げよ この命」
木工作業中に手が滑り、深く切った男性を【縫合】で癒して送りだす。
呪医セプテントリオーが壁掛け時計を見上げると、もう六時過ぎだった。
夏の都の防壁閉門時間までは、もう少しあるが、診療所の受付時間はとっくに過ぎた。
緊急性の低い慢性疾患の患者には、なるべく午前中に来てもらう決まりができ、午後二時頃からは、ほぼ急患対応だけになる。
診療所から遠い丸木小屋に住む者は、これまで、ボランティアが【跳躍】で送り迎えしてきたが、ネモラリス共和国に対する制裁発動後は、来ない者が増えた。
そのせいもあって、午後は手が空くのだと思うと、遣る瀬なかった。
「それでは、そろそろお暇を」
「あ! 呪医! 呪医! 待って!」
「来て! 早くッ!」
二人の少年が、血相を変えて診療所に飛び込んだ。




