1878.縮小する支援
難民キャンプ第九区画は、平野部に最も近い区画のひとつだ。
だが、平野との境界に要の木が何本も連なる為、周辺の木を伐採できず、手つかずの森に囲まれる。平野へ出るには、第八区画と第一区画を経由する道路を通らなければならなかった。
車両が通行可能な道路はできたが、周囲の木立からは、鹿や猪などが頻繁に飛び出し、負傷者が多い。
魔獣や野生動物との遭遇だけでなく、畑仕事や鋳物中の事故などもあり、呪医の治療が必要な重症患者はひっきりなしに運ばれて来る。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
呪医セプテントリオーが魔力を行き渡らせると、バケツ一杯分程度の水塊が、幼児の全身を包み込んだ。
鍋をひっくり返し、スープを浴びた肌が瞬く間に元の姿を取り戻した。
若い父親が、幼い我が子を抱きしめて必死にあやし、火が点いたように泣き叫ぶ声が次第に落ち着いてゆく。
「大丈夫、もう大丈夫だから、泣かないでくれよ、大丈夫だから」
「あらあらー、スープあちちしたの、怖かったねー、びっくりしたねー」
科学の耳鼻科医が、点滴を用意しながら、笑顔で幼児に声を掛ける。
患児はドングリ眼を見開いて泣き止み、知らないおばちゃんを見た。
「火傷は治りましたが、全身の八割を越える広範囲で、体内の状態はまだよろしくありません」
呪医セプテントリオーが【見診】の結果を告げると、父親は我が子を抱く手に力を籠めた。
「今日から三日間、入院して治療を行います。今日と明日の昼過ぎまでは食事もできませんので、差し入れ等はお控え下さい」
「え? な、治ったんですよね?」
「身体の火傷は治りました。しかし、体液のバランスなどが大きく崩れて、治療が必要な状態なのです」
「お薬は一昨日、届いたばかりで充分あります。いい子で点滴を受けられたら、大丈夫ですよ」
「た……助かるんですよね?」
父親が耳鼻科医に縋りつくような目で聞く。
「ここは私を入れて六人も医療者が居ますし、平野に近いので、ボランティアの方々も来やすくて、お薬の補充も届きやすいですからね」
科学の耳鼻科医は、若い父親を安心させようと笑顔で言い、泣き止んでぐったりした子供を抱き取った。
第九区画に常駐する医療者は、科学の耳鼻科医、歯科医、看護師、理学療法士が各一名と、力ある陸の民の看護師が二名の計六名だ。
発動の術が不要な魔法薬と科学の医薬品は、耳鼻科医の彼女も幅広く扱える。呪医セプテントリオーにはできないが、彼女と看護師なら、点滴や注射器も使える。
歯科医師は、機材がなければ虫歯などの本格的な治療は難しいが、歯周病の一部治療や口腔ケアはできる。
難民キャンプでは、介護食や離乳食の入手が困難だ。歯周病などで歯を失えば、生命を削ることになる。
口腔ケアは、虫歯や歯周病予防の他、誤嚥性肺炎の予防や、インフルエンザなどの感染症予防にも、一定の効果がある。
力なき民の理学療法士も、高齢者の転倒と寝たきりの予防や、入院患者の褥創や筋力低下の予防など、難民キャンプで求められる活動が多い。
難民が求める安心な医療は、治療が主だが、難民キャンプ内の設備や資機材、人員配置では、予防に重点を置かざるを得ない区画が多かった。
両方充実できれば、申し分ないが、資金などの都合で如何ともしがたい。
ネモラリス共和国に対する武器禁輸措置と経済制裁の発動後、ネモラリス人への国際社会の風当たりが強くなった。
アミトスチグマ王国医師会や、パテンス市医師会が派遣する巡回医療者は、以前の半数近くまで減った。医療者自身が来ない判断をした場合もあるが、多くは、勤務先の経営判断で、手を引かざるを得なくなったのだと言う。
難民キャンプの支援に出て、地元の患者を診られない日があることをよしとしない空気が醸成されつつあるのだ。
「この間来てくれた呪医、もう来られないって泣いちゃって、なんだかこっちが申し訳なくってね」
「私はそんなすぐ死ぬような病気じゃないから、少しでもお薬もらえたら何とかなりそうだけど」
「私らのせいで呪医たちが肩身の狭い思いさせられちゃ、悪いもんね」
「今だってタダで診てもらってんだ」
「文句言ったら、バチがあたらぁな」
内科の順番を待つ患者らがボヤく。
巡回医療者が減った分、入院日数が伸び、必要があっても入院できない患者が大幅に増えた。
各区画の入院病棟では、寄付されたソファや、難民が作った二段ベッドを置いて対応するが、過密状態の解消はなかなか進まない。
だが、病棟に入れても、医療者の人手や医薬品などが足りないのでは、充分な治療ができないのだ。
第九区画は、要の木に阻まれ、これ以上は丸木小屋も畑も増やせなかった。
セプテントリオーら【青き片翼】学派の呪医が訪問した直後は、外科系の患者が退院するが、待機中だった内科系の患者が入り、全く空く日がない。
怪我に気を付けて生活すると言っても、魔獣や野生動物は向こうからやって来る為、限度があった。
その場では駆除できても、後日、野生動物に居たダニなどが、伝染病を媒介したこともある。
力ある民や湖の民ならば、衣服に付与された【耐衝撃】の術で、虫刺されを防げるが、力なき民には不可能だ。
蚊に刺されて感染するザーパット脳炎にはワクチンがあり、アミトスチグマ王国政府と医師会の尽力で、難民への接種を済ませられたが、ダニが媒介するウイルスにはそれがない。
ダニに刺されないよう、対策するしかないが、肌の露出を減らすにしても、力なき民の衣服には【耐暑】がない為、農作業中に熱中症で倒れる者が相次いだ。
あちらを立てればこちらが立たず、難民も、現地で活動する支援者も、じわじわ疲弊していった。




