1876.急減する支援
針子のアミエーラは、昨日の会議でファーキルが言ったことを思い出し、憂鬱な気分で針を動かした。
「情報は、何日か遅れても、古新聞を配ってもいいんですけど、運搬に使う【無尽袋】が高くつきますからね」
難民キャンプは、二一九三年六月現在、三十五区画ある。
湖南経済新聞社は、集会所に十部ずつ配布してくれるが、各区画の集会所は、最小が三カ所で最多が二十四カ所だ。全部合わせて五百カ所以上に上り、四十万人余りの難民に対して、新聞が五千部程度と考えると少なかった。
単純な人数で割れば、約八十人に対して新聞が一部。まだ文字が読めない子供を除けば、もっと割合は高くなるが、それでも、少ないことに変わりなかった。
区画の人口にはバラつきがあり、少ない所で約八千人、多い所では二万人近い所もある。
湖南経済新聞は、「アミトスチグマ王国に開設された難民キャンプは、国連による武器禁輸措置や、経済大国二十各国会議の経済制裁の対象外である」と、繰り返し報道する。
だが、難民を支援する民間団体の活動は、取扱いが慎重になり、掲載本数が減った。半面、王国政府が継続を決定した難民支援策の情報は、手厚くなった。
ネモラリス難民支援基金への寄付が激減し、寄付者の匿名希望は急増した。同基金は、湖南経済新聞社が設立したものだ。紙面には、武器禁輸措置と経済制裁の発動後に起きた支援の変化も、逐一掲載する。
匿名では、税の軽減など、政府の支援者に対する優遇措置を受けられない。
それでも、名を明かしてネモラリス人を支援し、世間から攻撃される危険性を回避する方を選ぶ寄付者が多いのだ。
自然、「税の優遇措置を受けられる寄付額」の下限を下回る寄付が増えた。
新聞による情報支援や、就労支援サイトの運営など、湖南経済新聞社によるネモラリス難民への支援は、すべてこの基金で賄う。このままでは、廃止の選択を迫られるのは時間の問題だ。
難民となったネモラリス人には勿論、新聞代を払う余裕などない。
「輸送に掛かる人件費と【無尽袋】代は持ち出しですが、終戦後、帰国して経済的な自立を回復した元難民が購読する可能性を考えると、宣伝広告費としては、安い方だと思いますよ」
総合商社の役員マリャーナは言うが、戦争と湖上封鎖で【無尽袋】が値上がりして一向に下がらない。
終戦の見通しも立たないのでは、いつまでも高額の輸送費を負担できないとの経営判断が出て当然だ。
ファーキルが笑顔を作って言う。
「パテンス神殿信徒会の人たちが、古新聞を集めて、手分けして持てるだけ持って【跳躍】する案を出してくれたんで、何とかなりそうですよ」
「問題は、難民キャンプに足を運んで下さる方々が減った点ですわ」
モルコーヴ議員が難しい顔になる。
要望の聞き取りとカルテの撮影、医薬品の運搬などで、亡命議員たちは毎日のように難民キャンプに赴く。
アミエーラがよく知るラクエウス議員とアサコール党首、モルコーヴ議員は、マリャーナ宅に居候の身だ。会ったコトはないが、他の支援者宅で世話になる亡命議員も、同様に難民キャンプに足を運ぶらしい。それでも、人手不足は否めない。
クラピーフニク議員ら、ラクリマリス王国に亡命した議員たちは、そちらに留まる難民の対応で忙しかった。
アサコール党首が、タブレット端末をつついてみんなに向ける。湖南経済新聞の号外だ。
「ネモラリスの情報を号外で伝える支援は、まだ始まったばかりです。一方、本紙の各区画への配布は、湖南経済本社が負担しなくても、他で代替できます」
「その分の負担を減らして、他ではできない支援に集中していただいた方がよろしいでしょうね」
「資金の都合もありますし」
モルコーヴ議員とファーキルが苦い顔で賛成する。
号外発行車は、平野部との接点にあるボランティアセンター前で、難民向けの号外を発行する。
号外は一ページだけなので、各区画の代表が取りに来て、集会所に貼り出すのも楽だ。
第一号は、リャビーナ市での催し物の記事だったが、二号目からは、ネモラリス共和国で行われた地方選挙、臨時政府による制度改革、第二帰還難民センターの設置、都市の防壁復旧工事の進捗状況など、帰国を考えるのに必要な情報を高密度で届けるようになった。
発行は五日に一回だが、集会室に貼り出されたものを読み、必要な情報をメモするには、そのくらいでいいのかもしれない。
ネモラリス人への風当たりは予想以上にキツく、不当な解雇が横行する。就労支援サイトがあっても、制裁発動後、求人情報を登録する事業者は皆無だ。
「じゃあ、就職情報サイトも、サーバ代を節約……閉鎖してもらった方がいいんですか?」
ファーキルが、アミエーラにはよくわからない理由で、不安な顔をする。
実業家のマリャーナは、微妙な顔でみんなを見回した。
「その辺りは、湖南経済の経営判断になりますが、そこがなくなれば、都市部で暮らす難民の孤立化が進むことに留意しなければなりません」
「見捨てられた、就職できない、生活できないとの絶望感から、ネモラリス憂撃隊などのテロ活動に参加する懸念が出てきますからね」
モルコーヴ議員が苦しげに眉を顰める。
難民が作ったベルトを販売する件もなくなった。
クラウドファンディングの謝礼に回すので、無駄にはならないが、気落ちするなと言う方が難しい状況だ。
難民には引き続き作ってもらうが、「売れる」と決まった矢先のことで、作業する者たちの針は鈍った。
隣近所から白い目で見られ、親戚宅から追い出された例もあると言う。
亡命議員やネモラリス建設業協会員ら、血縁関係のない支援者宅に居候するネモラリス人は多い。
アミエーラ自身もそうだ。
現在のネモラリス共和国は、戦闘こそ落ち着いたものの、安心して帰国できる状態ではなかった。
☆湖南経済新聞社は、集会所に十部ずつ配布……「812.SNSの反響」参照
☆国連による武器禁輸措置や、経済大国二十各国会議の経済制裁……「1842.武器禁輸措置」「1843.大統領の会談」「1844.対象品の詳細」「1851.業界の連携を」「1862.調理法と経済」参照
☆カルテの撮影……「1586.呪医の苛立ち」「1591.区画間の格差」「1766.進展する支援」参照
☆ネモラリスの情報を号外で伝える支援事業……「1839.国際紙の取材」参照
☆第一号……「1874.不鮮明な写真」参照
☆不当な解雇が横行……「1865.波及する影響」参照
☆難民が作ったベルトを販売する件もなくなった……「1865.波及する影響」参照




