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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十七章 厳科

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1918/3516

1871.効力なき権力

 黒髪の歌姫アルキオーネは下唇を噛み、難民キャンプで発生した事件の種類別円グラフを睨む。


 難民キャンプの人口は、アミトスチグマ王国政府が把握できただけでも、約四十万人。出産と死亡、移動で多少の増減はあるが、ほんの二年ばかりで、大森林に中規模の都市が出現したに等しい。



 通常の都市と異なるのは、共同体の維持に必要なものが、何もない状態で出発したことだ。


 井戸と住居、診療所は辛うじて行き渡ったが、上下水道、電気、ガスはない。

 生産手段と就労場所を兼ねる畑はできたが、収穫は気休め程度しかなかった。

 魔物などから集落を守る防壁はなく、不完全な土塀と木柵で凌ぐ。


 井戸を中心として、取敢えず、建てられる場所に丸木小屋を作った為、道路はほぼ整備できなかった。

 

 通信は、寄付された僅かなタブレット端末と、車両が通れる位置に停めたアンテナ車で細々と繋がる。

 だが、これも、武器禁輸措置と経済制裁を受け、通信事業者がアンテナ車を撤収した。端末は慈善団体名義で、まだ契約は有効だが、電波が届かなければ、どうにもならない。

 保存した地図や動画、辞書、ニュースなどで学習補助はできるが、新たな情報は入り(にく)くなった。慈善団体との連絡も、直接来てもらわなければならず、支援者の負担が増す。


 教材は寄付で少し増えたが、教えられる人材は不足する。子供への基礎教育も、大人への専門教育や労働安全衛生教育も停滞しがちだ。


 学校だけでなく、保健所、役所などもない。

 難民キャンプ産まれの子は、出産時のカルテ以外に身元や存在を証明するものがなく、帰国後に国籍の扱いがどうなるか不明だ。


 ネモラリス共和国内では、空襲被害に遭わなかった地域で地方選挙が実施されたが、難民キャンプには知らされず、在外投票できずに終わった。


 警察、裁判所もなく、秩序と治安は、難民のモラル任せなのだ。



 難民キャンプ内での仕事は、生活維持、食料生産、商品製造に大別される。

 自警団は生活維持系の仕事だが、魔物や魔獣、野生動物の対応で手いっぱい。難民キャンプ内の人間に向ける治安活動までは到底、手が回らなかった。


 自警団の人員を拡充しようにも、戦う意志と力を持つ者は、そう多くない。

 また、自警団員が必ずしも、法と秩序を重んじる公明正大な人物とは限らなかった。大半が、報酬として支払われる食料目当てで引受けた者なのだ。


 生活維持に必要な魔法の行使と魔力の負担が、限られた魔法使いの肩に重く()し掛かる。それだけでなく、農作業や結界の維持、道具の作成、呪符や【水晶】への魔力の充填など、生産活動でも多忙だ。



 アルキオーネが、政治家たちを見回す。

 「難民キャンプの事件は、放置か私刑(リンチ)って、まるで無法地帯じゃないですか」

 「私たちが聞き取り調査などに行った際、相談があれば、ある程度は対応するのですが、これがなかなか」

 「国会議員が言ってもダメなんですか?」

 黒髪の歌姫がアサコール党首に聞くと、自治区出身のアミエーラが、ラクエウス議員を見た。


 老議員は、開戦初年には何度か難民キャンプの視察へ行けたが、近頃は夏の都にあるネモラリス大使館へ足を運ぶだけでやっとだ。

 事件より事故の方が多かった頃しか見ておらず、その後の状況は、報告書と会議でしか知らなかった。


 「政治家は、会議などを通じて対外的な交渉もするが、基本的に意思決定機関の構成員だからな」

 ラクエウス議員が一般論を述べると、ネモラリスの亡命議員とアミトスチグマの地元議員は頷いた。だが、アミエーラとアルキオーネ、それに三人の職人も釈然としない顔を向ける。


 「我が国は、自治区も外も同じ三権分立で、司法、立法、行政がそれぞれ独立しておる」

 「私たち政治家は、立法府でみんなの意見を集約して、対立する利害関係を調整して、法律や政策を決めるのが主な業務なのです」

 モルコーヴ議員も教科書通りの答えを並べる。


 「そして、それを実行するのが行政の役割だ。警察も軍隊も役所も、行政機関のひとつなのだよ」

 「えっ? 軍隊もなんですか?」

 アミエーラが驚きの声を上げ、アルキオーネは形の良い黒い眉を(ひそ)めた。


 「軍が文民統制(シビリアンコントロール)下にある国では、そう看做(みな)す所が多いですね。軍が政権を掌握する国や、独裁者の直下に軍がある国は別ですが」

 アサコール党首が言うと、国家運営などに(うと)い六人はやっと頷いた。


 党首は満足げに頷き返して続ける。

 「司法は、立法府が憲法などの基本原則や、批准した条約などに違反する法を作らないように監視し、作ってしまった場合は、立法府に廃止を促します。また、身近なところでは、施行済みの法律を国民に守らせる機関でもあります」

 「裁判所とかですね?」

 「そうです。但し、事件が発生した際、捜査して犯人を逮捕するのは、行政機関であり、司法捜査機関でもある検察や警察の仕事です」

 「どうしていちいち分かれてるんですか?」


 アルキオーネたち「平和の花束」は、アーテル共和国で「(またた)く星っ()」として活動した当時、アイドル業が多忙を極め、学校にもあまり行けなかったと言う。

 恐らく、報告書に目を通しても、わからないことが多いのだろう。


 「権力の集中を避ける為だよ」

 アルキオーネの隣で、ファーキルが答えた。

 「一部の権力者が司法・立法・行政を全部握ってるのが独裁」

 「あ、それは分けなきゃね」

 「独裁でも、上手く回ってて誰も迫害されない状態なら、効率いいシステムさ。制度としては民主主義だけど、国民が望んで、大統領とかに権力を集中させる国も割とあるよ」

 「え? そうなの?」

 アルキオーネが目を丸くして一同を見回す。


 アサコール党首がひとつ咳払いして、仕切り直した。

 「話が少々逸れましたが、難民キャンプでは司法・立法・行政の公的機関がひとつもありません」

 「えっ? では、どうしているのですか?」

 歌手オラトリックスは、呪歌の指導や、【道守り】による結界の敷設で何度も難民キャンプに足を運ぶが、人間同士の事件に出くわしたことはないらしい。


 「普段の()(ごと)は、難民の弁護士、あるいは退官した裁判官や検察官ら、法曹(ほうそう)が対処しますが、効果は限定的です」

 「どうしてなんです? 現役のプロと元プロですよね?」

 アルキオーネが不思議そうにアサコール党首を見る。


 「逮捕や刑罰を執行する権限がなく、それらを実行する為の暴力装置もないからです」


 難民キャンプでは、犯行現場を押えた際、直ちに行われる私刑(リンチ)は横行するが、正規の法と手続きに(のっと)った刑の執行は不可能だった。

☆井戸と住居、診療所……「929.慕われた人物」参照

☆生産手段と就労場所を兼ねる畑……「1178.売上げの寄付」「1185.変わる失業率」「1368.素材等の需要」参照

☆不完全な土塀と木柵……「1719.区画毎の特性」「1608.大森林の道路」参照

☆道路はほぼ整備できなかった……「1608.大森林の道路」「1684.孤独を埋める」参照

☆車両が通れる位置に停めたアンテナ車……「806.惑わせる情報」参照

☆空襲被害に遭わなかった地域で地方選挙が実施……「1516.投票理由分析」参照

☆開戦初年には何度か難民キャンプの視察……「415.非公式の視察」「425.政治ニュース」参照

☆学校にもあまり行けなかった……「730.手伝いの手配」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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