1865.波及する影響
クルィーロは、ファーキルに王立職業紹介所で撮った貼紙の写真を送信した。既に王国政府の公式発表などで把握していそうだが、念の為だ。
職安を出た後、何軒か店を回ったが、どこの小売店でも身分証の提示を求められた。その度にラゾールニクが、ラクリマリス王国の偽造記者証を出す。
クルィーロのポケットにあるのは、帰還難民センターで再発行されたゼルノー市の市民証だけだ。無線の免許証なども再発行されたが、鞄に入れてトラックに置いてある。
だが、飲食店には、夏の都商工会議所が発行した身分証の提示を求めるポスターがない。
喫茶店に入ってみたが、店内にもそれらしいものはなかった。二人で香草茶を頼んで、周囲の会話に耳を澄ます。
「あれっ? あのカワイイ子、どうしたんだ?」
「久し振りに来て、最初に言うコトそれ?」
客の中年男性が店内を見回し、年配のホール係が苦笑する。
「久し振りったって、先月来たばっかじゃないか。あのコ、今日休み?」
「……ネモラリス人だから」
店員が声を潜めて言うと、客はふっつり表情を消した。
クルィーロは、運ばれてきた茶器を鼻先に近付け、香草茶の芳香を胸いっぱいに吸い込んだ。
……飲食店だったら、賄いで食費を浮かせるのに。
国籍だけを理由に解雇された店員が、その後どうなったか気になるが、聞くに聞けない。
ホール係は空気が重くなった卓を離れ、空いた席の食器を片付け始めた。
ラゾールニクが【跳躍】許可地点へ歩きながら言う。
「客として飲食店には行けても、働くのはダメか。食費が高くつくな」
「何とかならないんでしょうか?」
「さっき見た限り、アミトスチグマの人たちも困ってるみたいだけど、ネモラリス人をどう扱っていいか、わかんないカンジだよな」
ラクリマリス王国の偽造記者証を持つラゾールニクは、他人事のように言ってどんどん先へ行く。
クルィーロは歩調を上げて追いついたが、何も言えなかった。
支援者マリャーナの邸宅に着くと、すぐファーキルが待つパソコン部屋に案内された。
「忘れない内に武器禁輸措置と経済制裁の一覧、出力したのをお渡ししますね」
手渡されたのは、A4サイズの冊子が二冊。それぞれが指二本分の幅と同じくらいの厚みがあった。受取ったクルィーロの手にも、ずっしり重い。その内容の重みはもっとだ。
同志たちが収集したデータは、ここへ来る道々ダウンロードできた。移動放送局プラエテルミッサが集めたデータも送信済みだ。
「さっき、市場と職安、見て来たけど、早速影響出てんだな」
「街でもダメなんですか」
ラゾールニクの短い報告にファーキルが項垂れる。
「でも、難民キャンプは支援を引っ込められたりしないんだろ?」
クルィーロの声は、自分で思う以上に不安に震えた。
ファーキルが、パソコンの前に座り直し、二人にも椅子を勧める。
「古着でベルトを作って売り始めたの、覚えてますか?」
「あー……えっと、何か、バザーで人気出たって、報告書で読んだような」
クルィーロがうろ覚えの記憶を手繰ると、ファーキルはパソコンの画面にベルトの写真を表示させ、メールソフトを起動した。
五本並べて写ったベルトは、すべて異なる色柄でキレイだ。人気商品になったのも頷ける。
ファーキルが開いたメールの差出人は、フリジオ株式会社だ。
服飾専門のインターネット通販の企業で、本社はアミトスチグマ王国にあるのだと言う。
「湖南経済新聞の仲介で、ここが難民キャンプで作ったこのベルトや、草木染めのスカーフとかを売出してくれてたんですけど、経済制裁が解除されるまで、取扱いできないって言われたんです」
「えッ?」
「難民が作った商品のページは、サイト上では非表示にするけど、データは残しておくから、解除されたらすぐ再開できますって言ってましたけどね」
「いつになるか、わかんないよな」
クルィーロの声が床に落ちた。
ラゾールニクが眉間に皺を寄せ、不快げにパソコンの画面を睨む。
「在庫、どうなってんの?」
「パルンビナ株式会社が回収してくれて、今はこの家の裁縫に使わせてもらってる部屋に置いてあります」
「ん? 何でマリャーナさんの会社が間に入ってんの? 湖南経済は?」
「在庫品を取込もうとする動きがあったからです」
「は?」
二人の声が重なった。
フリジオ株式会社から取扱い一時停止の連絡を受けた為、ファーキルは、バザーで直接販売しようと、預けた在庫の返却を求めた。
だが「再開時、すぐ発送できるように引き続き預かる」と断られた。その間の倉庫代をどうするか質問しても、回答しない。
ファーキルは困って、シレンティウム記者を通じて、仲介した湖南経済新聞社に相談した。
数日後、担当部署から「フリジオ株式会社の対応は不自然だ」と言う主旨の回答が届いた。
アミトスチグマ王国政府は、難民支援を継続する方針だ。
難民の販売物には、呪文や呪印がなく、材料も付与魔術用の特殊素材ではない。
単なる布製品だから、禁輸や経済制裁の対象品に該当しない。
サイトでの取扱いを停止する必要自体がない。
「言われてみれば、確かになぁ」
クルィーロは、少しホッとして肩の力が抜けた。
湖南経済の了承を得てそのメールを添付し、再度、フリジオ株式会社に返却を求めたが、のらりくらりと躱された。
マリャーナに相談すると、パルンビナ株式会社が何やら手を回し、売物は全て回収できたが、詳細は教えてもらえなかった。
「バザーも、今は危ないからって、あちこちで断られて、参拝にも行けなくて」
「危ないって、何がどう?」
クルィーロは苛立ちを抑えて聞いた。
「流石に暴力はないと思うけど、イヤなコト言われたり、売物を貶されたり、交換品を無茶苦茶値切られたり、盗まれたりとか、嫌がらせをされるかもしれないからって」
「えぇッ?」
沈んだ声で答えられ、クルィーロは理不尽さに腹が立った。
「数は少ないんですけど、ネット上で、ネモラリス人の悪口とか、関わっちゃいけないみたいな話がちょくちょく出てるんで、慈善団体の人たちが心配してくれるのはよくわかるし、トラブルに巻き込むのも申し訳ないんで」
動画の視聴回数も、目に見えて減った。
ファーキルは顔を上げ、弱々しい微笑を浮かべて言った。
「回収したベルトとかは、クラウドファンディングの謝礼に回すって決まったんで、役には立ちますよ」
「そっか。それもあるんだったな」
手芸品などの販売は、難民が食料を自力で購入する手段のひとつだ。
自力で稼げれば、多少は不安や、寄付頼りのみじめさが軽減される。
難民キャンプの外側に広がる社会との繋がりを維持する為でもある。
熱りが冷めるまで、難民が人前へ出るのを避けるしかないのが悔しかった。
☆古着でベルト……「1829.魔法の長手袋」参照




