1864.買物に身分証
クルィーロは、ラゾールニクと二人で、アミトスチグマ王国の夏の都へ来た。
ファーキルたちに情報を渡すついでに【無尽袋】を補充する。
市場へ足を運び、いつもの店へ行くと、店主に愛想よく迎えられた。
「やぁ、こんにちは。いつもの入ってるよ」
「こんにちはー。最近、見習いの人たち腕が上がって来てて助かってます」
当たり障りのない世間話をして、安売りのワゴンを物色する。
まだ【編む葦切】学派の徽章をもらえない見習いが手掛けたものだが、これまで使用して特に問題が出たことはない。多少、形が歪で容量が小さくても、移動放送局での使用には、充分耐える品質だ。
今日も五つ買って薬師アウェッラーナが作ってくれた魔法の傷薬で支払う。
「それでな、すまないんだけど、今月から買物するのにいちいち身分証が要るようになったんだ」
「えッ?」
店主は言い難そうに声を澱ませ、レジの横に視線を向けた。客に身分証の提示を求めるポスターだ。夏の都商工会議所の発行だが、理由などの記載はない。
「何でまた、そんな面倒なコトに?」
ラゾールニクが訝ると、店主は二人を手招きした。客は他にも三人居るが、品定めに夢中だ。
クルィーロは、ラゾールニクの背後でタブレット端末の録音機能を起動した。
「お兄さんたち、ニュース見てない?」
「ニュース? 何の?」
「国連がアレして、ネモラリス人相手に商売できなくなったんだよ」
「え? でも、難民キャンプありますよね? あれどうするんです?」
クルィーロは何も知らないフリで聞いた。
「難民個人には売れなくなったけど、生活必需品は王国政府が買上げて、支援は続けるそうだよ」
「何か、面倒臭いコトになったもんだなぁ。身分証ってこんなのでもいい?」
ラゾールニクが懐に手を入れ、ラクリマリス王国記者クラブの記者証を出す。
「えっ? 記者さんだったんですか?」
店主はラゾールニクの顔と記者証を見比べ、疑わしげに眉を顰めた。
「少なくとも俺は、アミトスチグマ政府が、国連のネモラリスに対する武器禁輸措置と、経済大国二十カ国会議が勝手に決めた経済制裁に賛同するなんて発表は知らない。その件に関して、王様と政府が出した公式発表は、ネモラリス難民に対する支援を継続するってヤツだけだ」
ラゾールニクが、上着の内ポケットに記者証を仕舞って言うと、店主は困った顔で弱々しく声を絞り出した。
「まぁ、確かにお役所方面はそうですよ。でもね、民間じゃそうは問屋が卸さないんです」
「何それ? 上手いコト言ったつもり?」
「茶化さないで下さいよ。困ってんですから」
「ごめんごめん。文字通りの意味で、ネモラリス人と取引する店には卸さないって問屋、あったりする?」
ラゾールニクがタブレット端末を取り出して聞く。
「俺、フリージャーナリストで、取材のついでにあちこちでお遣いして回ってるから、参考に教えて欲しいんだ」
「問屋さんもあちこちの国の業者と取引してますからね。その国が経済制裁に賛同してると、ネモラリス人と取引した店と関わっただけで、問屋さんがそこと取引できなくなってしまうんで、何と言うか、連鎖反応? 何かと不自由で困ってるんですよ」
クルィーロは、胃の底に小石を投げ込まれたような心地で、工房兼魔法の道具屋を見た。
「あれっ? でも、ネモラリス人って、難民キャンプだけじゃなくて、親戚とか頼って街にも住んでますよね? その人たち、買物できないんですか?」
「何せ、対象品目が多過ぎるから、一律お断りだし、ネモラリス人を雇ってるのがバレたら取引先に切られるからってんで、クビか帰化して国籍移すか選べって事業所も増えてて」
クルィーロに聞かれ、店主はますます困った顔になった。
「クビにする件、役所は何も言わないの?」
ラゾールニクが記者らしい視点で質問する。
「そりゃ、労働基準監督署とかは、そんな理不尽な理由での解雇は罷りならんって言ってますけどね。ネモラリス人の帰化は、審査が緩くなりましたよ」
「へぇー……あっ、長話して邪魔したね。お釣はいいよ」
ラゾールニクは、レジカウンターにもうひとつ傷薬を置くと、【無尽袋】を持って店を出た。
クルィーロは店を出た所で録音を止めて聞く。
「有難うございます。助かりました。ラクリマリス人だったんですか?」
ラゾールニクは唇の端を歪めてニヤリと笑った。ひらひら手を振って歩きだす。
市場の人混みに紛れ、店から充分離れてから答えた。
「あちこちのを幾つも持ってるよ」
……偽造ってコトだよな?
クルィーロは、ラゾールニクがますます何者かわからなくなったが、迂闊なコトは聞けない気がして、黙って頷いた。
それぞれの端末から、データをファーキルが用意したクラウドに送り、ラゾールニクがメールで連絡する。
「ちょっと職安に寄るよ」
「えっ?」
「さっきの話のウラ取らなきゃ」
「あッ!」
本物の記者のようなコトを言われてハッとする。クルィーロ一人で来たなら、店主の話だけでファーキルに報告するところだった。
アミトスチグマ王国の王立職業紹介所は、以前、父と薬師アウェッラーナも訪れた。聞いた通り、立派な建物だ。
庁舎前の掲示板に早速、ネモラリス人の雇用に関する告知が貼り出してあった。
どの貼紙も、難しいお役所言葉の長文だ。
要約すると「ネモラリス人であると言うだけで、従業員を解雇してはならない」「やむを得ず労働契約を解除する場合は、一カ月以上前に予告し、有給休暇の消化を行い、退職する月の賃金を日割りで支払うなど、アミトスチグマ人と同じ処遇にすること」など、当たり前の話だ。
別の貼紙には、解雇されたネモラリス人向けの相談先が並ぶ。
「こんなポスター作んなきゃなんないってコトは、実際、それなりにあるってコトだよな」
ラゾールニクに言われ、クルィーロは泣きたい気持ちで王立職業紹介所の貼紙を撮った。




