1862.調理法と経済
レノは、十匹捌いた内の一匹だけ、内臓を傷付けてしまったが、他は予想以上に上手く行った。
六匹目の食用蛙からは、レノが皮を剥ぎ、メドヴェージが後ろ足を切り取る。交代したレノが肝臓を取り出し、薬師アウェッラーナが【操水】で水抜きした。
二人の庖丁捌きはだんだん手際よくなってゆく。だが、少年兵モーフの顔色は、反比例するかのように悪くなってきた。
「モーフ君、大丈夫?」
アウェッラーナが気遣わしげに声を掛けたが、唇を引き結んでうんともすんとも言わない。
「残り五匹、モーフ君にも少しやってもらおうと思ったんだけど」
「こいつぁダメそうだな。坊主、無理しねぇで、あっち行ってろ」
モーフは、メドヴェージの方を見もせずに頷いた。その顔に表情はない。
……人殺しは平気でしてたのにな。
レノは、二年前に出会った少年兵と、今のモーフが同一人物とは思えなかった。
あの頃の荒んだ目はもうない。どうにか最低限の知識を身につけようと足掻く目は、慣れない読書で疲れて充血しがちだ。
モーフは、クリップで固定して長机に広げられた理科の教科書を見たが、すぐ目を逸らした。手ぶらで簡易テントを出て、トラックの荷台に這い上がる。
レノは、薬師アウェッラーナを見たが、首を横に振られた。
「捌き方のコツ、控えとかなくて大丈夫か?」
「あっ」
メドヴェージに言われ、蛙料理に意識を引き戻される。
アウェッラーナが【操水】で二人の手と庖丁を洗ってくれた。
レノは、実際やってみてわかったことと、図書館の本に書いてあった手順の補足説明を料理専用の手帳につけた。
「で、今日はコイツをどう料理するんだ?」
「炙り焼きにしようかなって思ってます」
「揚げモンと肉団子はしねぇのか?」
「揚げ物は、油がたくさん要るんで、復興途中で物がない街だと無理ですよ」
古くなって酸化した油を使い続けるのはよくない。
揚げ物は、贅沢品なのだ。
移動放送局プラエテルミッサは、ラクリマリス王国やアミトスチグマ王国などへ行き、ネモラリス共和国では手に入り難くなった色々な物を仕入れてきた。
だが、国連安保理による武器禁輸措置と、経済大国二十カ国による経済制裁で、この先どうなるかわからない。
植物油や乳脂も魔法薬の素材になる為、大豆などの「油が採れる農産物」まで禁輸対象に含められた。
制裁対象が純粋な科学文明国なら、禁輸一覧から「魔道具や魔法薬の素材」の項目が外れ、食料品まで禁輸対象にされることはない。
……キルクルス教国に甘いルールだよな。
そもそも、武器の使用目的が、魔法文明圏と科学文明圏では、全く異なる。
前者は、魔物や魔獣に対抗し、身を守る為で、基本的に人間の軍隊との戦争は対象外だ。旧ラキュス・ラクリマリス王国は、民主化後に内戦が勃発するまで、他国の……人間の軍隊との戦闘経験がなかった。
後者は、他国の侵略から自国を防衛する為、騒乱を鎮圧する為、あるいは他国への侵略目的で、人間を主たる攻撃対象に定める。
実体のない魔物は視認すらできず、魔獣は野生動物と同じ扱いで対応する。
人間相手に戦うのは、今回の魔哮砲を巡るネモラリス共和国とアーテル共和国の戦争で、二回目だ。
周辺国の目には、半世紀の内乱の続き――内輪揉めに映り、一方に肩入れする難民支援や参戦の声を上げ難いのかもしれない。
武器禁輸措置と経済制裁にどこまで協力するか、素人のレノには全く予測できなかった。
……あれ全部止めたら、どんだけ餓死するか、わかってて言ってるのか?
魔物や魔獣から身を守る武器、防具、魔道具、魔法薬は、すべてこの地で暮らす為の生活必需品と言っても過言ではない。
ネモラリスはアーテル軍による空襲で生産力が低下し、食料品の輸入依存度が上がった。それらの素材となり得る食材まで止められたのでは、国民が生活を維持できなくなってしまう。
難民支援は続けるらしいが、これ以上ネモラリス難民が増えれば、受容れ国のアミトスチグマ王国とラクリマリス王国の負担が重くなり過ぎて、支えきれなくなるかもしれない。
レノは、皮を剥いた食用蛙の後ろ足をビニール袋に入れ、塩とスパイスを少しずつ振った。袋の中でよく揉んでから、串に刺す。
メドヴェージは、串打ちを手伝ってくれたが、荷台に上がったモーフは降りて来なかった。
「これ、今日のお昼ごはんですか?」
「別に作りますよ。これは、食べたい人だけ味見してもらおうかなって」
肝臓と廃棄部分の水抜きを終え、アウェッラーナがステンレスのバットに【炉】の術を掛ける。
「アウェッラーナさん、何個食べます?」
「ん? うーん……どうしようかな」
湖の民の薬師にとっても、あまり食欲をそそるものではないらしい。
緑髪の神官が、神殿の駐車場に入って来た。簡易テントの前で足を止め、にっこり微笑む。
「おや、蛙料理ですか。いいですね」
「こんにちは。蛙、お好きですか?」
レノが聞くと、中年の聖職者は苦笑した。
「食べるのは好きですけど、自分で料理するのはどうにも面倒で」
「よかったら、ご試食いかがですか?」
「よろしいんですか?」
地元民の神官は、緑の瞳を輝かせた。
「練習なんで、味は保証できませんけど」
「いえいえ、そんな……あ、鯰の揚げ煮があるんですけど、交換しませんか?」
「いいんですか?」
鯰料理は味見もまだだ。願ってもない申し出に恐縮した。
「昨日作ったので、今日は味が染みて美味しくなっている筈です」
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
「こちらこそ、喜んで。少し野菜を採って、また来ますね」
神官は笊を小脇に抱え、駐車場の隣にある小さな菜園に入った。
レノは、脚付きの金網を【炉】の火に渡し、蛙の串を並べる。
「焼き加減、よくわかんないな」
「寄生虫が居るかもしれないんで、しっかり火を通した方がいいですよ」
薬師の注意に頷いて、蛙肉を裏返した。
☆国連安保理による武器禁輸措置……「1842.武器禁輸措置」参照
☆経済大国二十カ国による経済制裁……「1843.大統領の会談」「1844.対象品の詳細」参照
☆アーテル軍による空襲で生産力が低下……「0192.医療産業都市」「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」「1160.難しい線引き」参照




