1859.伝えない情報
「では、アーテル軍は、ネモラリスとラクリマリスが反撃できないのを見越した上で、暴挙に出たのですか? そんな報道は、共通語のニュースには全く」
「そりゃ、出せないでしょうよ。“悪しき業を使った邪悪な魔法使いの国を叩く聖戦”って言う構図が崩れるんだから」
キルクルス教のレフレクシオ司祭が愕然と呟くのを遮り、フラクシヌス教の元神官フィアールカが鼻で笑った。
キルクルス教徒の爆撃機に滅ぼされた南ザカート市の廃墟には、ローク、ラゾールニク、フィアールカ、レフレクシオの他に人の姿はない。雑妖が【簡易結界】の外を屯するだけだ。
「そんな情報、アーテル寄りのキルクルス教系報道機関が表に出すワケないし、宗教色のない外国の通信社や、非キルクルス教系報道機関が記事を配信しても、共通語に翻訳しなかったり、共通語圏……キルクルス教圏の報道機関やポータルサイトが掲載しなかったり」
ラゾールニクが、フリージャーナリストと名乗ったのに合わせ、それっぽい話をずらずら並べる。
ロークは、納得した。
ファーキルが共通語圏のニュースを検索しても、腥風樹の件も、シェラタン当主の件も、ラクリマリス国王が国民に自制を呼掛けた件も、ひとつも出て来なかった理由がわかった。
ラクリマリス王国が、アーテル共和国を国際司法裁判所に提訴した件は、流石に記事が出たが、訴因も何もない短信が、ほんの短時間載っただけだ。
次々と来る新着記事に流され、話題にもならない内に消えた。
「ま、報道しない自由ってヤツだね。フィルターバブルを形成する意図がなくても、スポンサーや読者、視聴者の機嫌を損ねないようにその情報を避けて通れば、結果は同じコトだ」
「常日頃から、一方の言い分のみを鵜呑みにして、他方を断罪してはならないとお伝えしてきたのですが」
寝間着姿の若手エリート司祭が頭を抱える。
「大抵の奴は、あんたみたいに優秀でもなきゃ、公平でもない」
バンクシア人のレフレクシオ司祭は、ラゾールニクの物言いに眉を顰めた。
魔法使いの自称フリージャーナリストは、大聖堂から派遣された司祭に構わず続ける。
「見たいものだけ見て、信じたい方を信じる。感情に基づいて、結論ありきでしか物事を見ようとしないし、視界に入る範囲に居る仲間連中や、権威がこうだって言えば、そっちに流される」
「あなたもその権威のひとりだけど、それはまぁ置いといてちょうだい」
フィアールカに先回りされ、司祭は言い掛けた言葉を飲み込んだ。一呼吸置き、表情を改めて言う。
「その結果が、バルバツム軍のアーテル派兵と、ネモラリスに対する武器禁輸措置、それに伴う経済制裁だと言うのですか?」
「そう言う流れだったよね。ポデレス大統領がどんだけお涙頂戴したか知らないけど」
ラゾールニクがニヤリと笑う。
「ネモラリス人みんなが、魔哮砲の存在を許しているワケではありません」
ロークの声で、レフレクシオ司祭はネモラリス人の青年を見た。
「国民の大半は存在自体知らなかったし、魔哮砲の使用に反対した国会議員は、迫害を受けて、アミトスチグマ王国とラクリマリス王国へ亡命しました」
「亡命……しかし」
ラゾールニクも言う。
「亡命できた議員はまだいい方だ。殺された議員や、行方不明者も多い」
「そんな……」
レフレクシオ司祭は、手の中のタブレット端末に視線を落とした。節電モードで暗くなった画面は、夜の闇に溶けて見えない。
「まぁでも、無理してバルバツム兵とかに伝えなくていいよ。最悪、あんたが消されちまう」
ラゾールニクは、軽いノリで命の遣り取りを口にした。キルクルス教の司祭が、顔を上げて言う。
「私は先日、バルバツム軍からの依頼で戦勝祈願の聖歌を歌いました」
「先日っていつ?」
「アーテル領内で、本格的な魔獣討伐作戦が始まった翌日、六月二日です」
派遣されたバルバツム陸軍兵の三分の一、千名がルフス光跡教会を訪れ、祈りを捧げた。
司令官の話によると、前日の活動で既に複数の死傷者を出し、弾薬の損耗も想定を大きく上回ったと言う。葬送の祈りは、前日に大司教の主導で済ませた。
「バルバツム軍って、どんな想定して来たんだ?」
「何と戦って損害が出たか聞きませんでしたか?」
ラゾールニクは半笑いで聞いたが、ロークは、ルフス神学校の件を思い出して身構えた。
「実体を持つ魔獣相手なら、通常兵器で対応可能との想定で来たそうです」
「他にも居るとは思わなかっ……あ、視えないからか」
言い掛けたラゾールニクが質問を引っ込めた。
「人的被害は、現地の……魔法使いの魔獣駆除業者を傭兵として組込まなかった部隊のみ出たそうです」
「魔獣の種類は? そんな強かったのか?」
「そこまではちょっと」
緑髪の運び屋が、横を向いて失笑する。
「通常兵器だけで何とかなるなら、アーテル軍でも対応できるでしょうに」
アーテル共和国のポデレス大統領は、何をどう言ってバルバツム連邦のデュクス大統領に泣き付いたのか。
ファーキルが集めてくれたニュース記事や、連邦政府の公式発表、国連の決議文を読んでも、両大統領の会談の詳しい内容はわからなかった。
ラゾールニクがニヤリと唇を歪める。
「想定外の大損害を出したけど、一日で逃げ帰ったんじゃ、恰好つかないから、慌てて神頼みってとこか」
「部隊の士気も下がるでしょうからね」
ロークは、凄惨な現場を目撃した兵士の士気を鼓舞する為と解釈した。
……駆除屋のフリでバルバツム軍に潜り込めないかな?
フィアールカが呆れた顔で聞く。
「三千人派遣されて、たった一日で千人まで減ったの?」
「いえ、礼拝堂の収容人数と、負傷者の手当てや、シフトの都合などで、五日に分けて行いました」
ラゾールニクが質問を続ける。
「兵隊さんの悩みとか、聞いた?」
「同じ種類の魔獣でも、バルバツム連邦領に出現したモノより、全体に大型で強かったそうです。銃火器での攻撃があまり効かない個体も多く、怯えた様子の兵隊さんが何人も居ました」
レフレクシオ司祭は小さく頷いて答えた。
「土魚でも、無自覚な力ある民を食った奴は、魔力が行き渡って大きく育つし、仲間の死骸が放置されてりゃ、それ食って強くなる」
「住民保護と、死骸の迅速な処理が重要なのですね?」
キルクルス教の司祭が、ふらつきかけた足を踏みしめ、フラクシヌス教徒の魔法使い二人に確認する。
ラゾールニクはせせら笑った。
「ま、力なき民しか居ない軍隊が、ちょっとやり方教わったくらいで、一朝一夕にできるモンじゃないけどな」
「少なくとも、この十日間は、本当に魔獣退治のお手伝いしかしてないのね」
「聖職者に軍事機密を漏らすとは思えませんから、実際のところは不明ですが」
レフレクシオ司祭は、言わずもがなのことを口にした。
☆バルバツム軍のアーテル派兵/ネモラリスに対する武器禁輸措置/経済制裁……「1842.武器禁輸措置」~「1844.対象品の詳細」参照
☆アーテル領内で本格的な魔獣討伐作戦……「1852.援軍の戦闘力」~「1856.この地の常識」参照




