1858.南ザカート市
「ここは、南ザカート市だった場所よ」
運び屋フィアールカがタブレット端末で地図を示し、流暢な共通語で告げる。レフレクシオ司祭は、昨日の雨で洗われた星空から視線を下げ、辺りを見回した。
人家の灯はひとつもなく、朽ちた基礎が草に埋もれるばかり。人の営みが失われて久しい廃墟だ。
魔法使い二人の衣服が、淡く光って視える。【魔除け】の光は肉眼では捉えられないが、霊視力のある者には、傍に居る者の表情がわかる程度には明るかった。
「半世紀の内乱時代、アーテル地方から来た爆撃機に一晩で焼き尽くされて、それっきりよ」
「何故、再建できなかったのですか?」
キルクルス教徒の司祭が顔を曇らせる。
緑髪の運び屋は、唇を皮肉な笑みの形に歪めた。
「ラクリマリス王国政府は、和平で分離・独立したばかりの限られた予算で、国民生活を再建しなければならなかったの」
「街や村には、魔物とかから住民を守る防壁が必要だ。でも、内乱で大勢の技師が殺されて、人手は未だに全然足りない」
「つまり、再建しやすい場所へ移住させて、ここは放棄されたのですね」
ラゾールニクが付け足すと、寝間着姿の司祭はわかった顔で頷いた。
「ご名答。話が早くて助かるよ」
「ここから一番近い街は、南のモールニヤ市と、山を越えたネモラリス領の北ザカート市。でも、アンテナはあちこちにあるから、ここでもネットに繋がるわよ」
「えッ?」
レフレクシオ司祭は、寝間着のポケットから端末を取り出した。
夜風が、森から湿った緑の香と獣の咆哮を運ぶ。
ロークが司祭の手許を見ると、地図で現在地を表示させたところだ。
「北ザカート市は、防壁の再建工事は終わったけど、住民は、まだ帰還できなくて、ネモラリス政府軍が駐留してるわ」
ロークは、レフレクシオ司祭の隣に立ち、北へ目を向けた。
三日月と星明かりの下で、クブルム山脈とツマーンの森が視界を遮り、ネーニア島のネモラリス共和国領は全く見えない。
開戦の春、空襲に遭ったゼルノー市民とリストヴァー自治区民を乗せたトラックでここを通った。あれから二年以上経っても、全く手つかずの廃墟が横たわる。
「アーテル軍は、魔獣の駆除に手を取られ、ネモラリス領を攻撃する余裕などなさそうですが」
何故、住民を難民キャンプから帰還させないのかと、レフレクシオ司祭が訝る。
「あれっ? 司祭様、知らない?」
「アーテル軍、ミサイル持ってるんですけど」
ラゾールニクが首を傾げ、ロークも驚いた。
「ミサイル?」
「核弾頭はないけど、二年前、魔哮砲を搭載した防空艦を一発で沈めた実績があるんだけど」
「えぇッ? 魔哮砲を破壊できたなら、アーテル側には、戦争を継続する理由がなくなったのでは?」
バンクシア共和国出身の司祭が、更に困惑を深める。
ラゾールニクとフィアールカが、顔を見合わせてロークを見た。視線に頷き返して言う。
「司祭様は、戦況をよくご存知ないんですね」
「バンクシア……いえ、共通語で読めるニュースでしか知りません」
「その防空艦の乗組員は大勢亡くなったけど、魔哮砲は自力でネーニア島に上陸しました」
「ミサイルの直撃でも、破壊できなかったのですか」
科学文明国出身の司祭は、ロークの説明に呆然と呟いた。
「別々の日にラクリマリス軍とアーテル軍が、ツマーンの森のどこかで魔哮砲と遭遇しました」
「えッ? えぇッ? アーテル軍がラクリマリス領に侵入したのですか?」
レフレクシオ司祭が、どこに重点を置いて驚けばいいかわからない顔で、三人を見回す。
ラゾールニクが説明を引継いだ。
「俺、フリージャーナリストなんだけど、ラクリマリス領南部の漁村で取材中、アーテル陸軍が住民に避難を呼掛けてるとこに出食わして、何やってんだって思ったけどね」
「兵隊さんは、何と?」
「さっさと避難しろの一点張りでロクに話せなかったけど、後でラクリマリス軍が証拠をみつけて、アーテル軍がこの森に腥風樹の種子を植付けたのがバレて……腥風樹って知ってる?」
アルトン・ガザ大陸北部出身の司祭は頭を振った。
「ネットの図鑑にも載ってるけど、異界の植物だよ。毒があって土壌を汚染するし、根っこ引っこ抜いてウロウロするから、除染が大変なんだ」
「えぇッ?」
「勿論、ラクリマリス政府はアーテルに抗議したし、賠償も求めたけど、無視されたから、国際司法裁判所に提訴したわ。まだ除染が終わらなくて、一部の農家が帰還できなくて死活問題よ」
司祭は、フィアールカの説明に言葉もなく、夜の森を見遣った。
僅かな光の下で、木々の輪郭しかわからない。
ロークも報告書を思い出し、胃がキリキリ痛んだ。
「王族も作戦に参加して、死者は出さずに駆除できたけど、家畜はたくさん死んで、土地も汚染で酷いコトになってるんですよ」
「一部の王族と国民の大半が、アーテルを潰せってブチ切れてるのを王様がどうにか抑えてるんだ。どうしてだか、わかる?」
ラゾールニクが身体を曲げ、斜め下からキルクルス教の司祭を見る。
レフレクシオ司祭は細く息を吐いて答えた。
「参戦すれば、再び国土が荒廃するから……ですか?」
「んー……半分正解ってとこだな」
「半分? 残りの理由は何ですか?」
ラゾールニクが姿勢を正し、レフレクシオ司祭の顔を正面から見て聞く。
「ラクリマリスがどんな国か知ってる?」
「元はアーテル、ネモラリスとひとつの国で、現在はフラクシヌス教を国教と定める魔法文明国ですよね? 立憲君主制で、議会制度があるにも拘らず、王権の方が強いようですが」
司祭は、外務省の公式サイトにあるような国勢情報をすらすら並べた。
緑髪の運び屋が呆れてみせる。
「そこまでわかってて、わかんない?」
「勉強不足で恐れ入ります」
「ラクリマリスが民主主義だったら、とっくの昔に参戦してたでしょうね」
バンクシア共和国出身の司祭が息を呑む。
元神官のフィアールカは、淡々と続けた。
「フラクシヌス教の聖地があるから、ラクリマリスが動けば、周辺国も参戦せざるを得なくなるの。そうなると、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国も、アーテルの支援に乗り出して」
「ラキュス湖周辺地域全体が戦場に……いや、下手をすれば、世界大戦に発展しかねない、と?」
司祭は頭では理解できても、否定したい気持ちを抑えきれない声で言い、地元住民の三人を見た。
「ネモラリスも同じです」
「同じとは……?」
ロークが言うと、司祭は呆然と質問をこぼした。
「湖の女神の聖地とラキュス・ネーニア家の直轄領が無事で、ネモラリス軍が防戦一方で援軍も呼ばないから、周辺国が軍事介入しないんですよ」
フィアールカが頷く。
「シェラタン当主が身を隠してノーコメントを貫くから、周辺国はアーテルを攻撃したくても、手出しできないの」
「逆に言えば、ラキュス・ネーニア家の当主が参戦を呼掛けたら、ラクリマリスの参戦と同じ結果になる」
キルクルス教の聖職者は夜闇の中、ネーニア島を南北に分かつクブルム山脈に顔を向けた。
☆半世紀の内乱時代、アーテル地方から来た爆撃機に一晩で焼き払われ……「0182.ザカート隧道」、外伝「明けの明星」参照
☆北ザカート市は、防壁の再建工事は終わった……「1514.イイ話を語る」参照
☆開戦の春(中略)トラックでここを通った……「0205.行く先は何処」参照
☆魔哮砲を搭載した防空艦を一発で沈めた実績……「0274.失われた兵器」参照
☆ラクリマリス王国軍とアーテル軍が(中略)魔哮砲と遭遇
アーテル軍……「486.急造の捕獲隊」~「488.敵軍との交戦」「498.災厄の種蒔き」参照
ラクリマリス王国軍……「759.外からの報道」参照
☆アーテル陸軍が住民に避難を呼掛け……「490.避難の呼掛け」参照
☆ラクリマリス軍が証拠をみつけて……「500.過去を映す鏡」参照
☆腥風樹……「382.腥風樹の被害」参照
☆毒があって土壌を汚染……「862.今冬の出来事」参照
☆国際司法裁判所に提訴……「1525.国際司法裁判」参照
☆ラクリマリスが動けば、周辺国も参戦せざるを得なくなる……「0161.議員と外交官」参照
※ 周辺国は、経済的な攻撃では参戦……「0285.諜報員の負傷」「440.経済的な攻撃」参照
☆湖の女神の聖地……「1486.ラクテア神殿」参照
☆シェラタン当主が身を隠してノーコメントを貫く……「684.ラキュスの核」「685.分家の端くれ」「1741.当主の養い子」参照




