1857.召喚者の痕跡
クラウストラの【跳躍】で、ロークは久し振りにルフス神学校に侵入する。
事前に【索敵】で見てもらった限り、敷地内には土魚以外の魔獣が居なかった。
素材屋プートニクの情報通りだ。
新聞報道では、アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群が駆除したと、政府の発表があった。駆除した魔獣一覧には、土魚、鮮紅の飛蛇、補色蜥蜴、毛谷蛇、濃紺の大蛇、鱗蜘蛛が名を連ねる。
素材屋プートニクと多額の債務を背負った魔法の道具屋、マコデス人の魔獣駆除業者二人の協力については、一行も記述がなかった。
ルフス神学校は、校庭の土魚に阻まれ、まだ立入禁止が続く。
二人は校舎三階の廊下へ跳んだ。
外から見られないよう、身を低くして進む。
ロークはドアノブに手を掛けた。施錠されておらず、回った金具の音が廊下に響く。細く開け、クラウストラが【退魔】を唱えた。
「撓らう灼熱の御手以て、焼き祓え、祓い清めよ。
大逵より来たる水の御手、洗い清めよ、祓い清めよ。
日々に降り積み、心に澱む塵芥、薙ぎ祓え、祓い清めよ。
夜々に降り積み、巷に澱む塵芥、洗い清めよ祓い清めよ。
太虚を往く風よ、日輪翳らす雲を薙ぎ、月を翳らす靄を祓え」
淡い光が漣のように広がり、場の穢れを祓う。床を埋め尽くし、机も見えない程に積もった雑妖が、光に触れた瞬間、消滅する。
二人は、視界を塞ぐモノが居なくなった教室を改めて覗いた。
机には埃がうっすら積り、舞い上がった塵がカーテンの隙間から射しこむ光を受けて輝く。
きっちり整列した机に変わった様子はなく、すぐにでも授業を始められそうだ。床の埃に乱れはない。
プートニクたちは、魔獣の居ない所に入らなかったらしい。
「召喚の痕跡はなさそうね」
「魔法陣を消して机を戻したりとか」
「鱗蜘蛛でしょ? ここで呼んでたら、床に爪痕が付く筈よ」
「蛇系のも居ましたよね?」
「寮でしょ? わざわざ離れたとこで呼ぶとは思えないけど?」
「成程。命令してあっちまで誘導するの、面倒ですね」
扉をそっと閉め、次の教室へ移動する。
三階の教室はどこも同じだった。トイレも確認したが、何もみつからない。
備品倉庫は施錠してあった。
「魔法で開けるのは簡単だけど、元通りにできないから、やめときましょ」
「確認しなくていいんですか?」
「見るだけ見てみるけど、どうせ雑妖だらけじゃないかな?」
クラウストラはダメ元で【索敵】を唱えた。
案の定、雑妖がいっぱいで見えないと言う。雑妖は棚にも詰まり、真っ暗な倉庫はこの世ならざるモノしか視えなかった。
廊下の端には、鱗蜘蛛の爪痕らしき傷と、網目状の焦げ跡があった。
「プートニクさん、駆除屋さんが【紫電の網】を使ったって言ってたわね」
「どんな術なんですか?」
「ルフス光跡教会でも見たでしょ? 刃物を媒介にして雷の網を発生させる術」
「それで焦げ跡が」
「呪符の灰でも落ちてないかと思ったけど、道具屋さんが巣を掃除したって言ってたし、この校舎で召喚の痕跡をみつけるのは難しそうね」
そうは言ったものの、二人は念の為、全ての教室を見て回った。
戦闘の痕跡は、素材屋プートニクの証言通りにみつかったが、召喚の物証は見当たらない。
一階トイレは、プートニクに【光の槍】で破壊されたまま、ブルーシートすら掛けられず、風通しがよかった。
各門の周囲には警備兵が居る。みつかると面倒だ。トイレ内の調査は諦め、廊下を走り抜けた。
クラウストラが改めて【索敵】を掛け直し、実習棟を見る。
「雑妖しか居ないよ」
こちらも、最上階から順に調べて降りる。穢れの塊で視界を遮られ、室内の様子がわからないのが煩わしい。
ロークも、【魔力の水晶】で【退魔】の術を使って手伝った。
「温存しなくていいの?」
「時々実践しないと、忘れそうなんで」
「いい心掛けだ」
不意にソルニャーク隊長のような目で褒められ、ギョッとする。
今日のクラウストラは女子高生風の外見だが、時折見せる大人びた表情は、長命人種の薬師アウェッラーナや、運び屋フィアールカより年上のような貫禄がある。
力なき民で、確実に常命人種のロークは、そろそろ高校生のフリが厳しくなってきた。
だが、彼女は【化粧】の首飾りで顔を変えたのを差し引いても、出会った頃と変わらない。表情や仕種次第で、高校一年生にも大卒の社会人にも見える。
……実際、幾つくらいの長命人種なんだろうな。
実習棟の教室は、大部分が星道クラス用だ。
聖職者クラスだったロークには、何をするかわからない部屋が多い。
二階の実習室に詰まった雑妖を一掃すると、部屋の中央だけにうっすら足跡が見えた。呪符を使った後の灰などはない。
「この部屋へ【跳躍】で侵入したらしいな」
「一人……ですか?」
「ここで待て」
クラウストラが耳慣れない呪文を唱えると、その身がふわりと浮き上がった。
ゆっくり宙を漂い、床に足を着けずに顔だけ近付ける。教室の床すれすれまで接近して浮かぶ様は、夢の一場面のようだが、現実だ。
タブレット端末で何枚か写真を撮って高度を上げ、戸口へ戻ると、ロークの背後に降り立った。
「靴底の形が違う。土魚で学生が避難した後、少なくとも二人侵入したようだ」
「移動は【跳躍】か、今の術みたいなのですか?」
「恐らくな。赤い鱗もみつけた。鮮紅の飛蛇の一部は、ここで呼んで街へ放ったのだろう」
赤い鱗を【鵠しき燭台】に掛ければ、鱗の持ち主と、召喚の様子は確認できる。これだけでは弱い気がするが、何もないよりはマシだ。実習棟では、その足跡の他は戦闘の痕跡しかみつからなかった。
学生寮へ移動する。
三階の大浴場は、鏡が何枚も割れ、壁や床のタイルが砕けて酷い有様だ。
「濃紺の大蛇と戦ったんでしたっけ?」
「そう言っていたな」
血痕などは道具屋が集めて焼き清めたが、ガラス片は端に寄せただけだ。浴槽には中途半端に水が残り、タイルの目地は黒黴だらけで触りたくもなかった。
「忘れ物があるなら、今の内に回収するといい」
「俺は別に困らないですよ」
「スキーヌムの分はどうだ?」
「そこまでする義理ありませんし」
「そうか」
体育館なども含め、全て回ったが、召喚の痕跡は他に発見できなかった。
「推測の範囲は絞り込めるな」
「呪符や魔法陣じゃない……【召喚布】……ヂオリートですか?」
「誰とまでは断定できん」
日が傾く前にランテルナ島へ戻った。
☆素材屋プートニクの情報……「1819.偶然の出会い」~「1824.欠けたピース」参照
☆ルフス光跡教会でも見た……「1076.復讐の果てに」参照
☆星道クラス……「744.露骨な階層化」参照




