1856.この地の常識
三階の教室には、雑妖しか居なかった。
手前の校舎に居た魔獣は、平敷と四眼狼が一頭ずつ、三階廊下の鮮紅の飛蛇二十七頭だ。
「続けて、他の校舎も見ますか?」
「小型無人機のカメラ映像と比較したいんですが」
通信兵が、魔装兵ルベルの手を握ったまま聞く。口調こそ冷静だが、掌にはじっとり脂汗をかき、一刻も早く手を離したいのがありありと伝わった。
バルバツム陸軍の小隊長が、即座に指示を出す。
「時間がない。ここからは手分けしよう。私は引き続き、魔法での偵察を継続。お前は小型無人機で校舎の外側から廊下を確認。その後、校舎内は二階までの廊下と階段、トイレ、侵入可能なら各教室を調査し、帰投せよ」
「了解!」
通信兵はルベルと繋いだ手を離し、迷彩服で掌を拭って軍用車へ走った。
「その鍵はマスターキーだそうだ。開けられる教室は全て開けてくれないか?」
「わかりました」
ラズートチク少尉は、共通語の指示が湖南語訳されるのを待って了解した。
今朝、作戦開始前に見せられた配置図によると、サリクス市立中央小学校は、教室棟が二棟、特別教室等と講堂、体育館は一棟ずつある。
……先に調査してれば、無駄弾撃たずに済んだのにな。
バルバツム連邦陸軍の部隊は現場到着直後、校庭に下りた鳩を土魚が喰らう様を目撃し、半ば恐慌状態で攻撃を開始した。
何が居るか確認せず、闇雲に突入するのは魔法使いでも危険だ。魔物や魔獣の種類と数が不明では、充分な準備もできない。
……鮮紅の飛蛇が、窓ガラスを割って出てなくて他の階へも行かないのは、召喚者が「ここに居ろ」か何か、命令したからだろうな。
推測の域を出ないのは、霊視力を持つルベルの眼では、雑妖で埋め尽くされた教室の床を視認できないからだ。
召喚の魔法陣など、証拠があれば確信を持てるが、今のところ、どの現場でも物証はみつからなかった。
報道や住民の噂などで得られた目撃情報は、いずれも【召喚符】や【召喚布】など、道具の使用が疑われるものばかりだ。
自力で魔法陣を描けるなら、高価な道具を使わなくて済む。
……【召喚陣】じゃないってコトは【渡る雁金】学派の術者じゃないのか。
ネモラリス政府軍ではない「何者かによる攻撃」なのは、明らかだ。
ネミュス解放軍か、ネモラリス憂撃隊か、それとも単独の復讐者か。
ネモラリス人だけとは限らない。
この三十年余り、ランテルナ島民は棄民扱いで、アーテル共和国政府から蔑ろにされてきた。彼ら自身が本土へ出て来なくても、道具の提供などで関与した可能性までは、排除できない。
機械の目は、実体を持たない魔物や雑妖を捉える時と、何も映らない時がある。
飛行機のゴーレムが見たものをルベルたちにも見せてもらえれば、後で教室を調査する手間が省ける。
魔装兵ルベルは、もう一棟の教室棟へ視線を飛ばしながら考えた。
隣の校舎にも雑妖がぎっしりだ。
双頭狼が一頭、一階正面扉の前で丸くなって眠る他には、実体を持つ魔獣は居なかった。
魔物や魔獣は、他に餌がなければ、雑妖を食べて魔力を補う。教室内が雑妖だらけなら、捕食者が居ない可能性が高い。
魔装兵ルベルは、特別教室棟に【索敵】の視線を侵入させた。
ここは、廊下の影にも雑妖が居る。不定形の穢れは押し合い圧し合い、日光が注ぐ場所へ押し出されたモノが瞬く間に消えた。
「成程。日光が有効だと言うのは本当なのだな」
バルバツム陸軍の小隊長が感心する。
ルベルは、アーテル軍の新兵が湖南語に訳すのを待って答えた。
「明るい内に窓とカーテンを開けて減らしておけば、魔獣の餌が減って弱体化させられますよ」
「餓えて凶暴化するのではないのか?」
「そう言うコトもあります」
キルクルス教徒の小隊長は、意外に鋭かった。
「つまり、避難生活が長期化した留守宅は、危険なのだな」
「冷蔵庫の中身とか腐ってたら、危ないかもしれませんね」
通訳のアーテル兵が、共通語で自分の推測を述べる。
魔装兵ルベルは、わからないフリで理科室へ視線を入れた。
骨格標本が、雑妖で足の踏み場もない室内を徘徊する。小隊長が、ルベルの手を握る手に力を籠めた。
「中身は雑妖ですよ」
「えッ? しかし、人骨が」
共通語訳を聞いた小隊長が、珍しく動揺を見せた。あっと言う間に隊員たちに不安が広がる。
「人型や動物型の物品には、雑妖とかが入りやすいんで、魔法使いが居る地域なら、製造段階で【立入禁止】とかの呪印を付けるんですけどね」
何の対策もないことに呆れてみせる。
「隊長、何が見えたんですか?」
「骨格標本が、理科室を歩き回っている」
「よくある学校の怪談が現実に?」
バルバツム兵が、引き攣った顔を半笑いで歪ませる。
流石にアーテル兵は、内輪のやり取りまでは訳さなかった。ルベルは共通語がわからないフリで聞き耳を立てる。
軍用車に戻った通信兵は、まだ戻らない。
ラズートチク少尉が、花壇に放置された移植鏝を手に取った。校門を入ってすぐの地面を起点にやや深く線を刻んでゆく。校門から手前の校舎前までを細長い輪で繋ぎ、【簡易結界】を掛けると、少尉は鍵を軽く振って校舎内に入った。
通信兵が準備を終えたらしい。プロペラが回る微かな音が聞こえたかと思うと、すぐ遠ざかった。
「怪談の仕組みがわかったところで、結局、怪異じゃないですか」
「どうするんですか、それ?」
アーテル兵が、バルバツム兵の質問を湖南語訳してルベルを窺う。
「日当たりのいいとこに放置してれば、動かなくなりますよ。その物のどこかに呪印を書込んで術を掛ければ、以降の憑依を防げます」
「傭兵の諸君も可能なのか?」
「専門家じゃないと無理ですね。複雑な呪印で、専用のインクも必要ですから」
ルベルが小隊長の質問に答えると、隊員たちから溜め息が漏れた。
「専門家とは?」
「特定分野の術を修めた職人さんとかです。物に対する魔物や雑妖の侵入は、魔法の道具職人、設計・建築の技師、葬儀屋が、それぞれ似た効果の術で防げます」
「魔獣と直接戦う以外の術もあるのか」
「そっちの方が多いですよ。生活全般、いろんな分野に分かれて」
「そうか」
アーテル軍の新兵が、魔装兵ルベルの呆れた声をそのまま訳す。
「自力で身を守れないのに力なき民だけで暮らそうって、アーテル人の気がしれませんけどね」
「同感だ」
自称「信心深くない」バルバツム連邦軍の小隊長は、苦笑した。
☆機械の目……「800.第二の隠れ家」、何も映らない時「1689.時が救わぬ傷」参照
☆冷蔵庫の中身とか腐ってたら、危ない……「328.あちらの様子」参照
☆報道や住民の噂などで得られた目撃情報……「1700.学校が終わる」「1822.図鑑を捨てる」参照




