1855.見鬼の見え方
「これは……物が二重に? いや、景色が重なって?」
「あなたの肉眼が見たものと、俺が【索敵】で見たものが同時に見えます。目を閉じれば、俺が見た物だけが見えますよ」
通訳を介すまでもなく、二人の困惑ぶりがわかる。
アーテル軍の新兵が、ルベルの助言を共通語訳すると、バルバツム陸軍の二人は素直に従った。
傍から見れば、都市迷彩の兵士二人と【鎧】仕様の作業服を着た大男が、手を繋いで突っ立つ様は、滑稽だ。だが、バルバツム兵とアーテル兵は、誰一人として笑わなかった。
ラズートチク少尉が魔獣駆除業者のフリで、先程まで土魚だった魔獣の消し炭を【無尽袋】で回収する。続いて、校庭に敷いた【簡易結界】内に転がる土魚の射殺死体を【炉】で灰にした。
バルバツム連邦の陸軍兵は、小さな巾着袋に魔獣の消し炭が次々と吸い込まれるのを呆然と見守る。炎の輪が、燃料のない土の地面で踊るのを目の当たりにして、驚嘆の声を上げた。
「じゃ、手前の校舎、一階から見ますね」
魔装兵ルベルは、目を瞑って手を繋ぐ二人に声を掛け、サリクス市立中央小学校に【索敵】の目を向けた。
肉眼では、塀と植栽に阻まれ、校舎の外観も一部しか見えない。だが、【索敵】の術はそれらを易々と越え、校舎一階の廊下を視界に収めた。
無人の廊下には、魔獣の姿もない。
教室を手前から順に見てゆく。
昼近い日差しは廊下で止まり、教室の中までは射し込まなかった。休校措置が長引き、換気されない教室の床を雑妖が埋め尽くす。
下手な粘土細工のような不定形のモノたちは、所々何かの生き物に似た形を成すが、蠢く度に混じり合い、すぐに形が失われた。
通信兵がルベルの手を強く握り、小隊長が質問する。
「これは、何の魔獣だ?」
「雑妖ですよ。魔物未満の穢れで、半視力の人には視えません」
「えぇっと、雑妖と半視力って、共通語で何て言うんですか?」
通訳を担当するアーテル軍の新兵が、細く震える声で聞く。
「そこはもう、湖南語でいいんじゃないかな? 魔物未満の穢れで、実体がないから肉眼では見えません、とか」
「あ、有難うございます」
「窓とカーテンをずっと閉め切ってるから、空気が澱んで涌いたんですよ。直射日光を浴びせるだけで倒せます」
小隊長がルベルの手を握る指に力を籠める。
「つまり、心掛けの護りとは、これと戦い、身を守る為のものだったのか?」
「こころがけのまもりって?」
湖南語訳を聞いたルベルは、教室から視点を動かさず、アーテル軍の新兵に聞いた。
「聖典に書いてある穢れを祓う方法……ぶっちゃけ、掃除のコトです」
「えぇ? あぁ、まぁ、対策としてはそれで合ってるよ」
ルベルは、二人のやり取りを共通語で報告するのを待って、視点を隣の教室へ移した。
ここも、雑妖だらけだ。
「壁を透過できると言うコトは、風呂など覗き放題なのだな」
アーテル軍の新兵は、小隊長の他愛ない感想まで湖南語に訳した。
「魔法文明圏の建物には【索敵】の目を遮る術が組込んであります。ところで、フロって何?」
「えッ?」
「えッ?」
何とも言えない沈黙に小隊長が目を開けた。
「何があったのだ?」
「すみません。お風呂って何って聞かれて、びっくりしただけです」
「は? 風呂は風呂だろう。マコデス共和国には風呂がないのか?」
アーテル軍の新兵が、気を取り直して湖南語で説明する。
「風呂は、身体を洗う部屋です。裸になって洗うから、覗かれたらマズいです。それと、隊長さんが、マコデスには風呂がないのかって」
「え? そんな部屋ないよ。水があれば、どこでも【操水】の術で服と身体をまとめて洗えるし、裸で魔物に襲われたら危ないだろ」
ルベルは思わずいつもの調子で答えたが、アーテル兵は丁寧な口調に変換して共通語訳した。
この校舎は、一階には魔物も魔獣も居なかったが、全ての教室に雑妖が居た。
吐き気を催す醜悪さで、霊視力を持つ者なら、足を踏み入れるのも躊躇する惨状だが、半視力の人間なら、気にせず掃除できるだろう。
「次、二階を見ます」
魔装兵ルベルの視線が、中央階段をゆっくり上がる。
踊り場に出ると、床の一部が仄暗く見えた。
「その暗い部分は、平敷です」
「床や地面に擬態する魔獣だな?」
「そうです。【索敵】なら見えますが、肉眼や通常の霊視力では、目を欺かれて存在に気付けません」
ルベルは、小隊長の確認に頷いて付け足した。
……魔獣の勉強は、ホントにちゃんとして来たんだな。
「平敷の防禦は割と弱いので、居場所さえわかれば、大抵は、普通の武器でも倒せます」
「だが、床を銃撃すれば、跳弾でこちらに損害が出る可能性がある」
小隊長は冷静に分析してみせた。
通信兵が共通語で聞く。
「これ、小型無人機のカメラでも捉えられないんでしょうか?」
「え? さあ? わかんないです」
「後で確認しよう」
小隊長に促され、ルベルは視線を二階に上げた。
ラズートチク少尉が、預かった鍵で校舎の扉を開け、校門へ戻る。
二階の教室も、雑妖で足の踏み場もない。
視線をトイレに移動する。窓から光が差し込み、雑妖は少なかった。だが、奥の便器に狼型の魔獣が首を突っ込むのが見える。角度をずらすと、四眼狼が水を飲むのがわかった。
「四眼狼は、群で行動するのではなかったか?」
「一匹だけ迷い出るコトもあります。人為的な召喚でも、術者の力が弱かったら一匹しか呼べません」
「自然発生か、故意によるものか、区別できんのだな?」
「はい」
二階に居たのは、この四眼狼と雑妖の群だけだ。
ルベルたちなら瞬殺できるが、バルバツム軍の装備では倒せない。
三階に上がると、廊下は鮮紅の飛蛇の巣窟だった。
ひらひらと落ち着きなく飛び交い、数えるのが面倒だが、二十頭は下らないだろう。
「鮮紅の飛蛇……確か、毒があるのだったな?」
小隊長の確認を訳す新兵の声が震える。
「はい。それと、鱗が硬いので、銃とか普通の武器は通用しません」
「魔法なら倒せるのか」
「大丈夫です。二人とも実績があります」
「小型無人機を入れたら、攻撃されそうですね」
通信兵が、別方向からの懸念を口にした。
☆平敷……「1253.攻撃者の目的」参照




