0019.壁越しの対話
「俺んちも近所も、みんなバラック小屋だ」
「ネモラリス政府が、自治区内で全て賄えと予算を配分しなかったせいで、我々は取り残されたのだ」
ソルニャーク隊長が、静かな声でリストヴァー自治区の窮状を説明する。
和平成立後、ラキュス・ラクリマリス共和国から分離独立したネモラリス共和国は数年間、国連からの緊急食糧支援を受けられたが、リストヴァー自治区には配給されなかった。
自治区では、最初の一年で多くの餓死者を出した。
塩害で耕作可能な土地は少なく、食糧は自治区外に頼らざるを得ない。
淡水も少なく、多くの市民は購入しなければならない。
力ある民なら、魔法で土地の塩を抜き、塩湖の塩も抜ける。
費用を掛けずに農地問題も水の問題も自ら解決できるのだ。
魔力を持たないが故に、より多くの予算を必要とする自治区には、復興予算が一切つかなかった。
私費で工場を再建し、労働者を雇用し、外貨を稼いで貧しいなりに生活が成り立つまで、二十年近い歳月を要した。
その間、自治区に押し込められた力なき陸の民のキルクルス教徒は、約三分の一が命を失った。
ネモラリスは共和制を謳うが、少数派の声は、多数派である湖の民と力ある陸の民のフラクシヌス教徒に黙殺された。
「民主主義なんて言っちゃいるが、そんなものは単なる数の暴力に過ぎん」
「カネがなくても、元手がタダの魔法で何でもできるクセに」
「俺たちから、カネまで毟りやがって」
「あんたたちゃ、俺たちが汗水垂らして作った物をタダ同然で買い叩いてんだ」
「それを外国へ売って、差額でいい暮らししてんだ」
ソルニャーク隊長の声に、大人の隊員たちも不満をぶちまける。
「俺たちは、捨てられたんだ! リストヴァーに生まれたってだけで、死ぬまでゴミ扱いされるなんて、まっぴらだ!」
少年兵モーフが銃身で水壁に殴りかかった。
水に絡められ、銃を奪われそうになる。両足を踏ん張り、腋を締めて奪われまいと力を籠める。
メドヴェージと中年の兵が、少年兵を水から引き離す。三人掛かりでやっと、銃を水から引き抜いた。
湖の民の呪医は、そんな彼らを呆然と見ている。
「力なき民でも、フラクシヌス教に改宗すれば、そんな暮らしから抜け出せるんだ。救済の道はあるのに、殉教の道を選んだのは、あんたらの勝手じゃねぇか」
葬儀屋が冷たい声で言う。
この新しい国で、聖なる星の道から外れたくないなら、自治区に住むしかない。
「信仰の自由は、法で保証されている。信仰を理由にこんな弾圧を加える現政府は、王室となんら変わらん」
ソルニャーク隊長が、落ち着いた声で答えた。
聖職者なのか、知識階級なのか。他の兵たちとは明らかに違う。
ラクリマリス王家は、力ある陸の民の家系だ。
半世紀の内乱後も相変わらず、ラクリマリス王国が、ネーニア島の南半分とフナリス群島を支配している。
ラキュス・ラクリマリス王国は、王制を廃して共和制に移行した。その後、半世紀の内乱を経て、王政復古し、ラクリマリス王国となった。
国の体制や領土は変わっても、国教のフラクシヌス教と、人種を問わず魔法使いを優遇する政策は、何ら変わる所がない。
湖の民の指導者ラキュス・ネーニア家は、半世紀の内乱の和平に際し、旧王国時代には共同統治者であった王家と袂を分かち、ネーニア島の北半分とネモラリス島を得てネモラリス共和国を樹立した。
国が分かれても、両国は共同統治時代と大差ない政策を継続した。
いや、どちらの国も、自国内での少数派への弾圧を強化している。
ネーニア島北部の力なき民……特にキルクルス教徒は、王家が居なくなれば、自分たちも日の当たる暮しができると信じて、半世紀の内乱で戦い、生き抜いた。
その結果は、半独立の権利を与えると称した隔離政策だった。
ネモラリス共和国政府は、民族自決の名の許に公然と宗教弾圧を行っている。
「あんたたちは、おかしいと思わんのか?」
「俺たちをあんな土地に押し込めて、お前らだけ、いい土地取ってぬくぬく暮してんだ」
「湖の民も、王家と一緒じゃねぇか!」
ソルニャーク隊長の説明を聞いた隊員たちが、怒りをぶつける。魔法で造られた水の壁がなければ、すぐにでも瓦礫をぶつけ、銃で殴ってやるところだ。
少年兵モーフは、拳を握りしめた。
ここでも、魔法使いと力なき民の差で、みじめな思いをさせられている。
……医者も葬儀屋も、その気になればいつでも、俺たちを一撃で皆殺しにできるんだ。
そうしないのは、猫がネズミをいたぶるのと同じ気持ちだからだろう。
少年兵モーフは、邪悪な魔法使いを睨みつけた。
魔法使いは、憎しみを籠めた視線だけで人の命を奪えると聞いたことがある。
……俺にも、その力があれば……
本末転倒な考えが脳裡を過り、首を横に振る。
……いや、ダメだ。あんな化物になんて、なりたくない。
魔法使いを目の当たりにして、圧倒的な力に毒されてしまったのかもしれない。
口を開き掛けた呪医に足音が駆け寄り、横から男の声が掛かった。
「先生、そこはもう結構です。代わりますから、怪我人をお願いします」
年配の男が、義勇兵の視界に飛び込んだ。
緑髪の呪医が、手の中に残った結晶を渡そうとする。男は首を横に振った。
「私はまだ大丈夫です。怪我人に使ってやって下さい」
そう言って、力ある言葉で何かの呪文を唱え、水壁に手を入れる。
「……わかりました」
「先生、これも……」
葬儀屋が腰の皮袋を外して差し出す。呪医はそれを受け取り、会釈すると、足早に立ち去った。
足音が遠ざかり、すぐに聞こえなくなる。
呪医を見送った男が義勇兵に向き直った。
「先生は、お前たちと話し合いをして下さっていたようだが、お前たちの返事は変わらんのだな?」
「あんたはそう言われて、ほいほい改宗できるのか?」
ソルニャーク隊長が問い返す。
年配の男は、口許に寂しげな笑みを浮かべた。
「無理な相談だな。私も、お前たちが改宗したところで、家族を焼き殺されたのを水に流せる程、広い心は持ち合わせとらんよ」
両者の間に沈黙が降りる。
中年の兵が、床にどっかり腰を降ろし、小銃を投げ捨てた。
「殺るんなら、さっさとやってくんな」
「自治区に戻っても、どうせゴミみたいに野垂死ぬんだ」
若者も銃を放り出し、中年男の隣に座った。
元トラック運転手のメドヴェージが、銃を捨てて口を開く。
「俺にはもう、何も残ってねぇ。家族も仕事もカネも……呪医に助けてもらったこの命しかねぇ。おい、葬儀屋」
「何だ?」
「呪医に、すまねぇっつっといてくれ。折角助けてもらったのに、俺の人生はダメだったってな」
「……わかった」
他の兵たちも、胸の前で聖なる星の道の楕円を描き、次々と銃を捨てた。
隊長と少年兵モーフだけが、銃を抱えている。
「お前さんたち、ここへ死にに来たのかい?」
葬儀屋が呆れる。
「そんなワケねぇだろッ!」
少年兵の鋭い目が、葬儀屋を射抜く。
憎しみの力で人を殺せるなら……とでも言いたげな目だ。
葬儀屋は少年兵の荒んだ目を真っ直ぐに見詰め返した。少年兵から目を逸らさずに、軍属の事務員に問う。
「事務長さんよ、どうするね?」
「どうもこうもない。やることは決まってる」
年配の事務員は、死体から抜き取った水の集合体に、力ある言葉で命令した。




