1849.制裁が伝わる
「えぇ。我々も先日、聖地の神殿でそのニュースを見ました」
マチャジーナ市商工会議所の会頭が、会議机に置いたタブレット端末を指差す。
今月一日から、マチャジーナ市商工会議所は、インターネットで情報収集を始めた。端末を持つ会員が交代でラクリマリス王国領へ【跳躍】し、ニュースを仕入れると言う。
まだ操作に不慣れな会員が多く、一度に得られる情報はあまり多くない。それでも、ネモラリス共和国内の報道と比べれば、格段に厚かった。
「マチャジーナでは、新聞もラジオも、まだ、その件に触れておりません」
「安保理決議の全文とその湖南語訳、武器禁輸措置の対象品目一覧と、経済大国二十カ国会議で決まった経済制裁の全文と湖南語訳……渡したら、これ、幾ら負けてくれます?」
ラゾールニクが自分の端末をつついて向けると、会頭はぐっと詰まった。
説明会の出席者は十七社の二十人。全員が湖の民だ。
フリージャーナリストと名乗ったラゾールニクに忌々しげな顔を向ける者も居れば、国営放送アナウンサーのジョールチに視線で助けを求める者も居る。
パドールリクが、重い沈黙を笑い飛ばした。表情を改め、緑髪の面々を見回す。
「冗談はさておき、この先、みなさんが同じ手段で情報収集できなくなることがわかりました」
出席者一同が息を呑み、金髪の男性に注目する。
パドールリクは静かな声で続けた。
「まず、通信機器類が、武器禁輸措置の対象品目に指定されました」
「えッ?」
「武器じゃないのに?」
「角で思い切り叩いたら痛いけど」
会議室が一気に騒然となる。
「情報も武器になりますからね」
「例えば?」
「例えば、インターネットでデマを流して民衆を煽動するとか、武器や魔法でドンパチするだけが戦闘じゃないんですよ」
「そ……そんな使い方が」
ラゾールニクの説明で、出席者たちが言葉を失い、端末に怯えた目を向ける。
「これを使いこなせる人は誰だって、子供だって、情報工作員になれるんです」
「その為、端末の新規契約ができなくなります」
パドールリクが付け足すと、出席者の一人が引き攣った顔で言った。
「でも、そんなの、国籍なんて言わなきゃわかりませんよ?」
「どこの国でも、購入と回線契約には、身分証が必要です」
再びざわついた場が、ラゾールニクの一言で水を打ったように静まった。
パドールリクが、マチャジーナ市の基幹産業を担う者たちを見回して言う。
「重ねて、経済制裁では、ネモラリス人との回線契約も規制対象になりました。理由は先程、彼が述べた通りです」
「安保理決議と経済大国による経済制裁に基づき、通信事業者が既存契約を解除する可能性もあります」
ジョールチが、ラジオと同じ声で告げる。
ネモラリス共和国には、公式にはインターネットの設備がない。
端末購入も、回線契約も、外国まで行かなければならないのだ。
「そんなッ!」
「高かったのに」
「社長に何と言えば」
「あの、この場をお借りしまして、今後の情報収集の手段について、ジョールチさんたちにお知恵を拝借願えませんか?」
呆然とする会頭を横目に見て、副会頭が落ち着いた声で申し出た。
……私、居る必要あるのかな?
話がなかなか大口発注の本題に進まない。薬師アウェッラーナはこっそり溜め息を吐いた。
ラゾールニクに手振りで促され、服の中に隠した薬師の証【思考する梟】学派の徽章を襟元から引っ張り出す。
「その件に関しましては、日を改めましょう。安保理決議と経済制裁の資料をお渡し致しますので、みなさんも、どんな対策が可能か考えて下さい」
「まず、その案を詰め、他にも対策がありそうでしたら、こちらからもご提案します」
ジョールチとパドールリクが言うと、副会頭が了承の意を示し、他の出席者たちは渋々従った。
アウェッラーナが、背筋を伸ばして言う。
「まず、お手元の資料をご覧下さい」
出席者には、必要な素材を手で書き写したものを配った。
ネモラリス共和国内にある複写機はどれも旧式で、A4版一枚刷るだけで数分掛かる。文字だけなら、手書きやガリ版印刷の方が早いのだ。
「移動放送局が、魔法薬の製造販売も手掛けるんですか?」
副会頭が、一同を代表して質問した。
「いえ、頼まれもの……難民キャンプで不足している魔法薬の素材です。寄付金が集まったので、交換品に保存性の高い食糧を用意したそうです」
「あなた方がご用意して下さったのではないのですか?」
「アミトスチグマ王国内にも、拠点があります。情報収集にあたる仲間が、インターネット上で寄付を募り、パルンビナ株式会社に調達を依頼しました」
アナウンサーのジョールチがすらすら答えると、幾つもの緑髪が縦に動いた。
「国内需要の落ち込みと輸出経費の増大で、厳しい状況にある産地の支援をしつつ、難民キャンプの需要を満たす計画です」
「薬への加工と、アルコールの小分けなどはどうなさるんです?」
「パルンビナ株式会社が、付合いのあるネモラリス共和国内の製薬会社などに打診しましたが、断られたそうです」
「えぇッ? こんな大口なのに?」
「勿体ない……!」
「一体、何があったんです?」
「工賃を値切ったんですか?」
あちこちから驚きと疑問の声が上がる。
「国内工場はどこも人手不足で、特に【思考する梟】学派などの有資格者が必要な業種は深刻です。また、ガラス瓶などの包装資材も不足する為、先様も断腸の思いで断ったのだそうです」
ジョールチの説明で緑髪の企業人たちが萎れる。
儲け話が降って涌いても、手を出せない程に生産能力が落ちてしまったのだ。
「アルコールの小分けは、セプテート株式会社のステニア工場が引受ける方向性で話が進んでいるそうです」
半世紀の内乱中、生産拠点を国外に移し、和平成立後も支社として残す企業は少なくない。
七つの業種に手を広げる複合企業セプテート株式会社も、そのひとつだ。製造部門の内、消毒薬の工場はステニア共和国に残した。
アミトスチグマ王国など、ネモラリス共和国と友好関係にある国々はまだ保留中だが、他の国々による経済制裁が本格化すれば、同調せざるを得なくなる可能性が高い。
セプテートの本社は、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルに所在するが、ステニア工場では多数の現地人を雇用する。
制裁によって、ネモラリス企業の国外拠点が封鎖される事態に陥れば、現地の経済や国民生活にも悪影響を及ぼす惧れがあった。




