1848.情報と薬素材
移動放送局は倉庫街での公開生放送後、東神殿の駐車場へ移った。
新聞記者シレンティウムは放送から三日後、マチャジーナ市内での取材を終えて帰国した。ラゾールニクと国営放送アナウンサーのジョールチも、アミトスチグマ王国へ同行する。
今後も、湖南経済新聞の記者が、自らネモラリス共和国まで取材に来るなら、移動放送局と湖南経済の情報交換について、変更される可能性が出て来たからだ。
「取材の観点が異なる為、情報交換については取決め通りでいいそうです」
一泊して戻ったジョールチが、安堵の微笑で報告した。
放送に使う湖南経済新聞の記事だけでなく、紙面掲載しなかった情報も、ネモラリス共和国とアーテル共和国、魔哮砲戦争全般に関するものは随時、クラウドに上げる件についても、変更ないと言う。
移動放送局側から渡すデータについても、特に変更の必要はないとのことだ。
情報共有するクラウドは、データの種類や閲覧権限によって複数を使い分ける。
湖南経済新聞社との遣り取りに使うクラウドは、ファーキルが使うマリャーナ宅のパソコンの内一台と、湖南経済新聞社の国際部部長席のものだけが閲覧可能だ。
他の端末は、識別情報で弾かれるそうだが、薬師アウェッラーナにはピンとこなかった。
状況を分析する手掛かりとなる貴重なデータだ。
そこからデータを複写できる為、権限を有する二人が必要と判断した情報は、それぞれの関係者で共有される。
「マリャーナさんちに寄って、その件も伝えといたよ」
ラゾールニクが軽い調子で言って、一通の封筒と【無尽袋】をふたつ、アウェッラーナに手渡す。【無尽袋】のひとつは未使用で、もうひとつは使用中だ。
「あの、これは?」
「難民キャンプで足りなくて困ってる薬素材の一覧と、容れ物と対価。あ、これもだ」
段ボール箱をポンと叩き、ラゾールニクはガムテープを外した。【無尽の瓶】が二十五本、緩衝材付きの仕切りに囲まれ、整然と並ぶ。
「マチャジーナ市内で製造してる魔法薬の材料と、消毒用のアルコールが欲しいんだってさ」
「交換品は何ですか?」
「大豆と小麦。クラウドファンディングで集めた資金で、ゲオドルム産のが安く手に入ったらしいよ」
ゲオドルム共和国は、チヌカルクル・ノチウ大陸南東部、クラード海に面する両輪の国だ。わざわざ遠方の国から調達したのは、魔哮砲戦争の当事国とは利害関係が薄いからだろう。
薬師アウェラーナは、一覧表を長机の上に広げて置いた。
ヌシフェラの葉、花弁、種子。カムフォラの結晶と、精製後に残る白油だ。
「交換品が足りなきゃ、出来る限り用意するってさ」
「量が多いですね。場所をお借りして商談会をした方が、お互い楽ですよ」
肩越しに覗いたパドールリクに言われ、アウェッラーナはホッとした。
「でも、シレンティウムさんが、帰り際に輸出規制がどうとか言ってましたよね?」
ピナティフィダが、ラゾールニクに不安な目を向ける。
「大丈夫。人道支援は続けるって発表があった」
「正式に決まっちゃったんですね」
「アミトスチグマ政府は、まだ何も言ってない。やるなら今の内だな」
ラゾールニクは、複雑な顔で肩を落としたパン屋の娘に気楽な声を寄越した。
「我々だけでするのですか? 今回限りで?」
パドールリクが疑問を投げる。
「交換品を買付けたのは、ファーキル君ですか?」
「ん? いつも通り、パルンビナだと思うけど、何で?」
これまでも、ファーキルがユアキャストの広告収入などで得たウェブマネーを支払い、総合商社パルンビナ株式会社が、難民キャンプ向けの救援物資を買付けてきた。
「商談会にパルンビナの社員が立会えば、武器禁輸措置と経済制裁が解除された時、取引を再開する繋ぎをつけやすくなります」
「じゃ、ちょっとメール送りに行って来る」
ラゾールニクは気軽に応じ、神殿の駐車場を出て【跳躍】許可地点に入った。
……これってもしかして、高血圧のお薬も材料が手に入り難くなるってコト?
薬師アウェッラーナは、思わず兄を見た。
薬を使い始めてから、少しずつ血圧に改善の兆しが見えて来たばかりだ。治療が中断しては、またあの危険な状態に逆戻りしてしまう。
「では、私はジョールチさんと商工会議所へ相談しに行きます。レーフさん、車をお借りしていいですか?」
「いいですよ。俺のじゃありませんし」
DJレーフがニヤリと笑って、ワゴン車の鍵をパドールリクに渡す。
「私が先に公衆電話から商工会議所に連絡してみます。詳しい話ができそうでしたら、直接会って話しましょう」
「お願いします」
ジョールチは、財布の小銭を確認して【跳躍】した。
クルィーロが、タブレット端末で一覧表を撮る。
「原本は当日までアウェッラーナさんに持っててもらって、今日はこの画像と手書きの写しで」
「どうやって見るんだ?」
クルィーロが、父パドールリクに端末で写真を見る操作方法を教える。
「じゃ、今作った“商談用”ってフォルダに入れたから、他のフォルダは人前で開けないように気を付けて」
「わかった。注意する」
一覧の二枚目は、【無尽袋】の内容物だ。
製粉前の小麦と乾燥大豆が、それぞれ二十キロ入りの麻袋で五百袋。いずれも、ゲオドルム産だ。
「これ、全部が一袋に?」
魔法の袋は、容量毎に価格が異なる。【無尽袋】代を誰が負担したか不明だが、この一袋だけで新車一台分は下らない。
……会社が負担したなら、やっぱり今後の付合いが欲しいからよね?
「人、出せるってさ。向こうが大丈夫な日はこれ」
ラゾールニクが先に戻り、メールの画面をパドールリクに見せる。
そこへ丁度、ジョールチも帰った。
「すぐ詳細を知りたいそうで、今日の午後二時に商工会議所で説明会をして欲しいそうです」
お互い急な話だが、説明会には、ジョールチ、ラゾールニク、パドールリクに加え、薬師アウェッラーナも出席すると決まった。




