1845.ローハの噂話
五月の終わり近い今日も、リストヴァー自治区東教会の礼拝堂では、職にあぶれた人々が針仕事に精を出す。今は、着られない古着を解体し、繋ぎ合せて夏物の寝具を作る。
富裕層が暮らす西教区の住宅にはエアコンがある。
だが、かつてバラック街だった東教区では、工場の社員寮や、新しくできた集合住宅など、限られた物件にしかない。
仮設住宅は、エアコンどころか、照明器具すら各戸になく、トイレと炊事場も共同だ。
学校は全教室にエアコンが設置された。本格的な夏が来れば、大勢の住民が暑さを避け、空教室での作業などへ行く。
夜は、窓を開けておけば、ラキュス湖から吹く風でどうにか凌げる。
過密なバラック街の頃より風通しが良くなり、熱中症による死者は以前と比べれば減った。
救援物資として支給された寝具は、毛布が一人一枚きりだ。
かつては、それすら持たない者が多かった為、歓迎された。だが、流石に夏場は使えない。段ボールや、蔓草細工の敷物を寝具代わりにする住民が多かった。
最近、誰からともなく言い出して、古着で夏物の寝具を作るようになった。
少し破れたTシャツや、丈の長い部屋着などを解き、四角い一枚布になるように縫い合わせる。
縫う距離こそ長いが、単純作業だ。針を動かしながら、お喋りに花が咲く。
「そう言や近頃、ローハさん見かけないけど、どうしたの?」
「字の教室に通ってるとか?」
「あの人ンち、学校遠いから違うんじゃない?」
「それは私らもそうだけど」
東教区の教会で作業するのは、身体が不自由な者や、子供の世話などで働きに出られない者が多い。学校からやや距離がある為、空教室での作業や、識字教室にも通い難かった。
「ちょっと前までは、町工場で使えない鍋の把手とか外すお仕事してたらしいんだけど、そのお仕事はもうなくなったって」
「あぁ、あの寄付でもらった壊れたお鍋」
「工場用の素材って言ってたけどね」
「で、ローハさんって把手のお仕事なくなってから、どうしてんの?」
「あの人、あっちこっちでちょこちょこ仕事もらって顔広いから、何か私らでもできそうなの紹介してくれないもんかねぇ」
クフシーンカは、縫い方がわからない者への指導を終え、説教壇の隣に置かれた机へ戻る。杖を置こうとして、執務室へ続く廊下の端に佇むウェンツス司祭に気付いた。礼拝堂へ出るでもなく、お喋りに夢中な信徒たちをじっと見詰める。
……あの人たち、ちょっとうるさかったかしらね?
奥の集会室では、乳幼児を預かる。昼寝の邪魔だったかもしれない。
「でも、あの人が行ってたお仕事、身体が丈夫で毎日きちんと通える人じゃないとムリなのばっかりよ」
「ここに来なくなったってコトは、また何かみつけたんでしょうけど」
「足が悪い娘さん見捨てて一人で逃げた薄情者よ。何かいい仕事があったって私らに教えてくれたりするもんですか」
ウェンツス司祭が礼拝堂へ姿を見せると、お喋りはぴたりと止んだ。
司祭はクフシーンカと信徒たちに会釈すると、浮かない顔で出て行った。
夕方、礼拝堂での縫製指導を終えて帰宅すると、奥の部屋から物音がした。送ってくれた新聞屋のワゴン車が去るのを待って、奥へ行く。
緑髪の運び屋が台所へ歩いて来る。廊下で合流し、寝室へ通した。
いつも通り、クフシーンカは寝台に腰掛け、運び屋は木箱に座って話す。
「こんばんは。翻訳の報酬、東教会の執務室に置いといたから、いつも通りよろしく」
「こちらこそ、いつも有難うございます」
クフシーンカは、前回の運搬で中身を出して失効した【無尽袋】を運び屋に返した。緑髪の魔女は巾着袋を肩掛け鞄に入れ、タブレット端末を出す。
何度かつついて画面をクフシーンカに向けた。
「この子、知ってる?」
「いえ。どなたですの?」
「そう。じゃあ……この人は?」
知らない少年の次は、痩せた女性を示された。
小さな写真を引き伸ばしたらしく、顔立ちがはっきりしない。髪の色は、少年と同じくすんだ土色だ。
「いえ、ちょっとよくわかりませんが、この二人が何か?」
「アミエーラさんの近所の親子。男の子はモーフ君、母親はローハさん」
クフシーンカは口の中で数回、母子の名を転がしてみたが、心当たりがない。
モーフはあまりない名だが、ローハはありふれた女性名だ。
「司祭様はご存知かしらね。アミエーラさんがこっそり手紙を送ったんだけど」
「司祭様にですか?」
「ローハさんは字が読めないから」
「もしかして……」
クフシーンカは今日、礼拝堂で耳にした噂話と、司祭の様子を語った。
「司祭様も、その人、捜してるのかしらね?」
彼女らの何人かは、ローハの住まいを知っている口ぶりだったが、何故、司祭は声を掛けずに出て行ったのか。
「これはまだ、誰にも言わないで欲しいんだけど、モーフ君は生きてるの」
「母親にも教えてはいけないんですの?」
「星の道義勇軍に参加して、ゼルノー市襲撃作戦で自治区から出たの」
「えッ?」
緑髪の魔女は、クフシーンカの動揺を見ても表情を動かさず、何でもないことのように続けた。
「テロの実行犯としてゼルノー市警に捕まったけど、色々あってアミエーラさんと合流して、しばらく一緒に旅して、今も移動放送局の一員としてネモラリス島を回ってるわ」
クフシーンカは、あまりのことに言葉が出なかった。
アミエーラの手紙の内容がモーフの消息なら、ウェンツス司祭が、ローハに伝えるべきか悩むのも頷ける。
……確かに……こんなコト、誰にも言えないわね。
重い秘密を預けた魔女が、タブレット端末をつつく。
「星の標の身内が、解放軍が自治区へ来る前に他所へ逃げた件って、一般の人にも伝わってるの?」
「いえ……それを知れば、残った身内への報復が激しくなりますから」
クフシーンカは、何故そんなコトを聞くのか気に懸かり、緑髪の魔女を見た。緑の瞳は四角い板を見て、星道の職人に視線を向けずに言う。
「じゃあ、冬の大火のどさくさに紛れて外へ出た人は?」
「酒屋の……工場の従業員が、経営者からゼルノー市の様子を見に行けと出されましたが、戻って来ないようです」
「そう。じゃ、その線で行ってみるわね」
言いながら、凄い速さで端末をつつく。
「あの……何を?」
「原稿ができたら見てもらうわね」
緑髪の魔女は、一方的に言って魔法で移動した。
☆あの寄付でもらった壊れたお鍋……「1489.小麦を詰める」参照
☆小さな写真を引き伸ばした……「927.捨てた故郷が」参照
☆アミエーラさんの近所の親子……「0037.母の心配の種」参照
☆アミエーラさんがこっそり手紙を送った……「1421.ぶかぶかの服」「1441.家出少年の姿」「1450.置かれた手紙」「1828.返信なき手紙」参照
☆星の標の身内が、解放軍が自治区へ来る前に他所へ逃げた件……「629.自治区の号外」「630.外部との連絡」「796.共通の話題で」「1434.未来の救世主」参照
☆工場の従業員が、経営者からゼルノー市の様子を見に行けと……「0137.国会議員の姉」「0213.老婦人の誤算」、死亡「0082.よくない報せ」~「0086.名前も知らぬ」参照




