1841.奏者への質問
「えぇ。私も投稿に気付いてすぐ、拡散しましたよ」
イーニー大使が、タブレット端末の画面を向ける。
アミトスチグマ王国に駐在するネモラリス共和国の外交官は、応接机にやや身を乗り出して、ラクエウス議員を窺った。
ファーキル少年が真実を探す旅人として公開した投稿は、ほんの数時間で拡散、賛同ともに三万件を越え、老議員の目の前でも数字がどんどん増えてゆく。
「凄いものですな」
「えぇ。大使館の方でも、動画URLを改めて流したところ、竪琴奏者はどなたですかと、質問が来ました」
イーニー大使が小さな画面をつつき、再び老議員に向ける。
「儂の代わりに答えていただけますかな?」
「字数制限はありますが、どうぞ」
ラクエウス議員は、書込まれた質問を読み返した。
〈ステキな曲を教えてくれて有難うございます♪
特に竪琴がスゴかったです。
このおじいちゃんはプロの方ですか?〉
「大使閣下が回答する体でお願いします」
「勿論です」
ラクエウス議員が口述し、イーニー大使が端末をつついて下書きを入力する。
〈ご視聴いただき有難うございます。
竪琴奏者は、ネモラリス共和国唯一のキルクルス教系国会議員です。
以前はラキュス・ラクリマリス交響楽団の竪琴奏者として活躍しました。〉
「それでお願いします」
大使は頷いて送信ボタンを押した。
コメントに対する返信が表示されると、瞬く間に賛意の表明と拡散が始まる。
質問者が絵文字を散りばめたコメントを寄越した。
〈有難うございます♪
元プロですか! お年寄りなのに現役並みでスゴいです!〉
二人は顔を見合わせて苦笑し、大使が賛意のボタンを押した。
「みなさん、気になっていたようですね」
ラクエウス議員が応える間もなく、画面を切替える。
ユアキャストの「すべて ひとしい ひとつの花」をラクエウス議員が竪琴で奏でるページだ。
「これも、回答に追加してよろしいですか?」
「ご随意に」
〈同じ奏者の演奏です。〉
動画のURLを付して回答に追伸すると、これもまた、拡散が始まった。
「真実を探す旅人さんが、“このピアニストはどなたですか?”との質問にこんな風に答えておられたので、真似してみました」
「その方が、親切ですな」
動画の閲覧数が伸びれば、それだけ広告収入が増え、難民キャンプの支援が手厚くなる。
大使が画面をつつくと、新着コメントが表示された。
〈この竪琴の爺ちゃん、この人だ。〉
コメントに付された動画は、ラクエウス議員がアサコール党首と共に魔哮砲の正体を暴露する告発だった。
「憶えていた人が居るのですね」
「そのようですな」
少なくとも、ラクエウス議員が教えられた工作員のアカウントではない。
見知らぬ人のコメントには、賛同が幾つかついただけで、拡散されなかった。
イーニー大使がソファに身を沈め、表情を改める。
「スメールチ国連大使から昨夜、気になる情報が寄せられたのです」
「バルバツム連邦で何か動きが?」
「はい。ポデレス大統領が、一昨日からバルバツム連邦を訪問中です」
「戦争中に国を留守にしたのかね?」
ラクエウス議員は耳を疑った。
……それだけ、侮られておると言うコトか。
アーテル共和国は、独立後も民主主義の政体を維持し、軍は文民統制の下にある。自ら吹っ掛けた戦争の最中、軍の最高指揮官たる大統領が国を離れたのだ。
「インターネットが繋がる状態なら、それで済ませたかもしれませんが、衛星移動体通信では、回線が細いですからね」
「ふむ。いや、それにしても……一体、何の目的で?」
イーニー大使は、タブレット端末を応接机に置いて、ラクエウス議員の目を正面から見据えた。
「縁故を頼ってアミトスチグマの都市部へ避難したサカリーハ市民ですが、十五世帯の三十九人が、昨日の便で、夏の都からレーチカ市へ移送されました」
「それはよかっ……よくない状況に代わったと言うのかね?」
急に話題を変えた理由が、幾つも頭に浮かぶ。
「ご賢察、恐れ入ります」
大使は卓上の端末に視線を落とした。節電モードで暗くなった画面に疲れ切った顔が映る。
「まだ未確認情報ではありますが、ポデレス大統領は、デュクス大統領にバルバツム軍のアーテル本土への派遣を要請したようなのです」
「なッ……」
あまりのことに老議員は言葉を失った。
「名目は、魔獣駆除です」
「しかし、そんなことが」
「スメールチ国連大使らが確認中ですが、併せて武器弾薬の提供も要請したそうです」
「対人戦闘にも転用……国連軍の武力介入で、我が国に攻撃を仕掛けるのではなく?」
何をどう聞けばいいか、言葉がまとまらない。
「スメールチ国連大使が、昨夜遅くに連絡をくれた時点では、魔獣駆除の装備だそうですが」
「あるのかね?」
アルトン・ガザ大陸の大半の地域は、三界の魔物との戦いで土地の魔力が失われた。北部に位置するバルバツム連邦は純粋な科学文明国だ。魔力どころか、霊視力すらない者が国民の大多数を占める。
「ここ百年程で、銃火器の威力が飛躍的に向上しました。対人兵器だけでなく、陸軍の対魔獣部隊が開発した退魔銃など、魔獣に高い効果を発揮する武器もあるそうです」
その情報は、スメールチ国連大使と駐在武官による公開情報調査だけでなく、陸軍が十数年前からバルバツム連邦に植付けた間諜の働きによるところも大きいのだろう。
「それが、ネモラリス人に向けられるような事態にならなければよいのだが」
魔獣退治の支援名目であっても、バルバツム連邦軍がアーテル領に展開すれば、ラキュス湖南地方の軍事力均衡が崩れる。
臨時政府に付いたアル・ジャディ将軍、クーデター側のウヌク・エルハイア将軍だけでなく、ラクリマリス王国やラニスタ共和国も、どう動くか読めない。
老議員と外交官は、揃って溜め息を吐いた。




