1840.大合唱の完成
ようやく、難民の合唱データが揃った。
ラクエウス議員は高齢の為、足が思うように動かず、難民キャンプの現地視察ができなくなって久しい。ソプラノ歌手オラトリックスら、協力者たちが手分けして現地入りし、歌唱指導と収録を少しずつ進めてくれた。
難民キャンプは、アミトスチグマ王国の大森林に全三十五区画が開設された。
ネモラリス難民や祖国に残る音楽家有志が、それぞれの居場所で歌い、間に合わせの楽器で個別に奏でた音声データが、ジェルヌィの手でひとつになる。
ラクエウス議員も竪琴奏者として演奏に加わり、支援者マリャーナ宅で奏でた。
ネモラリス建設業協会の若者は、データが届く度にパソコンで組合せ、速度のズレなどを調整する。
竪琴の音色を演奏速度の基準とし、ラクエウス議員は、ある程度集まる度に試聴と確認を求められた。
今回が、最終調整だ。
曲は当初「神々の祝日の為の聖歌メドレー」だけの予定だったが、難民から未完でもいいから「すべて ひとしい ひとつの花」もと要望が出た。
まずは神々の祝日を公開し、折を見てもう一曲も収録すると決まった。自主的に二曲目の練習を始めた者も居るらしい。
……雨の日は、農作業などが難しくなるからな。
各区画の集会所には、呪歌を練習する部屋がある。主な用途は呪歌【道守り】と【癒しの風】の練習だが、そればかりでは気が滅入る。
日々の暮らしを回すだけでも、電気、ガス、水道がない為、水汲みひとつ取っても重労働だ。寄付された本があっても、読む暇や気力すらない者が多い。
音楽ならば、誰もが気軽に息抜きできるかと思ったが、オラトリックスたちの話で、そう簡単ではないと思い知らされた。
難民の大部分は、一棟に一部屋の丸木小屋で暮らす。
親たちは、乳幼児の泣き声にも神経を尖らせる。
難民キャンプの敷地内には、度々野生動物などが侵入する為、泣き止むまで散歩で気を紛らせてあやすことも難しかった。
軽症の病人も丸木小屋で雑魚寝だ。
寝込む者や、頭痛持ち、大きな音が苦手な者らにとっては、歌や楽器の音色も、赤子の泣き声もひとしく苦痛でしかない。
逆に耳が遠い者などは、音楽が楽しみにならなかった。
どんな名曲、名演奏でも、すべての人にとって心地よい音色として響くとは限らないのだ。
「農作業などを抜けて曲の練習しても、文句は出なかったのかね?」
「言うヤツは何やっても言うでしょうけど、動画の広告収入で薬や食糧を買ってるって周知済みですからね」
「ふむ」
「逆に農作業とか力仕事できない人は、歌って稼げって言われるみたいですよ」
「そうなのかね」
「呪歌もありますし、まぁ……第十一区画のズレ、これで直りました?」
ラクエウス議員は、三十分以上に及ぶ曲を再度、通しで聞いた。
楽器の音色にメドレー用の編曲が施された歌唱が加わる。
主神フラクシヌス、湖の女神パニセア・ユニ・フローラ、岩山の神スツラーシ、祖神ラクテア、誓いの女神クリャートウァ、記録の神プートニクなど、ラクエウス議員が名を聞いたこともないフラクシヌス教の神々を讃える聖歌が続き、耳に馴染んだキルクルス教の聖歌がさりげなく始まった。
キルクルス教の聖歌「知の光で道を照らす」を歌うのは、祖国アーテルを捨てた歌手「平和の花束」の四人だ。
一通り聞き終え、ズレがなくなったと告げる。
「それにしても、キルクルス教の聖歌を歌うことに難色を示す者は居なかったのかね?」
「メドレーに入ってるのは、呪歌の共通語訳じゃないオリジナルで、聖者キルクルスの名前とか入ってません。三界の魔物の惨禍を繰り返すな的な歌詞だから、割と新しい時代に作られた曲かなって思う人は居るかもですけど、黙ってりゃバレないんじゃないんですか?」
ジェルヌィが、困ったような弱々しい微笑を向ける。
「曲の趣旨を説明せずに歌わせたのかね?」
「え? さぁ? その辺はオラトリックス先生たちに聞いて下さい。俺は言わない方が歌ってもらいやすいかなって思ったんですけど」
「ふむ。後で確認してみるよ」
「まぁ、ユアキャストに載せる時には、ファーキル君が説明付けますから……電波届く区画の人には後でバレるし、やっぱ、言ってんのかな?」
ジェルヌィが首を捻り、動画の編集画面を見詰める。
映像は、イーニー大使がSNSで公開した「平和だった頃のネモラリス共和国の風景写真」で始まった。
運び屋フィアールカが撮影したラクリマリス王国各地の神殿や風景、マリャーナ宅の一室で竪琴を奏でるラクエウス議員の動画、ロークとクラウストラがアーテル共和国領で撮影したキルクルス教会が続く。
アサコール党首らが収めた現在の難民キャンプ、ソプラノ歌手オラトリックスが撮影した各区画で歌を奏でる難民たち、リャビーナ市でピアノを奏でるスニェーグの動画が、次々と流れる。
写真と動画の右上には、撮影場所、下には歌詞と聖歌の神名が表示される。
キルクルス教聖歌の表示は、聖者キルクルス・ラクテウスの名ではなく、“キルクルス教聖歌「知の光で道を照らす」”だ。
曲が、各聖歌のサビだけを集めたメドレーに差し掛かると、ラキュス湖の映像に切替る。
ジェルヌィが、完成した「神々の祝日の為の聖歌メドレー」の動画データをクラウドに上げた。
メールで連絡を受けたファーキル少年が、急いでマリャーナ宅へ戻った。
「ラクエウス議員、ジェルヌィさん、有難うございました!」
「いいよいいよ。俺も楽しんで作業できたし」
「うむ。儂も、このように素晴らしい技術を目の当たりにできて感無量だ」
離れた場所で歌い奏でても、同じ曲ならば、ひとつにできる。
ファーキル少年が早速、既に用意してあった説明文を付け、動画共有サイト「ユアキャスト」に公開する。
SNSの真実を探す旅人アカウントにも、動画のURLを載せて投稿すると、即座に拡散が始まった。
「聴かずに広めてくれるのかね?」
「何でもいいから手伝いたいって人たちですよ」
「そう言うものかね。儂は午後から大使館だ。イーニー大使にも伝えておくよ」
「よろしくお願いします」
ラクエウス議員にはよくわからない価値観だが、有難かった。




