1837.倉庫街で放送
約束の日曜日。
移動放送局プラエテルミッサのトラックとワゴン車は、早朝にマチャジーナ市役所の駐車場を出発した。
南の倉庫街に着くと、既に西と北の商店街有志が、簡易テントを組立てて出店の準備に余念がない。
クルィーロたちもパイプ椅子と折畳み式の長机、簡易テントを下ろし、物販と放送の準備を始める。
放送自体は、基本的に立ち見だ。
屋台の傍には商店街有志が長机とパイプ椅子を並べ、ゆっくり食べられる区画ができた。力なき陸の民の老人たちが、パイプ椅子に腰掛けて放送待つ。
公開生放送の時間が近付くと、仮設住宅の避難者だけでなく、倉庫街周辺の地元住民も集まって来た。緑髪の地元民は活き活きと動くが、様々な髪色の陸の民はくすんで見える。
取材の過程で、避難民は倉庫でする軽作業の職に就いた者が多いと知ったが、立ち仕事ができる「健康で体力のある者」だけだ。
父と葬儀屋アゴーニが、東の神殿で聞いた話によると、職のない避難民の暮らしは寄付だけが頼りだと言う。
話し合いの結果、ここでの物販の売上を半分だけ寄付することに決まった。
移動放送局の食料は、まだまだ充分ある。
ピナティフィダが、ノートに食料品の出入りを全て記録し、クルィーロはそれを基にデータ化して、折を見てファーキルに送った。
食品の「入り」は、購入、報酬、寄付、採取、交換品などで、「出」は食事と物販や依頼による販売だ。
魔法薬も、老漁師アビエースが同様に記録して、クルィーロが送信する。
どちらも、過剰と思える在庫があれば、ファーキルから難民キャンプ用に欲しいと打診が来る。
……国内では、あるとこには、割とあるんだよな。
地域によって量や物価に著しい差がつくのは、物流の寸断や停滞によるところが大きい。
移動放送局は、ラクリマリス王国やアミトスチグマ王国など、物資が豊富な外国へ直接仕入れに行けるが、外国に土地勘のない一般人や、国内避難民はそうではない。だが、大量に寄付したのでは、地域経済に混乱を招いてしまう。
難民キャンプは、アミトスチグマ王国の都市から離れた場所に開設されたが、ネモラリス共和国内の仮設住宅は、防壁が無事な都市の内部に作られた。
地域住民との間に軋轢を生じるような手厚い支援はできないのだ。
経済的に厳しいのは、空襲罹災者だけではない。
例えば、このマチャジーナ市では、戦争によって観光絡みの需要と輸出が大幅に減った。
マチャジーナ港の稼働率が下がり、港湾労働者が職を求めて稼働率の高いクレーヴェル港やリャビーナ港などへ流出。彼らに食事を提供する飲食店も傾き、珈琲を輸入に頼る喫茶店の大量閉店を招いた。
宿泊業や飲食店の廃業は、食材や什器、寝具など関連需要の低下を招き、それらの職も減る。
クルィーロたちは“移動”放送局。一カ所に留まり、支援を継続できるワケではない。一部の生活困窮者だけでなく、幅広い支援を行えるものでもなかった。
……こう言うのって、フツー、役所の仕事だよな。
戦争の影響で税収が落ち込む一方、予算が戦費に攫われる。急増した国内避難民を支援したくても、できないのだ。
クルィーロたちが移動放送局を手伝うようになって、間もなくネモラリス島を一周する。行く先々で同じ構造の困難を目の当たりにしたが、クルィーロには何もできなかった。
それがわかり始めたのも、つい最近だ。
運び屋フィアールカにタブレット端末を与えられてから、インターネットの繋がる場所へ行く度に暇さえあれば、ニュースサイトを閲覧するようになった。
ネモラリス領内では、ファーキルがまとめてくれた報告書を読んで過ごす。
他者の目を通して集められ、他者の判断で編集された膨大な情報。
同じ出来事でも、視点によって語られ方が異なり、見えて来る真実も異なる。
魔法の勉強はすっかり滞ってしまったが、新たな視点や気付きを得られた。
午前九時。
国営放送アナウンサーのジョールチが、いつものように聴衆の前へ出て口上を述べる。
クルィーロは気持ちを切替え、みんなの中の一人として「すべて ひとしい ひとつの花」を歌った。
「まずは、マチャジーナ市自治会連合会から、健康診断のお知らせです」
ジョールチが荷台の係員室へ引っ込み、平和な頃のラジオと同じ声で、対象者の属性、日時、会場、必要なものと、当日の注意点を読み上げる。
地元の湖の民と避難者の陸の民は、体質と検査項目が異なる為、別日程だ。
飲食ブースの座席で、何人かがメモを取る。
こんな状況でも、平和な頃と同じように健康診断が実施される。
早期発見、早期治療と言えば聞こえはいいが、これも、戦争のせいだ。
空襲などの被害に加え、軍に医療者を取られ、人材は難民キャンプにも流出。各地の医療機関は以前にも増して人手不足に陥った。
魔法薬も科学の薬も、ネーニア島の医療産業都市クルブニーカがアーテル・ラニスタ連合軍の空襲で壊滅し、国内生産量が激減。湖上封鎖によって、輸入経路が限られ、輸送費が跳ね上がった。
半世紀の内乱からの復興途上で、ネモラリス共和国の財政には余裕がない。
ネーニア島西部の穀倉地帯や東部の漁港なども空襲で破壊され、国内の生産拠点を喪ったせいで食料輸入も大幅に増加。政府も民間も、資金が限られる中でギリギリの選択を迫られる。
クーデターによって、状況は更に悪化した。
病気が重症化する前にみつけ、少ない薬や見習いの術でも治せる内になんとかしなければ、助からなくなってきたのだ。
臨時政府の検閲と戦争による物資不足で、ネモラリス共和国内で発行される新聞は、全国紙も地方紙も、ペラペラに薄くなった。
ラジオも、戦時特別態勢で、放送内容に検閲が入る。スポンサーが減り、民放は放送時間を減らした。
首都クレーヴェルの放送局は全て、首都圏を制圧したネミュス解放軍の支配下に入り、プロパガンダを垂れ流す。
情報の孤島と化した状況を受け、富裕層の中から、衛星移動体通信の設備とタブレット端末を手に入れて、インターネットで情報収集する者が現れた。
だが、まだ情報の真偽を見極める目を持たず、偽情報に惑わされる。詐欺に引っ掛かる惧れもあった。
持たざる者と、どの程度、情報共有するかも不明だ。
多くのネモラリス人は、まだ、手の届く範囲の情報しか得られなかった。
……あれっ? あの人?
クルィーロは、屋台の準備をする料理人たちに話し掛ける男性に気付いた。大きなカメラを首から提げ、地元の新聞記者かもしれないが、取材依頼などはなかった気がする。
屋台の人々は、記者らしき男性を追い払ったりせず、取材に応じる。
地元商店街か、敷地を貸してくれた倉庫会社には、事前連絡があったのかもしれない。
気になったが、今は放送中だ。
持ち場を離れるワケにはゆかなかった。
☆約束の日曜日……「1764.沼沢産業の街」参照
☆西と北の商店街有志……「1769.商売人と約束」参照
☆東の神殿で聞いた話/マチャジーナ港の稼働率が下がり/珈琲を輸入に頼る喫茶店の大量閉店……「1764.沼沢産業の街」参照
☆観光絡みの需要と輸出が大幅に減った……「1834.北側の商店街」参照
☆急増した国内避難民を支援したくてもできない
ホールマ市全体の状況……「1497.ホールマ商圏」~「1505.市外の支援者」参照
ホールマ市での炊出し……「1508.買う物の基準」「1509.街を守る支援」参照
支援が難しい政治的理由……「1512.夜の選挙速報」「1513.喜べない理由」→「1516.投票理由分析」~「1518.刺客と移住者」参照
☆地元の湖の民と避難者の陸の民は、体質と検査項目が異なる……「1510.社会の教科書」参照
☆医療産業都市クルブニーカがアーテル・ラニスタ連合軍の空襲で壊滅……「0192.医療産業都市」参照
☆ネーニア島西部の穀倉地帯や東部の漁港なども空襲で破壊
穀倉地帯……「757.防空網の突破」「1342.支援に繋ぐ糸」参照
東部の漁港……「0072.夜明けの湖岸」「615.首都外の情報」「826.あれからの道」参照
☆インターネットで情報収集する者
マチャジーナ市……「1769.商売人と約束」参照
オバーボク市……「1799.講習会の告知」「1800.七王国の通信」参照
☆偽情報に惑わされる……「1768.真偽の見極め」参照
☆敷地を貸してくれた倉庫会社……「1764.沼沢産業の街」参照
▼「すべて ひとしい ひとつの花」現在の歌詞




