1834.北側の商店街
ティスたちが見学したアガロート養殖場をはじめとして、他の養殖沼と自然の沼はマチャジーナ市の北に位置する。
北門を入ってすぐの区画は沼地産業の町工場が連なり、その南に商店街が続く。
市の西にある別の商店街では、食料品店や日用雑貨など、生活必需品を扱う店が多かった。
北側の商店街は、業務用の素材や機材を扱う店と、飲食店が大半を占める。
「多刺蟹を掴む手袋だって」
クルィーロが手袋専門店の前で足を止め、タブレット端末で写真を撮る。
レノも感心した。
「こんな専門店ができるくらい需要があるんだな」
「あの蟹、棘がゴツかったからなぁ」
美味い物を食いに行くなら、とついてきたメドヴェージが頷く。
メドヴェージが少年兵モーフを誘ったが、教科書を読むと言ってトラックに残った。レノとクルィーロ、メドヴェージの組合せで出掛けるのは珍しい。
トラックに残った大人は、アナウンサーのジョールチ、葬儀屋アゴーニ、ラゾールニクだ。運転手のメドヴェージがトラックを離れるのも珍しかった。
ジョールチは、これまで集めた情報を元に放送用原稿を書くのに忙しい。
ラゾールニクは、沼の見学へ行かなかったピナに現地の動画を見せてくれると言って残った。
他の大人たちは、最初に放送する南の倉庫街向けの取材に出掛け、葬儀屋アゴーニが、「湖の民が多い街だから何かあった時に備えて一人は居た方がいい」と留守番を引受けてくれたのだ。
ピナとアマナは昨日言った通り、朝食後すぐ、お礼として渡すクッキー作りに取り掛かった。
……みんな、自分の役目とできるコト、みつけられるようになったんだな。
レノもクルィーロの隣に立って手袋を見たが、呪文も呪印も初めて目にするものばかりだ。
ロークとファーキルの【護りの手袋】とは、全く違う術が施された品らしい。
「これって、どんな術なんだ?」
「ん? えーっと……ゴメン。知らない単語だらけで全然わかんない」
クルィーロに泣きそうな顔をされ、レノは軽い気持ちで聞いたのを後悔した。
「こっちこそ、ゴメン。使えないのに興味本位で聞いたりして」
「いや、いいんだ。俺も、もっとちゃんと勉強しなきゃな」
「兄ちゃんたち、こっちもスゲぇもん売ってンぞ」
メドヴェージに呼ばれ、二人は二軒離れた店へ移動した。
多刺蟹の甲羅を外す調理器具の専門店だ。
ペンチと鋏を足して二で割ったような器具は、説明書によると、蟹の鋏を切って縦半分に割る用途らしい。
蟹の足を切るのは、レノたちが使う物より刃が細長い庖丁、甲羅を上下に分けるのは、鉈のようなゴツイ刃物、割った甲羅から身を外すのは、両端に幅が異なる先割れのヘラが付いた器具だ。
ヘラは普通の金属だが、刃物類には全て呪文と呪印がある。
「あ、これはわかる。【防錆】と【頑強】だ」
「へぇ……同じ呪文が彫ってあっても、値段違うの、何でだろうな?」
「魔力の循環効率と、反対側に【鋭利】があるかないかの違いです。どのような品をお求めですか?」
緑髪の店員が出て来て、レノたちを無遠慮に値踏みする。
マチャジーナ市は、元々湖の民だけの街だ。
公共交通機関がないこの街では、力なき陸の民が、北側の商店街に姿を見せるのは珍しいのだろう。
空襲やクーデターから逃れた人々の内、力なき民には、矢武蚊対策の虫除け代が重く圧し掛かる。大半がすぐ他所へ移り、残った僅かな国内避難民は、南の倉庫街に仮設住宅を集約された。
「俺たち、移動放送局プラエテルミッサの者です。アガロート養殖場の所長さんから、他所で宣伝して欲しいって頼まれて、色々取材してるとこなんです」
「あぁ、あなたたちが。アガロードニクさんは、多刺蟹の宣伝を頼んだって言ってましたけど」
クルィーロが愛想笑いで応じると、若く見える年齢不詳の女性店員は、表情を緩めた。
「蟹だけ買っても、解体する器具とかなかったら、食べられないと思って」
「他所の人は、なくても別に困りませんよ」
「えッ? どうしてです?」
レノは驚いた。
「甲羅は【編む葦切】か【飛翔する鷹】の職人が居る工房しか買いませんし、身を他所へ売る時は、瓶詰か缶詰だからですよ」
「じゃあ、甲羅から出してすぐ料理すんのは、この辺の店だけなのかい?」
メドヴェージが合点のいった顔で確認する。
「そうです。元々工場の賄いみたいな料理だったそうですけど、美味しいから、出すお店がだんだん増えたんです。戦争前は他所から観光客が大勢来て、ここでしか味わえない新鮮な多刺蟹料理を食べ歩きして、そりゃもう賑やかだったんですけどね」
今の様子からは、かつての賑いが想像もつかない。
「力なき民用の虫除けも、土産物屋さんでキレイなガラス瓶で売ってて、贈答品としても人気だったんですよ」
「早いとこ戦争が終わンねぇコトにゃ、潰れる店が出そうだな」
メドヴェージが、通りを見渡してポツリと言うと、店員が食いついた。
「そうなんですよ。ウチは製造・販売・保守まで一貫してるんですけど、保守が収入の半分以上なんで、多刺蟹の加工が減ったせいで砥ぎやネジの調整も減って、商売あがったりなんですよ」
「そうですよね。どこ行っても戦争のせいで大変で」
レノの相槌で、店員は更に勢いを増した。
「やっと半世紀の内乱の痛手から立ち直りかけてたのにアーテルのせいでこんなになって、あいつらゼッタイ許すもんですか! アル・ジャディ将軍は防戦一方でちっとも反撃して下さらないし、臨時政府は弱腰だし、庶民の暮らしはどんどん悪くなるばっかりで、ウヌク・エルハイア将軍が起ち上がって下さった時は、これで助かると思ったんですけどね」
店員の話が、再びアーテル共和国に対する恨みつらみに戻る。
レノたちが十五分余り愚痴に付き合う間、通行人は一人もなく、彼女が訴える深刻な経済状況が、嘘や誇張ではないと思い知らされた。
「蛙はね、そこの毛皮屋さんのお隣の肉団子が美味しいですよ」
店員はすっきりした顔で、おススメの店を教えてくれた。
☆アガロート養殖場の所長さんから、他所で宣伝して欲しいって頼まれ……「1764.沼沢産業の街」「1802.養殖沼の所長」「1833.蛙料理の研究」参照
☆虫除けも、土産物屋さんでキレイなガラス瓶で売って……「1759.虫除けの費用」参照




