1830.鋳物中の事故
「青き風 片翼に起き 舞い上がれ
生の疾風が骨繕う糸紡ぎ 無限の針に水脈の糸 通し繕え……」
「急患ーッ! 急患急患ーッ!」
「どいてどいてー!」
「大変だーッ!」
叫びと共に五、六人が水塊を連れ、難民キャンプ第二十八区画の診療所へ飛び込んだ。順番待ちの患者たちが息を呑んで目を逸らす。
呪医セプテントリオーは、骨折の治療を中断するワケにはゆかず【青き片翼】学派の【骨繕う糸】の詠唱を続けた。
「……毀つ骨の節は節 支えは支え 腱は腱 全き骨 ここに癒ゆ」
この男性患者は耕地を開墾中、【耕作】の術で跳ねた拳大の石が直撃し、左頬が陥没した。元の顔がわからない程の重傷だが、目が無事なのは不幸中の幸いだ。
既に【癒しの水】で裂傷の治療を終え、砕けた骨を【骨繕う糸】で復元する。
「まだここに居て下さい。先にあの人を」
「えッ? うわっ! ……はい。えっと……隅っこ行ってます」
患者は壁際へ移動し、顔を撫でて傷が治ったのを確認した。
急患が【操水】で宙に浮かせた水の担架で診察台へ運ばれる。
右腿から脛にかけて化繊のズボンが溶け、黒く焼け爛れた皮膚が見えた。患者は中年男性だ。苦痛に顔を歪めるでもなく、呪医セプテントリオーに言う。
「鋳物してる時にしくじって、鎔けた鉄」
「わかりました」
呪医セプテントリオーは、みなまで言わせず【操水】を唱え、パテンス神殿信徒会の腕章をつけた術者から水の支配を移した。
水の刃で、溶けて貼り付いたズボンを皮膚ごと引き剥がし、出血にかまわず患部を冷却水から出す。【無尽の瓶】から滅菌処理済みの水を引き出した。
別の水塊の【操水】を維持しつつ、力ある言葉で【癒しの水】を唱える。
「血は血に 肉は肉に 骨は骨に あるべき姿に立ち返れ
損なわれし身の内も外も やさしき水巡る
生命の水脈を全き道に あるべき姿に立ち返れ」
魔力を帯びた水が、患部を生き物のように這った。感覚を失う程の深い火傷がじわじわ拭い去られ、復元する。
すっかり元通りになった脛に手を当て、全身の状態を【見診】で確認した。
火傷は完治したが、脱水が酷い。
「喉が渇いていると思いますが、自分の口では、水を飲まないで下さい」
「えッ? ど、どうするんです?」
「今日と明日は入院して、看護師さんに点滴で水分を入れてもらって下さい」
看護師は既に薬品棚の前で、点滴を準備中だ。
この診療所も満床で、衝立で仕切っただけの病室の奥には、追加で寄付された長椅子が置いてある。
火傷の患者は、信徒会のボランティアに運ばれ、長椅子のひとつに寝かされた。
呪医セプテントリオーは、看護師が点滴を刺すのを見届け、先程の骨折患者を呼んだ。
「お待たせしました。外傷は治りましたので、次は脳震盪の治療です」
「えっ? 頭は別に痛くないんですけど」
「今はよくても、後で症状が出てきます」
呪医セプテントリオーは、患者の額に手を当てて【見診】を唱えた。
常勤の薬師も、内科系の患者を同じ術で診る。
「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者
白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ病
命の解れ 詳らか 綻び塞ぐ その為に」
第二十八区画の診療所には、【思考する梟】学派の薬師一人と、科学の看護師が二人常駐する。薬師は外科も内科も診られるが、魔法薬の素材がなければ、癒せない。
また、外傷は【青き片翼】学派の術より時間が掛かる為、入院患者が増える。内科系も、病気の種類や重症度によっては継続的な治療が必要だ。
アウェッラーナは半世紀の内乱中、医療産業都市クルブニーカからゼルノー市へ逃れた何人もの医療者から様々な術を学び、まだ未婚なので【青き片翼】や【白き片翼】などの術の一部も使えるが、多くの薬師はそうではない。
セプテントリオーら、【青き片翼】学派の呪医が巡回診療で訪れた日は、外科の患者をすべて引受ける。
外傷の入院患者も完治させるが、待機中の内科系患者ですぐ病床が埋まり、ひとつでも空になる日がなかった。
入院病棟を三棟に建増したが、人員的にこれ以上は増やせない。
日中は、他の難民や、パテンス神殿信徒会のボランティアが看病を手伝ってくれるが、彼らの多くは医学の素人だ。
患者の身の周りの世話や、病室の清掃、建物の【耐暑】や【魔除け】に魔力を供給してもらえるだけでも有難い。
第二十八区画で暮らす難民一万人余りの命が、たった三人の医療者、特に【思考する梟】学派の薬師の肩に懸る。
呪医セプテントリオーは、あの日、ネモラリス島北部の村で倒れたアウェッラーナがここの薬師と重なって、嘆息した。
……巡回診療が一人や二人来たところで、休めないのではな。
暗い思いで、骨折患者の脳震盪を癒す。現地の医療者で対応できる体制なら、なるべく大勢を癒す為、脳震盪の治療まではしないが、ここは別だ。
「治療は終わりましたが、癒しの反動で体力を著しく消耗しています。今日と明日は小屋で休んで下さい」
「休むったって……」
「何もせず、なるべく【操水】などの術も使わないで安静にして下さい」
元の顔を取り戻した患者が目を剥いた。
「えッ? 【操水】もダメなんですか?」
「はい。普段は何気なく使える簡単な術でも、頭部外傷などの後は負担が」
「ウチの小屋、力ある民、俺だけなんですよ。誰が飲み水を浄化して、みんなを洗うんですか? 毎日暑いって、みんな汗だくなのに皮膚病になったらどうするんです」
患者が椅子から身を乗り出して捲し立てる。
年配の男性が患者の傍らに歩み寄り、穏やかな表情で声を掛ける。
「安心して下さい。小屋のみなさんの入浴やお洗濯などは、私たち、パテンス神殿信徒会の者がお手伝いしますよ」
「えッ? いいんですか? 報酬とか……」
「その為に来てるんですよ。報酬などお構いなく。さ、案内をお願いします」
年配のボランティアが、呪医に会釈して患者を立たせる。
呪医セプテントリオーは会釈を返し、次の患者の治療を始めた。
二人の術者は【魔力の水晶】を幾つも使い潰し、息つく間もなく治療をこなす。力ある民の入院患者が【水晶】に魔力を充填し、科学の看護師たちが、容態を確認するついでに空になったものと交換する。
第二十八区画には、持病のある難民が多かった。
呪医と薬師は交代で昼食を摂ったが、十五分程で診察室へ戻らざるを得ない。
しかも、常勤の薬師は、診療時間終了後も、魔法薬作りの仕事が山積みだ。
素人の難民たちには、素材の下拵えまでしか手伝えなかった。
……この人は、一体いつ眠るのだ?
「こんにちは。魔法薬のお届けです」
順番待ちの患者たち道を空け、アサコール党首とファーキルが姿を見せた。




