1827.関わり方の差
姿はちっとも見えないが、タブレット端末の画面から、薬師のねーちゃんの声が聞こえる。
「そう言えば昔、ジゴペタルムの業者が、濡首獣に工業用のメチルアルコールを飲ませて問題になってましたね」
「そうなんですよ。毛皮用だからいいと思ったそうですが、目が潰れて可哀想なコトになって」
「魔獣がカワイソウ?」
画面の中で養殖沼の所長が嘆き、モーフは思わず声を上げた。
ラゾールニクが画面をつついて動画を止める。
「え? それ、そんなにびっくりするコト?」
「えぇッ? だって、魔獣がカワイソウって」
少年兵モーフは、魔法使いの諜報員が何を疑問に思うのか、わからなかった。
ピナが、ラゾールニクの向こうからモーフを見詰める。
モーフは葬儀屋のおっさんを見た。
「同じ魔獣でも、そいつとの関わり方で、見る目が変わるってこった」
「なんだそりゃ?」
魔獣が出たら、みんなで力を合わせて狩るか、逃げるか。
ふたつにひとつだ。
恐れ、憎み、排除する対象でしかない。
リストヴァー自治区でも、外の世界でも、同じだった。
おっさんが、白髪混じりの緑髪頭を掻いて首を傾げる。
「坊主、わかんねぇか?」
「だから、何がだよ?」
何故、葬儀屋のおっさんまでそんなコトを言うのか。ますますわからない。ピナは、大人二人の向こうで心配そうにモーフを見守るが、何も言ってくれなかった。
「狩人や駆除屋は、人や家畜を襲ったり畑を荒らしたりする魔獣の始末や、薬や道具の材料ンなんる奴を獲って来ンのが仕事だ」
「そンくらいしってらぁ」
「そうだな。今まで会った“魔獣と関わる仕事”してる連中は、みんなそうだ」
モーフだけでなく、ピナとラゾールニクも、警備員ジャーニトルの顔を思い出して頷く。
荷台の隣に設営した簡易テントから、ピナの妹が【炉】の呪文を唱える声が聞こえた。
作用力を補う【魔力の水晶】を握れば、力なき民でも、簡単な術を使えるようになる。
モーフも、毎日の炊事でピナたちが唱えるのを聞いて何となく覚えたが、「それが何の呪文かわかる」止まりだ。自分が使うつもりで聞かないから、諳んじてみせろと言われても、最初の単語すら出て来ない。
「じゃあ次、私がパン焼くね」
夕飯のパンは、珍しくアマナが焼くらしい。
兄貴のクルィーロは本物の魔法使いだが、アマナは力なき民だ。それでも、ちゃんと間違いなく力ある言葉を唱えられたらしい。
魔法の調理方法に慣れたピナの妹は、【炉】をやり直さなかった。
「でも、養殖場で働いてる人たちは、違う」
ラゾールニクの一言で、何が何やらちっともわからないコトを言われ、他に逸れた意識が引き戻された。
「所長さんや飼育員さんたちは、縮蛙と濡首獣に餌をやって、水が濁り過ぎないように沼を管理して、出荷まで死なせないように気を遣って育てるんだ」
「魔獣に気ィ遣うって?」
モーフは、ラゾールニクにおちょくられたのかと思ったが、諜報員の兄貴の青い目は、いつになく真剣だ。
「警備員さんたちも、飼育してる魔獣から職員を護るだけじゃなく、沼から涌いた他の魔獣から、縮蛙と濡首獣を護る為にも戦うんだ」
「は? 護る? 魔獣を?」
モーフは面食らい、ますます混乱した。
……大人は、あの塀の向こうでそんなハナシしてたのかよ。
ヌートの母ちゃんは警備員だが、そんなコト一言も言わない。
飼育員も、モーフや小学生たちには、そんな話をしなかった。
「魔獣の方も、養殖場の人たちが大切に守り育ててるのがわかるみたいで、ある程度大きくなった濡首獣は、飼育員が櫛で毛を梳くのを受け容れて、噛んだりしなかったよ」
「は?」
ラゾールニクが、小さな画面をつついて動画を再生させる。
「おいで」
職員がやさしく声を掛ける。
さっきの奴の倍近い大きさの濡首獣が、沼からいそいそ上がった。【操水】で毛皮の水を抜くと、魔獣の赤毛がふかふかになる。
それだけでもよさそうなものだが、複雑な呪印が刺繍された手袋の手が、濡首獣の頭を撫でた。魔獣は目を細め、職員の手にふかふかの頭や頬をこすりつける。
「よーし、よしよし」
職員が、四足の魔獣の肩を撫でる。魔獣は草の上で寝そべり、くりくりの円い目で職員を見上げた。
「あ、ちょっとカワイイかも」
ピナの口から予想外の言葉が飛び出した。
モーフは肝を潰したが、余計なコトを言うまいと唇を固く引き結んだ。
画面では、銀色の櫛が魔獣の毛皮をやさしく梳く。
濡首獣はうっとり目を細め、人間の手にされるがままだ。
「なっ。懐いてンだろ?」
ラゾールニクが動画を止め、ドヤ顔でモーフを見る。
「えぇ? 懐いたってコイツ……血ィ抜いて毛皮剥いで肉はカニのエサだろ? どうせ殺すのに可愛がったって意味ねぇんじゃねぇの?」
「坊主、それが経済動物の悲しいとこだ」
「ケーザイドーブツ?」
葬儀屋のおっさんの口から、知らない単語が出た。
「牛でも羊でも、人間が育てて最後はお命頂戴して、売りモンにする生き物だ」
「えー……あー……あ、あぁ? 家畜?」
「そうだ。農家の人らも、出荷の瞬間まで、家畜を家族同然に思って大事に育ててンだ」
「殺して食うのに身内扱い? 何で? 情が移ったら殺り難くなンじゃねぇか」
おっさんの話はますますわからない。
葬儀屋のおっさんは、モーフの目に視線を据えて言った。
「俺も坊主も、この世の生きモンみんな、放っといても死ぬ。早いか遅いかしか差はねぇ」
「まぁ、そうだな」
おっさん自身、五百年も生き、年季の入ったこの世の生きモンだ。
「死ぬのわかってる奴なら大事にしなくていいって理屈で行きゃ、誰も彼もみんな粗末に扱われる世の中ンなっちまうけど、いいんだな?」
「え……い、いや、そんなの……ダメだ」
モーフ自身はともかく、ピナが酷い扱いを受けるなどと、想像したくもない。
「そう言うこった」
「まぁ、もうちょっとゆっくり考えてみればいいんじゃね? ……ところでこの後、魔獣の屠殺なんだけど、見る?」
「い、いえ、遠慮します」
ラゾールニクが軽いノリで聞いたが、ピナは引き攣った顔で断った。




