0187.知人との再会
アウェッラーナは溜め息を吐いて女性に向き直った。
「さっき、マスリーナ市で魔獣に襲われたんです。多分、魔獣の体液です」
そう説明して呪文を唱えた。
ニェフリート河から水が一筋起ち上がり、トラックに伸びる。
湖の民はトラックを洗浄した水を河へ戻さず、荒野に捨てた。
気を取り直した工員も水を起ち上げ、念入りにトラックを洗浄する。湖の民に倣い、彼も汚水を荒野に捨てた。
同性も居るとわかったからか、対岸の女性はこちらへ歩いて来た。
「お、おいっ、おっさん」
「何だ?」
「俺も、降ろしてくれ」
「降りてどうすんだ?」
「あれ、あの人、ウチの近所のねーちゃんだ」
前を向いたまま面倒臭そうに答えたメドヴェージが振り向いた。
「知り合いかッ?」
「遠くてよくわかんねぇから、もっと近くで見てぇんだ」
「お、おうッ!」
メドヴェージは車窓から半身を乗り出し、ソルニャーク隊長に声を掛けた。
「隊長、その姐ちゃん、坊主の知り合いに似てるそうです。どうしやす?」
隊長が初めて対岸の女性から目を逸らした。振り向いた顔に驚きが満ちる。
「モーフ、降りて確認しろ」
運転手のおっさんは、すぐ荷台を開けてくれた。
少年兵モーフは、逸る心を抑えきれず飛び出した。転びそうになりながらトラックの前へ回り込む。
「ねーちゃんッ!」
「……どうしてここに?」
金髪の女性も驚いて駆け寄り、護岸ギリギリで足を止める。
魔法使いの薬師と工員が頷き合い、同時に呪文を唱えた。ニェフリート河に水の橋が架かる。
「ねーちゃん、こっち来てくれ!」
「う、うんっ」
戸惑いながらも荷物を持ち直して足を乗せた。
少年兵モーフは振り向いた。
みんなで運河を渡った時程ではないが、魔法使い二人は苦しそうだ。工員クルィーロは、額に脂汗を浮かべて歯を食いしばる。
「ねーちゃん、早くッ!」
急かすと心持ち歩調を早めた。薄い水の板は何とも頼りない。
じれったさにイライラしながら待つしかなく、モーフは何度も急かした。
近所のねーちゃんの足がやっとこっちの岸に着く。途端に水の橋が形をなくし、ニェフリート河に落ちた。
水音でねーちゃんが振り向き、腰を抜かしてへたり込んだ。
「ねーちゃん、端っこ危ねぇぞ」
モーフが荷物を拾って肩を叩くと、近所のねーちゃんはのろのろ立ち上がった。
荷台へ戻ると、中はすっかり片付けてあった。
アマナが兄に飛びつく。
「あれが追ってくるといかん。移動中に話してくれないか」
ソルニャーク隊長が半ば命令のように言うと、近所のねーちゃんは頷いて荷台に乗った。
湖の民の薬師が、その背中に申し訳なさそうな声を掛ける。
「治療、明日にさせて下さい。さっきの橋で疲れてしまって……」
「えっ? 怪我、治していただけるんですか?」
振り向いた顔には、驚きと喜びが混ざる。
薬師アウェッラーナは頷いてさっきと同じ言葉を繰り返した。
「おうっ、話は後にしてくんな」
メドヴェージが扉を閉め、薬師と二人で運転台に戻った。
トラックが動きだし、残った面々にホッとした空気が広がる。
少年兵モーフはソルニャーク隊長に促され、近所のねーちゃんを紹介した。
「自治区で、俺んちの近所に住んでた人。団地の仕立屋で働いてて、時々、俺の姉ちゃんにリボンとかくれたんだ」
「助けて下さってありがとうございます。アミエーラと呼んで下さい」
針子のアミエーラがペコリと頭を下げ、運転席に声を掛けた。
「あの、できるだけ早くここを離れた方が……」
「何があった?」
「この村にも魔物が……」
隊長の問いに答える顔は青褪めていた。
「住人はどうした?」
「私を助けてくれたお婆さんが居ました。その……お婆さんの旦那さんが多分、亡くなって、魔物が遺体を乗っ取ったんじゃないかなって……」
魔物の多いラキュス湖周辺地域ではよくあることだ。
人や動物などの死体を放置すると、魔物に食われるか、そのまま乗っ取られ、いずれにせよ、この世の肉体を与えて魔獣化してしまう。
食肉はすぐ塩漬けにする。誰かが亡くなれば、急いで葬儀屋を呼んで、魔力の有無に関係なく遺体を灰にしてもらう習わしだ。
「いつからそんな状態なのかわかりませんけど、他のご家族や、ご近所の方々は避難して、村には居ませんでした」
「その婆さんは何で無事……っつーか、魔物と同居してるってコトですか?」
工員クルィーロが、言い掛けた質問を途中で変える。
近所のねーちゃんアミエーラは頷いた。
「お婆さんは魔法使いでしたし、お爺さんが魔物になっても、以前と同じようにお世話してたからじゃないかなって……」
「受肉した魔物に餌付け……か」
ソルニャーク隊長が苦り切った顔で呟いた。
「私、寝たきりのお爺さんの話し相手になってあげてってお部屋に通されて、二人きりになったら、ベッドから出て来たのが魔物で、びっくりして窓から逃げて来たんです」
「それにしては、荷物とコートは持っているのだな?」
ソルニャーク隊長が苦笑交じりに指摘する。
モーフも、知り合いでなければ不審に思っただろう。
アミエーラは、頷いて答えた。
「逃げてる途中で、これがないとすぐ死んじゃうって気が付いて、泊めてもらってたお部屋へ取りに戻ったんです」
「ねーちゃんは、悪い奴じゃないっスよ」
隊長に疑われているのは明らかだ。
少年兵モーフは精一杯庇い、口を開いたついでに聞いてみる。
「ねーちゃん、俺の母ちゃんたちは……」
「……ごめんね。あっという間に火が来て、みんな夢中で逃げて、私も、お父さんとはぐれて……わからないの」
近所のねーちゃんが項垂れる。
モーフは微笑んでみせた。
「あ、いや、いいよ。別に、ねーちゃんが火ぃ付けたワケじゃねぇんだろ?」
アミエーラが頷き、慰めを口にする。
「でも、緑地まで逃げられた人は結構居たし、朝になったら団地の公民館とかが避難所になって、役所の人とお巡りさんが、配給があるって呼んでたから、大丈夫かも……」
「そっか。ありがと。ねーちゃんは、何でこんなとこ居るんだ?」
「私は、店長さんちに泊めてもらってたの。それで、ここもいつどうなるかわからないから、遠縁の親戚の所へ行きなさいって、手紙も書いてくれたの」
モーフの近所のねーちゃんは、澱みなく答えた。
「親戚って? どこ?」
流れでついでに聞くと、ねーちゃんは自信なさそうに言った。
「お祖母ちゃんのお姉さん。ネモラリス島で、住所は手紙に……」
「あぁ、それなら俺たちもそっち行くんで、一緒に行きましょう」
工員クルィーロが明るい声で申し出た。
☆水の橋が架かる/みんなで運河を渡った時……「0095.仮橋をかける」参照
☆団地の仕立屋で働いて……「0027.みのりの計画」「0054.自治区の災厄」参照
☆時々、俺の姉ちゃんにリボンとかくれた……「0098.婚礼のリボン」参照
☆寝たきりのお爺さんの話し相手になってあげてってお部屋に通され……「0172.互いの身の上」「0180.老人を見舞う」参照
☆私も、お父さんとはぐれて……「0054.自治区の災厄」参照




